奥能登でバンライフに脚光。”移動しながら暮らす旅”が、能登半島地震の復興支援に

能登半島地震から600日を超え、1年9カ月がたちました。復興への道のりを歩む奥能登で、車で移動しながら暮らす「バンライフ」の施設に注目が集まっています。バンライフとは数年前から話題になっている暮らし方。“住める駐車場”をコンセプトにしたバンライフ拠点「田舎バックパッカーハウス」を運営する中川生馬(なかがわ・いくま)さんにお話を伺いました。
バンライフの拠点、能登半島地震で甚大な被害
バンライフとは、バン(荷室があるクルマ)とライフ(暮らし)を組み合わせた言葉で、好きな場所で車中泊をしながら暮らすライフスタイルのこと。2008年以降にアメリカで広まり、日本でも2011年の東日本大震災以降に少しずつ広がりを見せています。
“住める駐車場”をコンセプトにした「田舎バックパッカーハウス」は、バンライフの拠点として、2019年に誕生しました。現在は10台分の駐車場のほか、母屋(共用スペース)でトイレやシャワー、キッチンなど車中泊で過ごすための生活インフラを提供している施設です。
「バンライフではクルマの中で仕事も食事も就寝もできますが、課題となるのは、炊事やトイレ、シャワー、ごみの処理などです。そこで田舎バックパッカーハウスで車中泊で必要な生活インフラを補っていくことをめざしました」(中川さん)
バンライフはそれぞれが好きな場所で過ごすわけですから、同じ場所で長く過ごすわけではありません。中川さんは古民家を改修して生活インフラを提供する共用スペースにし、一度に10台が車中泊できる、さながら“バンライフのシェアハウス”とも呼べる場所にしました。

田舎バックパッカーハウスの今後の構想イメージ。右にある家=田舎バックパッカーハウスの設備を共用で利用できる。左側は宿泊者の自室となるバンやキャンピングカーを止める“住める駐車場”スペース(画像提供/中川生馬さん)

水回りなどの生活インフラは田舎バックパッカーハウスで補いながら、能登の各地への観光を想定。田舎バックパッカーハウスは“住める駐車場”の機能を果たすが、各地へバンやキャンピングカーが観光へ行けばモビリティ宿泊施設=“動くホテル”となる(画像提供/中川生馬さん)
データを見ると車中泊ニーズは伸長し続けています。国内のキャンピングカーの保有台数は2016年には10万台を超え、2024年には16万5000台に達しています(一般社団法人日本RV協会調べ)。
大手コンビニチェーンがコンビニ駐車場を活用した車中泊スポットの実証実験を開始するなど、需要の多様化と潜在的な市場の大きさがうかがえます。

地震前の田舎バックパッカーハウスの様子(写真提供/中川生馬さん)
田舎バックパッカーハウスは、2019年からのべ1200人以上が利用し、ローカルエリアの宿泊・交流拠点として、一つの集落のような活気で満ちていました。しかし、2024年1月1日、能登半島地震により状況は一変。施設の核だった母屋が大規模半壊(全壊の次に深刻な被害認定)という甚大な被害を受けました。
母屋を取り壊し、奇跡的に持ちこたえた納屋を改装して2025年4月に再オープンしたのです。

地震直後の田舎バックパッカーハウス周辺の道。現在は修復しました(写真提供/中川生馬さん)
再オープンに際し、電気、シャワー、リビング、トイレ、キッチンなどを2階建てのガレージに整備し、さらに初めてキャンピングカーを2台導入。うち1台は、東日本大震災で被災した岩手県在住の知人から「中川さんのチャレンジを応援したい」と貸し出しを申し出てくれた、復興のバトンをつなぐ1台です。
崩れた母屋を取り壊した跡地には、車中泊できる駐車スペースを以前の4台分から10台分へと増設。被災を乗り越え、再び動き始めました。

