「クリエイター」の二義性(メカAG)
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
「クリエイター」の二義性(メカAG)
よくネットで「誰でもクリエイターになれる!」という文言を見かける。「このグッズを買えば異性にモテモテ」みたいな。「モテる」というのは相対的なものなのだから、全員がモテるというのは自己矛盾だと思うのだけどね。ちなみに「幸せ」というのも相対的なものだ。
「誰でもクリエイター」というのはどうだろう?これは言葉のトリックがあるように思う。幼稚園や小学校の美術や工作の授業では「自分で」考えて作ることが推奨される。結果的に凡庸なものができても「自分で作った」ことが大事。まさに「クリエイト」することが大切(と、教わる)。
一方、社会一般でクリエイターというと、他人には容易に真似できないオリジナリティが連想されよう。もっとわかり易い表現だとアーティストかな。この場合「オンリーワン」であることが大事。ただクリエイト(創作)しただけではダメなのだ。
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で、「誰でもクリエイター」は、クリエイターという言葉の二義性を悪用しているんだよね。誰でも、本人のやる気さえあれば、創作はできる。絵を書くのも文章を書くのも本人の自由だ。
一方で世間からオンリーワンの存在として認められるには、もっと高いハードルがある。「誰でもクリエイターになれる!」という言葉から多くの人が連想するのは、「誰でもオンリーワンの存在になれる」だろう。少なくとも「努力次第で可能性はある」と考えてしまう。
なんか詐欺みたいだよね(笑)。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年04月22日時点のものです。
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