岩井圭也『真珠配列』の企みに唸る!
作者の企みが見えたとき、心地よい感慨が生まれた。
なるほど、そういうことなのか、と心の中で手を打つ。
ミステリーというのは全体像を最初から読者に見せようとせず、常にどこかを隠したまま進行していくものである。物語としてはいびつだ。そのいびつさが、心をひっかけるための鉤の役割を果たす。
岩井圭也『真珠配列』(早川書房)に仕掛けられた鉤を、私は見抜けなかった。それゆえに感心することしきりだったのである。
作中の時計の針は、2029年に設定されている。ごく近い未来である。少し先のこの世界では、遺伝子技術が現在よりも発達している。たとえば癌は、根治可能な病になった。骨折のような重大な怪我も、幹細胞移植によって外科的手術を伴わずに治すことができるようになっている。物語の中心がそこにあるため遺伝子学についての基礎的な説明が行われるが、専門知識を特段持ち合わせていなくても読み進めることはできるのでご安心いただきたい。
題名にある『真珠配列』とは、かつてゲノム学で流行したが、2029年の現在ではほとんど無視されている概念であると説明される。真珠配列とは「理想的なヒトゲノム」のことであり、それを持った人間は完璧なヒトになれる、という考え方だ。作中では1980年代に提唱されたとされているが、門外漢ゆえ実際に存在するものか否はわからずに読んだ。この概念が無視されるようになった理由はわかると思う。すべてのヒトが完璧を目指すということは、優性思想に他ならないからである。
物語の舞台は日本ではなく、中華人民共和国の北京だ。主人公の郝一宇(アーロン・ハオ)は北京市公安局刑事偵査総隊(犯罪捜査課)の捜査官である。巨大な官僚機構でもある中国の警察組織においては、出自やコネなどの人脈を持つ者がすべてにおいて優先される。そうしたものを持たない家庭の出身であるアーロンは、渇きにも似た上昇願望を持っていた。私生活のすべてが機会をつかんで出世することに捧げられていると言ってもいい。徐依鈴(クロエ・シュウ)と交際しているのもそのためだ。彼女の父は、警察機構の上層部にいる一級警監なのである。
この飢えた犬のような主人公が、不可解な事件を追うことになる。物語が始まった時点では、まだ犯罪かどうかもわからない一件である。前年二月から一年未満の間に、四人が亡くなった。死因はすべて悪性腫瘍、つまり癌である。前述したとおり、この時代には癌は根治可能な疾病で、それで亡くなる人はわずかになっている。しかも四人の病状は極めて急激に進行した。四人目の犠牲者である白沐阳が政治中枢にいる共産党幹部の子弟であったことから事は大きくなった。父親である政治局常務委員の白肖明が騒ぎ始めたため、何者かの作為によって引き起こされた可能性を鑑みて捜査する必要が生じたのだ。
功名欲がアーロンを駆り立てる。共産党幹部に接近する、またとない機会が到来したのである。他の捜査員に先んじて行動を起こしたアーロンに、上司は意外なことを命じる。外部協力者と組んで捜査を進めろというのだ。アーロンはやむなく、指定された遺伝子エンジニアを訪ねる。その協力対象と接触した瞬間から揉め事は始まった。ありえないことに、汚い言葉で罵られたのである。いきなり犬呼ばわりされた。
「この辺は警察官なんか見ない地区だから、慣れてないでしょ。きみらの給料じゃ逆立ちしても住めないし。繁華街の路地裏でオシッコしてるのがお似合いだよ。あ、水でも飲む? コップよりも、ワンちゃんはお皿のほうがいいかな?」
この男の名前はマリク・ヌアイマーンという。新疆ウイグル自治区の出身で、いわゆる少数民族である。それほど現代中国史に詳しくない人でも、ウイグル人が民族浄化の対象とされ、文化どころか存在すらこの世から消し去られそうになっている、という報道は目にしたことがあるだろう。マリクが警察という国家暴力装置の末端にいる相手に対して敵意を露わにするのは当然とも言えるのだが、漢民族であり、自らも決して恵まれた出自ではないという認識のあるアーロンは彼に対して到底寛大になることができない。ギスギスしたまま二人の協力関係が始まっていく。
バディものの基本である。最初から仲のいい二人が手を組んでも何もおもしろくない。お互いの第一印象が最悪だからこそ、後の展開に興味を惹かれるのである。果たして二人の間柄はどう変わっていくだろう。そうした関心を持ちながら読者はページをめくり続けるはずである。『真珠配列』を牽引する原動力は二つあり、一つは先に挙げた変死の謎だ。もう一つがバディものの基本形に則って書かれた登場人物配置である。この二つを絡ませることで作者はある仕掛けをしている。
そもそも、なぜ中国なのだろうか。そういう疑問を感じられなかっただろうか。物語の舞台はなぜ日本ではなく、わざわざ隣国に設定されているのか。小説家のやることに無駄は一つもない。この設定には絶対何かがあるはずだ、と思いながら私は読み進めた。そして小説のあるところで納得した。なるほどこれは現代の、そして現体制の中国でしか書けないタイプの物語だ。そうした意味では特殊なのだが、恐るべき普遍性を持っている。現代の中華人民共和国という金型に押し込めて、世界が戯画化されているとでもいうか。ここで扱われた心性はかの国だけではなく、遍在するものだろう。もちろん現代日本にも。
企みに気づかされるあたりから後のことは、展開も含めて書けない。読者に対するミスリードが完璧だ、とだけ言っておく。ミステリーの型に詳しい読者ほど騙されるだろう。もう一つ、警察小説として始まった物語が別の何かに化ける、ということも書いておく。物語に化学反応が起き、変貌していく過程にはひりひりするようなスリルがあった。知的関心が導く危機感への煽りが胸を潰すような圧を生むのだ。すごいスリラーを読まされたものである。多彩な作風を持つ岩井だが、長篇ミステリーとしてはこれが現在の到達点ではないか。こんなものを書ける作家なのか。お見それした。
(杉江松恋)
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