黒田官兵衛だけじゃない!隠れた戦国の名軍師・江口正吉

黒田官兵衛だけじゃない!隠れた戦国の名軍師・江口正吉

戦国時代を己の頭脳で生き抜き活躍した軍師たちは、数多くの小説やドラマなどの題材となっている。竹中半兵衛、山本勘助、直江兼続などや、「戦国最強のナンバー2」として今年の大河ドラマの主人公にもなっている黒田官兵衛が有名だ。

そんな軍師の中でも、隠れた戦国の名軍師として今後注目を集めそうなのが「江口正吉」。信長五大将で「米のように欠かせぬ男」と言われた智将の丹羽長秀と、その子である丹羽長重に仕え、さまざまな面から丹羽家を支えた人物として知られている。

そんな江口正吉について以下に紹介。

■武勇も持った軍師・ 江口正吉
丹羽長秀の家臣として、最初に歴史に登場する江口正吉。清洲会議の織田家四宿老合議の結果、丹羽家の京奉行を任されたことや、若くして若狭国吉城代になったことなど、若い頃から重用されていたことがうかがい知れる。

武勇にも優れ、織田信長と浅井長政の「小谷城の戦い」では、高所から戦いを見ていた羽柴秀吉、柴田勝家らが、茜色の弓袋の指物をした目覚ましい働きをする武者を指して「あれは誰だろう?」と首をかしげる中、信長が「あれは丹羽家の江口伝次郎(正吉の幼名)であろう」と言い当て、その武勇を褒め、自らの笄を与えたという逸話を持つ。

■御家の没落、そして復活!
江口正吉が仕えた丹羽長秀は、軍事だけでなく安土城建設への貢献など内政面でも信長を大いに支え、本能寺の変で信長が討たれた後は、秀吉を支持し123万石の大名までのぼりつめる。しかし丹羽長秀の死後、大きすぎる丹羽氏の勢力を削ぐために秀吉により4万石への大減封が行われる。

123万石から4万石の小大名に没落してしまう途中で、丹羽家からは多くの家臣たちが去っていった。そんな中、江口正吉は長秀の跡を継いだ丹羽長重に付き従い続け、家臣たちの抜けた穴を埋め八面六臂の働きをしこれを支える。やがて小田原征伐などの功により丹羽家が12万5千石に加増されると、正吉は家老として1万石を領した。

■北陸の関ヶ原「浅井畷の戦い」での活躍
羽柴秀吉VS柴田勝家の「賤ヶ岳の戦い」や、秀吉が北条氏を攻めた「小田原征伐」などで江口正吉は活躍。

北陸の関ヶ原として知られる「浅井畷の戦い」では、石田三成の西軍に付き丹羽家の大将として、東軍の前田家と戦う。この戦いで丹羽軍は3千程度の兵士、対して前田軍は2万5千。兵力で圧倒的不利な状況であるが、自ら指揮する奇襲部隊により前田軍に大損害を与えて戦果を上げている。

■逸話
ある時、伊達政宗が丹羽家の城である白河城の近くを通った時に「わしならこの程度の城、朝飯前には踏み潰してみせよう」と豪語する。付き従っている重臣の片倉小十郎は、「侮ってはなりません。この城には江口三郎右衛門という老巧の武者がおりますので、昼飯までかかりましょう」と、諌めたという。

そんな江口正吉を題材とした歴史小説「うつろ屋軍師」(学研パブリッシング)が、7月29日に登場した。歴史群像大賞入賞作品で、作者は同作がデビュー作の簑輪諒さん。

普通では考えつかない、常識はずれのような策を提案することから、周りからは「空論(うつろ)屋」と呼ばれる江口正吉の活躍を描いた内容。丹羽家の123万石からの大没落、そしてそこからの大復活劇など、他の戦国大名や軍師には無い波瀾万丈なエンタメストーリーとなっている。これをきかっけに、江口正吉という隠れた名軍師の物語に触れてみてはいかがだろうか。

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