「私に“食べる”という行為は存在しなかった」―話題のレシピ集著者・Mizukiさんインタビュー(1)

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「私に“食べる”という行為は存在しなかった」―話題のレシピ集著者・Mizukiさんインタビュー(1)

 奥に緑と赤が映えるサラダが添えられ、中央には美味しそうなソースがかかったハンバーグの写真。ピンク色が貴重の可愛らしい表紙に、思わず目を奪われる。そして、美味しそうな料理に思わずお腹が鳴りそうになる。

 2014年11月に出版された『Mizukiの♡31CAFE♡レシピ』(扶桑社刊)は“奇跡”を通して生まれた一冊だ。

 2012年12月、和歌山県新宮市という紀伊半島の南部にある人口3万人ほどの小さな街に、一軒のカフェがオープンした。名前は「31CAFE(サンイチカフェ)」。こぢんまりとした店内に18席が並んでいる。客層は女性が中心だが年齢層は幅広く、下は女子高校生から上は90歳のお婆さんまで。新宮の女性たちの憩いの場となっているようで、オーナーのMizukiさん(28)は「狭い街なので、(お店にくれば)誰かに会えるんです」と笑う。

 『Mizukiの♡31CAFE♡レシピ』は、Mizukiさんが初めて出版したレシピ集だ。2年前に自分のお店をオープンしたばかり、そして初めてのレシピ集にも関わらず、Amazonのクッキングレシピ部門ランキングで1位を獲得した。
 どうして、ここまで熱狂的な支持を受けているのだろうか。表紙の素晴らしさ、充実したレシピ、とてもキレイな料理の写真たち…それらも、もちろんこの本のヒットの要因の一つではあるだろう。

 でも、それだけではない。本書の最後に書かれているMizukiさんの半生をつづった「My Story」に触れないわけにはいかないだろう。

■「私に“食べる”という行為は存在しなかった」

 Mizukiさんはつい数年前まで拒食症によって死の淵にいた。最も低かったときの体重は23kg。身長は162cmだから、その数値がどれだけ異常であるかが分かるだろう。
 Mizukiさんは、高校生の頃まで病気をほとんどしたことがない健康優良児だったそうだ。中学生の頃はバレーボール部のキャプテン。活発で誰とでも話せるような明るい性格で、食べることも大好きだったという。

「ただ、すごく負けず嫌いなところがありました。どうしても1番になりたいんです。親からは勉強しろと言われたことがなかったのですが、テストでは1番がほしい、もし1番になれなくても、通知表で5が取りたい、みたいな。そうやって形で示して、親に喜んでほしいんです。ほめられたい。だから、勉強しろと言われなくてもテスト3日前くらいになると、徹夜をして頑張って良い点をとる。そして、良い点を取ったら、次のテストではその点から下回ることが自分の中で許されなくなるんです」

 一番になりたい、喜んでほしい、認められたい。数字に対する執着。Mizukiさんへのインタビューの中で幾度も出てきた言葉だった。
 「My Story」の中で、高校生の頃にMizukiさんは両親が不仲になったことを明かしているが、そのストレスも大きかったのだろう。勉強していると、次第に涙が出てくるようになり、ついにはテストの前になると学校に行けなくなってしまった。
 病院からはうつ病と診断され、同時期に拒食の兆候が見られるようになる。

「私は痩せたいと思って食べなくなったわけではないんです。体重を減らしたい、体重計に表示される数字を減らしたいというだけなんです。(拒食症に)なりはじめの頃は52kgくらいあったのですが、45kg、40kgと減っていくのが嬉しくてしょうがなかったですね」

「私に“食べる”という行為は存在しなかった」―話題のレシピ集著者・Mizukiさんインタビュー(1)

 Mizukiさんは体重の数値が減っていくことに喜びを覚えていたという。体重が減っていけばいくほど、精神的な調子も少しずつ変わってくる。

「40kgになったら、次は35kgになりたい、35kgになったら30kgになりたいって。その数字を上回ることは自分の中ではありえないことで。でも、27kgになったとき、心の中で『やばい!』って思ったんです。怖くなってしまって。『自分、どうなるんやろ』って」

 でも、時は遅かった。「やばい」という想いとは裏腹に、食べ物を見ても、食欲はまったくわかない。Mizukiさんは「自分に食べるという行為はなかった」というところにまで陥ってしまっていたという。
 さらに、身体はどんどんと衰弱していき、次第にベッドで寝たきりになる。何度も家族はMizukiさんを病院に連れ出そうとするが、彼女はそれを拒否した。

「病院に行ったら太らされると思っていたので。胃の調子が悪いから食べられないからと言い続けていました。多分、周囲は嘘だと分かっていたと思いますけれど、母親だけは私の言うことを全部信じてくれて、肯定してくれたんです」

 母親はMizukiさんの唯一の理解者だった、というよりは「(母も)感覚がマヒしていたように思う」とMizukiさんは語る。病床の彼女はそんな母親が運んでくる小皿におかれた小さな寒天や、甘さが感じないようになるくらいに薄めたポカリスエットを飲んでいた。
 しかし限界はやってくる。2009年夏、胃けいれんで救急搬送され、そのまま病院に入院。そのとき、Mizukiさんの体重は23kgになっていた。大きな病院への転院が必要だったが、病院の先生はこう言ったそうだ。「あかん! 今動かすとこの子は死んでしまう」。
 Mizukiさんは、極限の状態を迎えていた。

(第2回は近日配信予定)


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