労働市場におけるサラリーマンの市場価値について考える

貯金生活。投資生活。

自分の市場価値は実際どれくらいなのでしょう。転職は現実的なことのでしょうか。今回はmasaさんのブログ『貯金生活。投資生活。』からご寄稿いただきました。

労働市場におけるサラリーマンの市場価値について考える
以前に私が書いた記事、収入の下落に合わせて生活水準を下げることができるか?*1に関して、PALCOMさんがこんな記事を書いています。

「生活防衛資金は「前向きの」目標を達成するためにある その2」(PALCOMの海外投資塾)
http://palcomhk.blog79.fc2.com/blog-entry-932.html
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以上の考察によれば、「攻め」の姿勢とは、「労働市場・転職市場における自分のfair valueを意識して働き、自分自身のfair valueを上昇させることを常に忘れないこと」です。
———— 引用終了 ————

この内容に関して、私の見解を書いておきます。

はっきり書いてしまうと、日本における一般的なサラリーマンの場合、労働市場や転職市場における価値など、事実上ほとんどないと考えて差し支えないと考えます。

「自分は優秀で職業能力が高いから、仮に職を失っても、今までと同じ給料と待遇で再就職できるだろう」という人がいたとすれば、それは、本当に優秀な人物か、そうでなければ現実を知らないただのバカかのどちらかだと思います。

「若者はなぜ3年で辞めるのか?年功序列が奪う日本の未来」(城繁幸著)には、こんな記述があります。
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334033705
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以前、ある戦略系の経営コンサルタントと、このテーマについて話し合ったことがある。
彼は大手外資系のコンサルティング会社に勤務し、頻繁にCMを流すような有名企業をいくつも顧客として抱えている。30代で年俸3000万円以上を稼ぎ出す彼の話で、特に印象に残ったのが以下の言葉だ。
「日本企業でのキャリアなんてわれわれは全く評価しない。あれは本質的にはマックのバイトと同じだから。そういう仕事を自分の意思で何十年も続けてきた人間は、同情はしても評価はできない」
———— 引用終了 ————

「マックのバイトと同じ」というのは辛辣(しんらつ)ですが、これは非常に的確な指摘だと思います。一般的な年功序列型の日本企業の場合、若いときには大した仕事ができません。そして、年をとってから転職しようと思ったら、今度は年齢制限にひっかかります。あるいは、下手に管理職に出世して現場を離れてしまったがために、もはや現場の第一線の実務のことが何もわからず、ふと気付いたときには転職市場で評価できるスキルが何もないということもありえます。それ以前の問題として、社外で通用するような市場価値のある仕事をしている人など、果たしてどれほどいるというのでしょうか?よほど実力主義の会社ならともかく、多くの人がやっているのは単なるルーチンワークに過ぎず、個人の能力差など、せいぜいドングリのせいくらべといったところでしょう。

日本においては、雇用が硬直化していて労働市場がきちんと整備されているとは言い難いのが現状です。この状況では、たとえ社内で高く評価されていても、転職市場では全く評価されないというケースの方が多いと思います。

それでも、若ければどうにかなります。ただし、これとて”正社員様限定企画”というのが実情で、新卒時に正社員になれなかった非正規社員にいたっては、正社員の利権を守るために事実上使い捨てにされており、その職歴をキャリアと認めてもらうことすら困難です。

日本において転職の際に一番重要なのは、なによりもまず年齢です。スポーツ選手でもないのに年齢が重要だというのは奇妙な話ですが、それが現実です。一般的に、若い方が有利で年をとれば不利になります。よって、中高年になると職探しも大変になってきます。

中高年の再就職については、下記のサイトが参考になります。

「早期退職者“必見”中高年サラリーマン再就職10カ条」 (ZAKZAK)
http://www.zakzak.co.jp/top/200902/t2009020236_all.html
———— 引用開始 ————
転職コンサルタントの高野秀敏氏は前記4項目に加え、「一部のエグゼクティブを除き、待遇は下がる。再就職の際の自分は(5)年収で半分程度の市場価値しかない(6)資格はほとんど意味がないと認識すべき」と語る。
———— 引用終了 ————