再生した田舎バックパッカーハウス(写真提供/中川生馬さん)
奥能登観光の起爆剤に? 3つの意義
再生した「田舎バックパッカーハウス」には、3つの役割があります。
(1)奥能登観光の拠点、(2)泊め置き可能な宿泊施設、(3)災害時のシェルターです。
中でも、(1)奥能登観光の拠点としての役割は非常に重要。奥能登は、能登半島の先端に位置する珠洲市、輪島市、能登町、そして穴水町の4市町を指します。ご存じの通り、能登半島地震で甚大な被害を受けたエリアです。
奥能登は半島の最果てという地理的特徴から、独特な文化や伝統が色濃く残る地域でもあります。日本を代表する漆器である輪島塗、夏から秋にかけて各地で繰り広げられる勇壮な能登のキリコ祭りなど、ここでしか味わえない「濃い体験」ができるスポットが数多く存在します。

近所の海沿いから見える立山連峰。冬は雪景色と海のコントラストが美しく、海沿いの車中リモートワークもおすすめだそう(写真提供/中川生馬さん)
中川さんによると、被災後は観光に必要な宿泊施設が「壊滅的な状況」にあるといいます。中川さんが近隣自治体に電話で確認したところ震災前に奥能登全体で約160件あった宿泊施設は約60件にまで激減していたそうです。
さらに、稼働している宿泊施設も復興作業の関係者で埋まりがちなため、観光目的で宿泊できる場所はごくわずかだそうです。
「まずは2台のキャンピングカーを貸し出し、『動くホテル』のように活用されることを期待しています。地域経済を回していくことを考えたら、観光で訪れた方々に、できるだけ長く奥能登に宿泊していただくことをめざしたい」と中川さんは語ります。

リニューアルを機に新たに導入されたキャンピングカー2台(写真提供/中川生馬さん)

夏休み中に復興ボランティアのため能登にきた大学生たち。キャンピングカーを宿泊拠点として滞在した(写真提供/中川生馬さん)
復興支援と観光を両立する奥能登
復興の現状について、中川さんは「徐々に復興のフェーズに入っている」と説明します。
一方で、能登半島地震の後、「被災地へ観光に行くと迷惑になるのでは?」と観光客が躊躇する声が多いのも事実です。しかし、中川さんは「ぜひ宿泊して奥能登を巡ってもらいたいというのが地元の思い」だと強調します。

輪島の朝市(写真提供/林田さん)
中川さんから教えてもらった奥能登のおすすめ観光スポットは、穴水町の「能登ワイン」、日本の棚田百選であり国指定文化財名勝の輪島市「白米千枚田」、珠洲市の「禄剛崎」や「見附島」。
そして、日本で唯一、一般の自動車で砂浜の波打ち際をドライブできる「千里浜なぎさドライブウェイ」は外せません。
地元のスーパーに並ぶ新鮮な刺身や野菜、冬からゴールデンウィーク過ぎまでの牡蠣シーズンにはバーベキューもぜひ体験してほしいとのこと。この地ならではの食体験も大きな魅力です。
観光客の訪問が経済的な復興支援に直結するという側面があることも、私たちは決して忘れてはならないと感じました。

能登かきは焼くときゅっと締まり、ぷりぷりとした食感が味わえる。地元では「一斗缶入り」という、かきの宝庫らしい大胆な購入が可能(写真提供/中川生馬さん)

2025年お盆中の一枚。夕食は滞在者同士で食材をシェアしたバーベキューが醍醐味(だいごみ)(写真提供/中川生馬さん)

2025年お盆中の一枚。バンとキャンピングカーが並び“住める駐車場”の風景(写真提供/中川生馬さん)
「バンライファ―」が能登に根付いた理由
中川さんは、東京にてソニーなどで会社員として勤務した後、31歳で退職。2年半にわたるバックパッカー生活を経て、2012年にはバンを生活拠点とする「バンライフ」をスタートさせました。
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2013年に妻の結花子さんと石川県穴水町へ移住。バックパッカーとして訪れたこの地で、豊かな自然と食、そして人との出会いが転機となりました。

