ぐだぐだと弛緩した、しかしステキに怪しい子どもの日常

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ぐだぐだと弛緩した、しかしステキに怪しい子どもの日常

 ケリー・リンクの第三短篇集。十篇が並ぶが、うち三つは既刊短篇集に収録ずみ。あえて重複させたのは、ひとつのコンセプトがあるためだ。十篇すべて主人公は少年少女。著者のサイトでは「ケリー初の、あらゆる世代のための一冊」とうたわれている。

 とはいえ、リンクの作品は少年小説の定型からはほど遠い。おおよその少年小説は、世界はまず大人のまなざしで捉えられ、それを少年に仮託して物語化する(その過程で大人のまなざしは隠蔽される)。いわば、少年は文学装置にすぎない。それに対して、リンクは少年の視野を取り戻すところからはじめる。世界は退屈で苦痛で気味が悪く、だがワケのわからぬ素敵な怪しさがある。そんな世界にさらされているため、子どもは純真だが同時に残酷で卑怯でもある。あるいは逆かもしれない。子どもがそんなふうだから、世界がヘンになってしまう。ま、どっちでも同じことか。

 レイ・ブラッドベリの初期作品も、そうした少年の視野を備えていた。しかし、ブラッドベリの世界は蒸留したエッセンスだったのに対し、リンクは濾過すらしていない。発酵したままの少年時代なので、ちょっと変な匂いがしたり、得体の知れぬ舌ざわりがある。

 たとえば「サーファー」は、新型インフルエンザが世界的に蔓延した近未来、コスタリカに入国しようとした父と息子(ぼく)が隔離されてしまう。おなじ飛行機に乗っていた全員が格納庫に押しこまれ、監視のもと共同生活を強制される。収容者のなかにはさまざまな持病を抱えたひとたちもいるが、インフルの兆候は見られずおおむね気楽。しかし、言葉や人種が違うこともあって意思疎通がちぐはぐだ。そのちぐはぐのなか、ぼくはちょっと途方にくれている。また、格納庫には、コウモリ、クモ、トカゲ、ゴキブリが入りこんできて防げない。しまいにはオオガニまで侵入してくる。

 こういう弛緩した日常がある一方で、コスタリカはかつてエイリアンが来訪した土地であり、それに関する噂や希望(またやってくるはず)が絶えない。ぐだぐだの毎日と、ファンタスティックなエイリアンの話(ちょっと都市伝説的な色も混じっている)、この取り合わせがオカシイ。不協和音というか、まだらというか。

 このまだらな味わいがリンクは絶妙で、それがときに恐ろしさになり、ときには可笑しみになる。戦慄と失笑がダブルパンチでくることさえ。

「モンスター」は、サマーキャンプに集まった少年たちのあいだで、モンスターが出るという噂が広がる。バンガロー4の誰かが森で見かけたというのだ。ホラー映画の常套みたいな出だしだが、ちょっと違うのはキャンプのダメっぷりだ。たいていの参加者は無理やり親に送りこまれ(厄介払いされたわけだ)、テントには水が染みこむわ、仲間に臭いヤツや手に負えぬ悪童がいるわで、ションボリ感がハンパない。コウモリに虫除けスプレーを吹きつけて火をつけ、バンガローを全焼させそうになったグループもある。彼らにとってモンスターの噂は、うんざりなキャンプ生活をちょっとマシにするスパイスのようなものだ。ワルノリしたバンガロー6のメンバーは、ジェームズ・ロービック(足がひどく臭うヤツだ)に泥だらけの女物の服を着せてモンスターに見せかけ、みんなを驚かせる計画を立てる。しかし、この悪戯を実行しようとしたときに、本物のモンスターが出現! なんという間の悪さ。というか間の良さ。あるいは魔の良さ。

 リンクの小説は読者が予想した方向へは決して進まない。モンスターはジェームズに向かって「なんで体中泥だらけなんだ?」と訊ねる。ジェームズは「僕、モンスターになるはずだったんです。気を悪くしたらごめんなさい」。なに、このやりとり。この脱力感。しかし、安心してください(?)、モンスターは優しいやつでしたなんて予定調和的なオチはつかない。

「シンデレラ・ゲーム」では、問題児ピーター(二年間に三つの学校を退学させられていた)が、義理の妹ダーシーにせがまれてシンデレラごっこにつきあう。ダーシーはシンデレラになりたかったのだが、ピーターがそれを言いくるめ役を横取りする。しかも、彼が演じるのは、ディズニー映画などとは似ても似つかぬ邪悪な灰かぶり姫だ。悪いシンデレラがお前を追いかけるぞ! 怯えて家のどこかに隠れたダーシーを探し、ピーターは階段を一段飛ばしで降りていく。

  間違ったことをやっている、と自分でもはっきりわかるときにいつも湧いてくる、あのみじめな悦びの黒い波がぐんぐん高まっていった。なんだかまるで、自分が何になりつつあるにせよ、そのせいで死んでいこうとしているみたいに。 

 こんな倒錯した未熟な感情は、きっと誰の心にも潜んでいる。しかし、日常ではそれが頭をもたげそうになると、とたんに制御が働いてすぐさま忘れられる。無闇な衝動などないかのようにぼくたちはふるまい、正面から向きあうことはない。そうやって現実(と呼ばれている曖昧な地平)は保たれる。なのに、ケリー・リンクはそれをあっさり引きずり出し、読者に突きつける。ひとたび見てしまえば、もう目を背けることはできない。

(牧眞司)

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