これも非常に的確です。「年収で半分程度の市場価値しかない」「資格はほとんど意味がない」というのは、自分の職業能力に自信のある人や、資格を取得して市場価値を上げようとしている人にすればショッキングな話ですが、おおむね正しいと思います。自分の職業能力に自信を持つのはいいことですし、また、能力を高めるように常に努力を続けることは必要です。ただし、その努力や自信が本当に転職で役立つかどうかはまた別問題だということをよく認識しておく必要があります。特に、「社内で評価が高い=転職市場で評価が高い」と考えるのは、あまりにも甘すぎます。

ヘッドハンティングされるような特殊なケースを除けば、むしろ重要なのは、過去のキャリアやプライドをすべて捨てる覚悟ではないかと考えます。妙なプライドを持って、過去の職歴やキャリアにこだわりすぎると、かえって転職や再就職に失敗する恐れが高くなると思います。もちろん、自分が労働市場における”市場平均”のはるか上のポジションにいる人であれば、こうしたことは一切関係ありません。ただし、それが自信過剰による思いこみでなければ、ということですが。

私が思うに、転職や失業による再就職の際に必要なのは、純粋な職業能力だけでは不十分です。では、転職や再就職に備えて必要なことは何かというと、いざという時に「うちの会社に来ないか?」と声をかけてもらえるような社外の人的ネットワークを作っておくことだと思います。つまり個人的なコネを作っておくということで、これは純粋な職業能力を高めることよりも重要だといっていいくらいです。ただし、これとてそう簡単なことではありませんが……。

基本的にサラリーマンには「自分でエサを見つける能力」などないと思います。これはちょうど、檻(おり)の中で育てられた動物が自然界でエサを見つける能力がないのと同じです。自分でエサを見つける能力というのは、独立・起業する際に求められる能力です。サラリーマンに必要なのは、「給料という名のエサをくれる飼い主(雇い主)を見つけ、気に入られる能力」の方でしょう。しょせんは飼い犬と同じで、飼い主に気に入られる芸(仕事)をして、そのご褒美として給料という名のエサをもらう。ただそれだけのことです。身も蓋(ふた)もない言い方ですが、それが現実だと思います。

いろいろと書いてきましたが、こう考えてくると、起業家志向の人がよく言う「起業するよりも、むしろサラリーマンの方がリスクが高い」という言葉にも一理あると言えそうです。実質的には何の価値もない仕事を何十年も続け、そして自分の人生を他人に委ねるサラリーマンという生き方は、起業家志向の人からみれば、愚かしいということなのでしょう。とはいうものの、起業に向いていない人が下手に起業・独立すると悲劇的結末を迎えることが多いのも確かなので、これも結局は自分自身の適性によりけりだと思います。

最後に、念のためにもう一度書いておきますが、職業能力を高める努力は当然必要です。これは、PALCOMさんの記事にある通りです。しかし、これはあまりにも当たり前すぎる話です。その努力さえしないというのであれば、会社をクビになっても文句は言えませんし、転職や再就職の際に箸(はし)にも棒にもかからない恐れがあるからです。ただ、自分の能力を過信してはならないということです。実際のところ、「自分は優秀だ」と思っている、”自称・優秀な人”が実際に優秀であるケースは少ないと思います。

   *   *   *

このブログでもよく取り上げている山崎元氏は、12回も転職しています。

「私にとっての、三種類の転職。」12回転職に成功!の達人、山崎元(やまざき はじめ)さんによるコラム(DODA)
http://doda.jp/guide/yamazaki/005.html

