『カイジ』の鉄骨渡りに関する建築的考察

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マンガに描かれたシーンを建築の視点から見ると、このようになるのですね。『カイジ』は好きなマンガの一つですが、再度読み返したくなりました。今回は森山高至さんのブログ『建築エコノミスト 森山のブログ』からご寄稿いただきました。

『カイジ』の鉄骨渡りに関する建築的考察

『カイジ』というマンガがあります。

作者は福本伸行、元々麻雀(マージャン)マンガの世界でデビューした人ですが、麻雀(マージャン)といういわばゲーム、しかも賭博(とばく)、登場人物も数人で、背景はだいたい雀(ジャン)荘という密室を舞台にした設定、にもかかわらず圧倒的なその心理描写と、あっと驚く展開で読者の度肝を抜き、架空の物語なのに手に汗握らせ、恐るべき筆力でつむぎ出すその世界観と哲学に、生死を賭(か)けた強い描写が不可思議な感動を生み出す天才です。その福本氏のいわば出世作、大ブレイクした作品が『賭博黙示録カイジ』なんです。アニメ化に続きつい最近映画化もされております。

『カイジ』ファンの中では有名な「鉄骨渡り」というエピソードがあります。これはカイジたち多重債務者が借金をチャラにし、なおかつ賞金を手にするために挑む賭博(とばく)競技なのですが、上空に渡した一本の鉄骨を参加者が渡る、そして渡りきった者だけに賞金が手渡される。途中、他のライバルを蹴(け)落としてもかまわない、むしろ他人を蹴(け)落として自分だけが生き残ろうとするその人間模様に加えて、その鉄骨渡り競技を人間競馬と称しセレブ達がギャンブルをおこなっているという、まあ救いようのない設定なんです。

私の疑問というのはこの上空に渡しかけた鉄骨についてなんです。

最初の鉄骨渡りのシーン(「第60話:絶望」12ページ、「第61話:初歩」2ページ)では問題はないんです。どういうことかと言いますと、通常この25メートルくらいのスパンを一本の鉄骨でまっすぐ水平にとばそうとすると、もっと必要な鉄骨の梁(りょう)せいが250ミリくらいしかない。下図でいうところのH寸法がこれでは足りないんです。つまり真ん中が垂れる、だからちょうど梁(はり)の真ん中に柱が建ててありますよね。

そして、カイジたちの足元を見るとわかるように(「第63話:狂宴」13ページ)鉄骨の側面も閉じていて、上端に筋がはいっているのは、この鉄骨はH型鋼ではなく、溝型鋼というものを内側合わせにつかっているということがわかります。しかも段々渡りにくくするために先にいくにしたがって細くなるように合わせ面のフランジを薄くカット加工して溶接したものです。これはレーザーを使用しないと切れない、溶接時のゆがみも出さないような難しい加工なんです。

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全体の長さ25メートルですから、鉄骨の一般的な製造限界16メートルを超えていますので、両端のかかりの部分を含め14メートル材を真ん中の柱の位置で継いでいるのでしょう、この鉄骨への細工には寺銭でまかなっているとはいえ、かなり工事費用がかかっています。

「第67話:無謀」2ページの鉄骨を渡るシーン。ちょうどカイジが観客から押せ押せと言われて3人がもっとも接触した時点での250の溝型鋼材鉄骨の加重応力を構造計算してみました。スパン12.5メートル、真ん中のカイジをP1、カイジの前にいる11番の若者をP2、そしてカイジの後ろ12番の角刈りの人をP3とします。

使用した構造ソフトは有限会社ランドテックさんの「SSPANフリー版Ver.2.00」です。
http://www.mmjp.or.jp/landteck/download.html

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2センチ以下になっていますね。人間競馬鉄骨渡りのためだけの仮設構造物であるにもかかわらず、これを構築作業した鉄骨業者は建築基準法上のたわみ制限2センチ以内を守っているところが、さすが日本の建設業者ですね。

問題はスターサイドホテル22階で、ビルとビルの間に渡しかけられた鉄骨渡りのシーンです。ここでは22階の高さに鉄骨がまっすぐに渡しかけられていますが(「第71話:補血」2ページ、「第73話:嗜好」最終ページ)、当然そのような上空なので途中に柱を建てることはできません。とするなら前のシーンで検証した2倍のスパン25メートルに設定すると、この鉄骨は自重でも既に真ん中で18センチと大きくたわんで垂れることになる。

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しかもそこに3人が載っちゃった場合、30センチ近くも真ん中がたわみます。しかし、マンガの中ではそのようなことは起きていない。むしろビルとビルを渡る運命の道としてことさらまっすぐ伸びるよう描かれています。ここがこの「カイジ鉄骨渡り」の肝だと思うんです。

映画では、このあたりのシーンでいくつか設定がずいぶん違っているんですね。カイジを誘った遠藤(原作はおっさん)が女性になったりでキャストが異なっているのはまあいいとして、私が気になったのは映画ではこの鉄骨をあっさりトラス構造に変えてしまっていることです。それは、構造的にもたないから……非常に残念です。

