狼少女の感覚と情緒、風に鳴る巨大貝殻の音
二十世紀末から二十一世紀、アメリカ文学は異色短篇の才能を続々と輩出してきたが、カレン・ラッセルはその最若手だ。10篇収録の本書を著した2006年の時点で24〜5歳。アメリカ図書協会の「35歳以下の注目すべき作家5人」に選ばれている。彼女の作品はアイデアや設定も風変わりだが、それ以上に登場人物の感覚が新鮮だ。常識的にはタガが外れた情動、突飛な行動原理に見えるのだが、読んでいくとこちらの気持ちへ染みこんでくる。自分の心にそんな部分があったのかとハッとなる。
表題作では、洞窟で暮らしていた狼人間の子どもたちが、聖ルーシー寮に連れてこられ普通の社会生活ができるように教練を受ける。狼人間は隔世遺伝で、その一族は土地の農民からははみだし者と蔑まれ、純血種の狼にも溶けこむことができない。語り手のクローデットは聖ルーシー寮の馴化プログラムのなかで、だんだんと人間的な振るまいを身につけていくのだが、拭いきれないなにかが身中に残っている。それが独白の端々にあらわれる。こんなふうだ。
〔シスター・ジョセフィーンは汗とそばかすの味がした。簡単に殺(や)っちゃえそうなにおいがした。〕
〔わたしはこんなにだれかのことを愛しいと思ったことはなかった。その前もその後も、あの瞬間この小さな妹のことを想ったようには。転がって体勢を変え、あの子の耳を舐めてあげたかった。斑点のある一ダースもの子鹿を殺して、あの子に先に食べさせてあげたかった。〕
馴化プログラムでは、段階を追って生徒(狼人間)は、洞窟暮らしよりも新しい環境のほうが快適だと感じるようになり、「すべてのつじつまが合いはじめる」とうたわれている。しかし、そのつじつまとはなにか? 汗とそばかすの味を感じなくなることか? 妹の耳を舐めてあげたい感情をなくすことか? クローデットと対照的に、妹のミラベルはいっこうに「つじつまが合う」ようにならない。いつまでも姉のローファーをガジガジ囓み、見えないクーガーに向かって吠え、歯ごたえのない食べ物を嫌うため制服からあばら骨が突きでている。
予想される物語のなりゆきは、破局(姉と妹の違いが悲劇を呼ぶ)、逆転(人間文化に野性の価値が勝る)、和解(壁を越える姉妹の絆が確認される)といったあたりだが、ラッセルはそういうわかりやすい結末をつけない。シニカルな言葉で締めくくられているが、なにかを肯定/否定するわけでも、諦念/批判でもない。宙ぶらりんの余韻が残る。
この宙ぶらりんの印象は、ほかの作品ではもっと顕著だ。こんなところで終わってしまうのかと、ちょっと途方に暮れる作品もある。おそらくラッセルにとって世界はそういう場所なのだろう。いや、ラッセル個人の問題ではない。ほんらい世界には、つじつまの合う物語もなければ、わかりやすい結末もない。そのかわり(?)ラッセルの短篇はそれぞれ別々ではなく、ゆるやかにつながっている。たとえば、冒頭に収録された「アヴァ、ワニと格闘する」のアヴァ(十二歳の少女だが、両親が残した寂れたワニ園を維持しようと奮闘している)の祖父が、「海のうえ」の主人公の老人(〈海のうえの老人ホーム〉のボランティアプログラムで、不良少女と無理やりな友情を育むはめになる)といった具合だ。こうした結びつきを考えると、奇想性に富んだ作品も、いっけん尋常に見える作品も、ひとつの地平に乗っているのかもしれない。とらえようのない日常というか、あいまいな現実というか。
そのなかでぼくがとくに面白かったのは、眠りをめぐる多彩な不全がひしめく「夢見障害者のためのZ・Z睡眠矯正キャンプ」。参加している子どもたちだけではなく、キャンプの管理人夫婦からして危ない妄想じみた夢うつつを生きており、リアリティの根拠がぐらぐら揺らいでいく。「西に向かう子どもたちの回想録」では、未踏の新天地を求めて牛車の一隊が西部をめざす。語り手の少年の家族は牛をまかなえないため、父親のミノタウロスが車を引いている。逞しく誇りに満ちた父親だが、やることなすことがカラまわりで、仲間のなかで浮きまくりだ。この作品も表題作同様、人間ならざる存在の感覚がありありと描かれており、それは異常といえば異常なのだが妙に切ない。「貝殻の町」は、巨大巻き貝の貝殻(いくつもある)を観光資源にした町が舞台だ。ところがまったく人気が出ず、貝殻は汚らしく朽ちつつある。その風情はちょっと、J・G・バラード《ヴァーミリオン・サンズ》みたいだ(ただし子どもが中心の物語なので、あれほどデカダンではない)。風が吹き、空から雨がほとばしると、巻き貝が音叉のように鳴って、次々に轟きはじめる。このシーンには陶然とさせられた。
(牧眞司)
世界に色を差す細やかな筆致。逆説的な読書家をめぐる謎。
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