ハイエースをベースにした車内でのバンライフ(写真提供/中川生馬さん)
2024年1月1日の能登半島地震発生時、中川さんは妻と2人の娘さんとともに鎌倉の実家に帰省しており、人的な被害は免れました。しかし、バックパッカーハウスを運営する中川さんの元には、地震発生当日から電話が鳴り止みませんでした。
「被災支援や報道関係者の宿泊は可能か、といった問い合わせが1月2日、3日と鳴り続けました。僕は帰省中で自分の施設の状況も分からない。友達の家族や近所の人たちがどんな状況かも心配でした」
居ても立ってもいられない。中川さんはホームセンターで15万円分ほどの飲食物やブルーシートなどを購入し、車に積み込みました。キャンピングカー関連の仕事を行っている背景から、ポータブルバッテリーの提供者も募り、必要な物資をかき集めると、1月3日夜中に関東を出発。こまめにガソリンを入れながら慎重に運転を続け、1月4日午前に穴水に到着すると避難所になっていた保育所や小学校、移住先の集会所など各地を回り、飲食物やバッテリーを届けました。

1月3日、水やブルーシート、食料を詰め込み、単身能登へ戻った(写真提供/中川生馬さん)
疲労感のなか夕方にようやく運営するバックパッカーハウスにたどり着くと、玄関ドアや家財は倒れ、壁は剥がれ落ちていました。古い床を直し、直前の10月には薪ストーブを導入したばかり。冬の能登暮らしをどう伝えようかと楽しみにしていた矢先の地震でした。

地震直後の田舎バックパッカーハウス(写真提供/中川生馬さん)

(写真提供/中川生馬さん)

(写真提供/中川生馬さん)
「能登は大切な地元だから」被災支援に自宅を開放
鎌倉出身の中川さんと、青森出身の妻・結花子さん。能登に生まれながらの縁はありませんでした。
「能登は10年以上過ごした僕の家族の棲み処です。ここが大切な拠点でした。身を置いた時間があった分、ここが地元、という揺るぎない感覚がありました」
娘さんたちが生まれ育った場所。家族のように大切な人たちもいる。
鎌倉に帰省していた妻の結花子さん、当時10歳と3歳だった娘さんたちも、1月8日には能登に戻ってくることを決意したといいます。
中川さんは、被害が少なかった自宅をすぐに被災支援者や報道関係者に開放。1月から4月にかけては、常時10人ほどが入れ替わりながら滞在しました。中には到着すると「1週間ぶりにシャワーを浴びることができる」と笑顔を見せる人もいたそうです。
「不安に感じることも多い時期でしたが、彼らがいてくれることで、こちらも気持ちが助けられた部分は大きかったですね」と中川さんは振り返ります。

地震による停電中の一枚。夜空が美しかったと中川さんは話す(写真提供/中川生馬さん)
地域活性の鍵を握る「モビリティ住宅」の可能性
今回再生した共用スペースとなる施設は、地震で被害が少なかったガレージ部分を改装してつくりました。
改装のための大工作業では、中川さん自身も職人さんのアシスタントとなり、作業を続けたといいます。被災地での職人不足は深刻で、「自分で動かないといつまで経っても施設が完成しない状況だった」と振り返ります。
「次は何日に来れそうだから、それまでに木材用意しといてくれ、と言われて、自分で木材も調達しにいきました。その大工さんは輪島で被災して、2024年9月の豪雨で家が流され本当に大変な状況でした。そんななか、年末に田舎バックパッカーハウスのために作業をしてくれました」と中川さんは振り返ります。
2月に水道が使用可能となり、3月に給湯設備が完成。念願の営業再開にこぎつけました。

新しい田舎バックパッカーハウスの様子(写真提供/中川生馬さん)

(写真提供/中川生馬さん)

(写真提供/中川生馬さん)
宿が足らないのであれば宿泊施設を建築するという方法がありますが、中川さんは田舎で次々と新築施設を建てることには懐疑的です。
「過疎が進んでいるのに新しい建物をつくっても、いつかは『ハコだけ残るまち』になってしまうのではないでしょうか。これはどの地方でも同様だと思います。莫大なコストをかけて一からホテルを建てる、というのではなく、可動域が高く変化対応力がある施設こそが地域活性の鍵となると考えています」
新しい施設を建てるのではなく、“可動産”となる「動くホテル」。そして、モビリティが社会に浸透していく可能性を探る「住める駐車場」、という2つのコンセプトで地方で施設を運営する田舎バックパッカーハウスは、その試金石となる場所でもあります。