トラス構造とは橋梁(きょうりょう)の橋げたに見られるように、上下の細材を斜め材ではしご状に組み合わせ、重量は軽くしながら梁(はり)の剛性を高める構造材の構成方法。だから、たわまないんだ、という判断からくる改悪。もう一度書きますが、映画では一本モノの鉄骨をあきらめ、あっさりトラス構造に変えてしまっている。非常に残念です。

一本の細い鉄骨を渡るというのが、このエピソードの醍醐味(だいごみ)なのに、実写ゆえの現実感を求めてしまった。

足を乗せる部分の巾(はば)こそ、同じく細いものだが、トラスでは、何か安定感、橋げたや工場の梁(はり)のようなちょっとした強さ感が生じてしまう、マンガで見せた細くまっすぐで、巾(はば)のない、逃げ場のない感じ、象徴性、高圧電流が通されているという70メートル上空の鉄骨の一本の線、その下は真っ暗な奈落(ならく)、生死を分かつ一本の線、そこを渡りきる、そういったきわどさが減じてしまっている。

それでよかったのか、『カイジ』なのに、福本伸行原作なのに、現実には、このゆるい橋げた状の鉄骨、そんな風にしかなりえないのか?

実は、現実的な解決方法はあったんです。プレストレス導入鉄骨梁(はり)というシステムです。
http://www.patentjp.com/07/N/N100002/DA10233.html
それは、高張力鋼という特殊な鋼材を使い、プレテンションを掛ける。鉄骨の端と端からねじ付きの異型棒鋼を使い引っ張り力を軸力として導入する。すると同じスパンで細い鋼材であっても、まっすぐ水平が維持できる可能性。カイジと石田さんを集中加重とみて積載してもいけたんです。

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これは数十枚の5円玉にひもを通し、その通したひもを手元に引っ張ることで、ばらばらの5円玉が金属棒のようにまっすぐになるのと同じ原理です。

高張力鋼とは、一般のJIS鋼材の引っ張り強度が300MPa(メガパスカル)程度であるのに比較し、700MPa(メガパスカル)とか1GPa(ギガパスカル)といった強度をもち、自動車や鉄道車両のフレームにも採用され軽量化を図ることを可能にしている。この鋼材の炭素、シリコン、マンガン、チタンなど微量な元素の配合は日本のハイテク技術の粋を集めた門外不出の技術といわれており(Wikiより)、アジア方面での現地生産はしていない。なお、1Pa(パスカル)とは、1平方メートルに1Nの作用する圧力の単位。

この高張力鋼を製造しているのは以下の二社
・JFEグループ(川崎製鉄と日本鋼管が統合)
 http://www.jfe-steel.co.jp/products/atuita/01-koucyo.html

・新日本製鐵グループ(住友金属と神戸製鋼と提携)
 http://www.nsc.co.jp/tech/challenge/transport/car_01.html

ねじつき異型棒鋼とは、いわゆるコンクリート工事用の鉄筋でコンクリートとの活着をよくするためについている節を雄ネジの形状に加工したもの。鉄筋と鉄筋を継ぐときに溶接によらずとも継ぎ手ナット部材により接合できる。作業現地での熱による圧接によらないため品質の確保ができる。プレテンションの心材としてねじ込むことで張力をかけることができる。このすごいネジ付きの高張力棒鋼を製造しているのはこの会社。

・東京鐵鋼
 http://www.tokyotekko.co.jp/products/product01.html

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つまり、どういうことかというと、このビルとビルの間に渡しかけた鉄骨の一本道というのは、主催者である利根川、しいては帝愛グループほどの資本力がなければ、なしえない仕掛け。見積もり的には軽く十数億は超えてしまう工事。それを、ただ眺めるために集まった、退屈をもてあましたというセレブの観客ひとりひとりから、ショーの料金としていくらぐらい集めたのか、ちょっと途方もない金額が想定されるのです。

高張力鋼の鉄骨を一般製作限界を超える25メートルで加工製造し、開業直前ということで既にタワークレーンが撤去されたであろうホテルの高層にまで吊(つ)り上げるゴンドラやチェーンブロック、屋上の足場、そして対岸の窓枠の下にアンカーされた床などの設置、それに加え鋼材にテンションのプレストレスを掛けるジョイント部材の開発、高圧電源の引き込みといったスペシャルな難工事。しかも、プレストレス導入鉄骨梁(はり)は特許工法。

これはもう、大手スーパーゼネコンの手を借りなければなしえない周到な準備工事が必要になっている。しかも特許工法を駆使して施工できたのは……ずばり言いますと、このカイジの鉄骨渡りの準備施工会社は、スーパーゼネコン『鹿島建設』に違いないということになります。

執筆: この記事は森山高至さんのブログ『建築エコノミスト 森山のブログ』より寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信

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