山崎元氏の場合、まさしく、「労働市場における市場価値の高い人材」といえるでしょう。上記コラムの中で最も面白いと思ったのはこの部分。
———— 引用開始 ————
私の11回目(つまり前々回)の転職では、職場への出勤日時と個人的な活動(会社と利害が衝突しない副業を含む)を自由にしてもらう条件で、「それなり」の報酬を設定するような個別契約を会社と結ぶことにした。サラリーマンとして、会社からもらう報酬は、以前の三分の一くらいになったが、自分のフリー的な活動(自分が持っている会社でのものもあるし、個人として受ける仕事もある)の収入で、落ち込み分は十分カバー出来た。今のところ、仕事が細切れで忙しいのが難点だが、個人の立場で自由な発言が出来ることなど、収入の面も含めて、100%サラリーマンの時代よりも、「個人」をより強く確立できたことがメリットである。また、仕事に関して、ある程度のリスク分散がされていることも、隠れた長所だ。

この、いわば「半フリー」あるいは「マルチ勤務」とでもいうべき勤務形態は、将来、自分の健康状態や家族の状態に合わせて、自分のペースで働くことが出来る状態を、体力的にも余裕のある、いわゆる「定年」よりもかなり前から作っておきたい、ということも意識して考えたものだ。
通常、一つの会社が、死ぬまで社員を抱えてくれるわけではないし、仮に経済的に何とかなっても、それだけで本人が満足できるものでもない。また、一人一人の抱える事情や好みと、会社の要求が常一致するとは限らない。会社を離れた自分というものについて、思いを馳せることも必要だし、その時のための準備も大切だ。自分にとって働きやすい環境を作るための転職、という考え方もあることを、知っておいて欲しい。
———— 引用終了 ————

これが山崎元氏の一番特徴的な部分でしょう。これはまさしく、若いときから戦略的にキャリアを構築してきたからこそ可能になったことだと言えそうです。

一方、転職を繰り返すことに対して必ずしも賛同できないという向きもあります。以下に、山崎元氏の著書「会社は2年で辞めていい」の書評として書かれたサイトを紹介しておきます(下記サイトを参照)。

「会社は2年で辞めていい / 山崎 元」 books 『起業ポルノ』
http://d.hatena.ne.jp/T-norf/20080229/JobChangeY2
———— 引用開始 ————
これは著者自身が「自分は偉い」と勘違いしているようにすら思える。よほどの実力者じゃない限り、若いうちから何度も転職を繰り返すとキャリア上不利だし、実際にこういうことを考える人事採用担当は多いわけだから、1度目の転職の際に、しっかりと自分を成長させてくれる良い転職先を見つけて、2年毎に転職をするような事態は、実力がつくまでの間は、できるだけ避けるべきであろう。
     (中略)
仮に私が採用担当者だとしても、面接で見抜ける素質なんてたかが知れているので、職歴を圧倒的に重視するし、なんといっても著者が推奨するように、「2年でやめていい」と思っている人材を採るとしたら、業務を教える労力、業務を習得するまでのタイムラグもあるので、普通の人の3倍以上の生産性を発揮してもらわないと会社にとってプラスにはならないという問題がある。
     (中略)
本書の著者の山崎元氏は、東大卒でマッチョで、実力主義・個人主義な証券業界であっからこそ、コンスタントに転職を繰り返して、自分自身を成長させてくることができたのであって、そのため平均的なマッチョ度・スキルレベルの人で、普通の国内企業に勤めている人では実現できないノウハウが本書にはいくつか混じっているとの印象を強く受けた。
———— 引用終了 ————

さて、どちらが正しいのか。なかなか難しいところです。

まあいずれにしても、平均的な能力しか持たない平均的な人である限り、残念ながら市場価値はほとんどないとは思いますが。

   *   *   *
 
今回の記事を読んで、不快に思われた方もおられるかと思います。しかし、私が今回こんな記事を書いたのは問題提起を意図してのことです。硬直した労働市場という問題に関して、高度な学問的議論を行っているサイトはいくつもありますが、その多くがどこか他人事であるかのような印象を受けていました。そこで、あえて身も蓋(ふた)もない現実を書いた方がいいと思ったのです。私としては、雇用や労働・転職市場の問題が少しでもよい方向に向かうことを切に願っています。

*1:「収入の下落に合わせて生活水準を下げることができるか?」『貯金生活。投資生活。』
http://moneyfreedom.blog21.fc2.com/blog-entry-416.html

執筆: この記事はmasaさんのブログ『貯金生活。投資生活。』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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