バンは好きな場所に移動できるどこでもホテルにもなる(写真提供/中川生馬さん)
利用者の声「田舎に求めるものが全てある」
「住める駐車場」がある田舎バックパッカーハウスの魅力は、一体どんなところなのでしょう? 利用者の声を聞いてみました。
お話を伺ったのは、神奈川県横浜市在住の林田さん。
これまでに「田舎バックパッカーハウス」を4回利用しているリピーターです。
もともと中川さんの友人であり、誘われて7年前に初めて訪れて以来、今では夫と3人のお子さん、家族5人でお盆の時期に何度も訪れているそうです。林田さんもご主人もともに都市部出身で、「帰省する田舎がなかったんです」と話します。
「もともとアウトドアは好きでしたし、夫は釣りが好きなんです。子どもたちを連れて訪れるうちに、ここが自分たちにとって『帰る田舎』になったな、と感じました」

能登の海とご家族(写真提供/林田さん)
最初は能登の豊かな海や自然に引かれて足を運んだそうですが、訪れるたびに、バックパッカーハウスで偶然居合わせた人々との出会いが、旅の大きな魅力になっていったといいます。昨年の夏もレンタルキャンピングカーで訪問し、偶然同じ時期に滞在していた7人の若者たちと出会い、仲良くなったそうです。
「行くたびに、いろいろな地域、年代、職業の人と出会えるのは本当に魅力的ですね。利用者同士でバーベキューをしたり、現地で知り合った家族の子どもが『おなかすいたー!』と言えば一緒にご飯を食べたり。都市部で暮らしているとなかなかできない経験です」

現地で知り合った子ども同士。すぐに仲良くなる(写真提供/林田さん)
能登の魅力を聞くと、林田さんはこう教えてくれました。「田舎に求めるものが、ここには全てそろっているんです」
「首都圏から地方へ出かけようと考えたとき、甲信越や東北が思いついても、能登が候補に挙がることはまだ少ないかもしれませんよね。でも、お盆でも混雑しないですし、オーバーツーリズムの心配もありません。それでいて、田舎らしい暮らしができる環境が、ここには全部あるんです。まだまだ、能登には穴場がたくさんあるな、と感じています」

(写真提供/林田さん)
昨年の訪問では海岸の隆起や道路状況など、地震後の現地の様子を目の当たりにし、林田さん家族にとっての「大切な田舎」のこれからに危機感も生まれたといいます。
今年のお盆にも家族で訪れた林田さん。新しく導入された「田舎バックパッカーハウス」のキャンピングカーで宿泊することを子どもたちも楽しみにしていたと教えてくれました。
このキャンピングカーは、カーシェアサービスのカーステイで予約できます。素泊まりで2名8500円からで、走行利用も選べば9100円から(別途 保険料・システム手数料)。キャンピングカーを拠点に移動しながら、奥能登の豊かな自然や文化を巡るのもよさそうです。なお車中泊は1泊4000円からで、長期滞在には割引もあるとのことです。
中川さんという地元の案内人がいなかったら、地元ならではの体験やリピーターとなって訪れるという機会はなかったかもしれない、と林田さんはいいます。
地元ならではの体験をしたいという需要は、体験型観光やローカルツーリズムの人気から近年注目されています。
地域ならではの自然、文化、歴史、食、そして人という資源を活かし、観光客に深い体験を提供する。そんな観光体験をモビリティという手法でチャレンジしていくことは、これから多くの地域で注目されていくかもしれません。

能登ワインの畑そばの芝生で段ボールそり。気持ち良さそうです(写真提供/林田さん)
小さな拠点から生まれる、奥能登の大きな未来
現状、再生した田舎バックパッカーハウスの訪問者数は、以前からのリピーターが多いものの、新しい訪問者はまだ少ない状況だといいます。
能登半島地震からの復興はまだ道半ばですが、地域のモビリティ宿泊施設の可能性を体験できるだけでなく、奥能登の観光を後押しする重要な拠点となりつつあります。
ぜひ、この機会に奥能登を訪れ、新しい旅のスタイルと復興への歩みを体感してみてはいかがでしょうか。
現地での「人との出会い」もきっと、忘れられないものになりそうです。

(写真提供/中川生馬さん)
●取材協力
田舎バックパッカーハウス

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