佐賀市呉服元町が賑わいを取り戻すまで|行政と連携しながら自ら投資で「10年続ければ街は変わる」を証明 建築家・西村浩インタビュー【2】

建築家は建物の設計を依頼されて、その対価として設計料をもらい生計を立てるのがふつうだ。これに対して、ワークヴィジョンズ・西村浩(にしむら・ひろし)さんは自らがプレーヤーとして佐賀県佐賀市のまちづくりへ投資し、事業を興し、再生に取り組んでいるという。ふるさとだからこそ不退転の決意で取り組んだ。「小さな変化を少しずつ起こせば10年で街は変わります」。佐賀の中心市街地、呉服元町における挑戦について振り返ってみよう。
■関連記事:
「SAGAサンライズパーク」が”佐賀の誇り”になるまで|Perfumeライブで全国の観客が称賛。開業2年で地価1割上昇 建築家・西村浩インタビュー【1】
市民からもらった1通のメールが、ふるさと・佐賀に関わる転機に
「いちど、佐賀に戻ってきて、佐賀のまちづくりについて相談にのってもらえないだろうか」。15年ほど前、西村浩さんのもとに佐賀市のいち市民から1本の電話がかかってきたという。
2009年、ワークヴィジョンズ・西村浩さんが手がけた「岩見沢複合駅舎」(北海道岩見沢市)は、同年の「グッドデザイン大賞」を受賞した。このほかに、日本建築学会賞(作品)、北海道建築賞、鉄道建築協会賞・最優秀協会賞」などのほか、国際的なブルネル賞、アルカシア建築賞などそうそうたる多くの栄誉に輝いた。「ワークヴィジョンズ・西村浩」の名が一躍、建築界に知れ渡った。
「佐賀新聞」は、佐賀市出身で活躍する新鋭の建築家にインタビューして、その人となりを紹介する記事を掲載した。
連絡をくれたのはこの記事を読んだ、当時、佐賀市で飲食店を営む男性だった。
「岩見沢複合駅舎」は、かつて石炭産業を背景に物流を支え繁栄を極めた「鉄道の街」岩見沢の4代目駅舎である。
3代目駅舎が焼失したため、2004年度、JRグループとしては初のデザインコンペを行った。人口減少の進む岩見沢にあって、「鉄道駅」としての機能だけでなく「地域の交流拠点」の機能を求めるとされた。発注者はJR北海道と岩見沢市だ。
このコンペの、最優秀賞を勝ち取ったのがワークヴィジョンズだった。設立からわずか5年、西村さん37歳での快挙だった。
西村さんは、この提案をベースとしつつも、岩見沢に暮らす市民や鉄道利用者などと地道で息の長い対話を行い、設計を練り上げて完成までには5年の歳月を要した。この駅舎は、建築としてのデザインはもとより、その設計や完成までのプロセスについて高い評価を得たのだ。

ワークヴィジョンズが設計した岩見沢複合駅舎。グッドデザイン大賞や日本建築学会賞(作品)のほか数々の賞を受賞した(写真:Shigeo Ogawa)
佐賀へ通い対話を重ねる。1年後に小さな仕事が
西村さんは「ボクの記事を読んでくれた佐賀の方から声をかけてもらえたのは嬉しかったです。ともかく、佐賀に帰りその方と会って、街への思いを聞きました。ただ、何か仕事があるわけじゃない。夜は飲みましょうとなりますよね。そうすると近しい仲間を呼んで…となるわけです」。
そうして何度か佐賀に通ううちに、飲み会には市役所や県庁の職員も入れ替わり参加してきて意見を交わすようになったのだという。「思い返せば、1年くらい飲んでるだけでしたね」と笑う。
こうした飲み会をきっかけにことは動き出した。
佐賀市の商業地・繁華街であった呉服元町地区は、昭和30〜50年代に繁栄を極めた。西村さんが幼少から大学進学によって東京へ出るころまでアーケードの商店街はとても賑わっていた。
ただし、いまでは全国の地方都市でよく見られる、空き店舗や空き地が目立つ寂れた商業地に変わってしまった。モータリゼーションの進展と、住民が郊外に住宅を構えて移動したことで、郊外の大型ショッピングセンターに客足を奪われたのだ。
呉服元町に訪れる人は減り、空き店舗が空き地になり、駐車場となり、殺伐とした風景にますます人が来なくなる。クルマ社会だからと駐車場が増え続け、競争によって駐車場の価格も下がり続ける悪循環。これに西村さんが目をつけ、佐賀市が動いた。空き地を市が賃借して、ここを市民の交流の場として人の流れを呼び戻そうというのだ。

佐賀市のアーケード商店街の様子。2010年ころ。かつて賑わいを見せた商店街は、空き店舗や歯抜けのような空き地が目立った(写真:ワークヴィジョンズ)

佐賀市の中心市街地の空き地の多くは、駐車場として使われていた(写真:ワークヴィジョンズ)
西村さんは、佐賀市からこのプロジェクトを任された。ただしかけられる予算は大きくはなかった。
西村さんが提案したのは、殺風景な空き地に芝生を敷き、そこにコンテナを並べて、その周りに木製のデッキを敷くというシンプルなものだった。
「市民に呼びかけてイベント化して子どもたちと一緒に芝生を敷きました。コンテナは空色にペイントして、中には絵本を置いて、子どもと親たちが気軽に集まって楽しめる施設としました。運営は佐賀のまちづくり会社、そこで活動するのは、ママと子どもたちです」(西村さん)。

子どもたちと一緒に芝生を敷いた(写真:ワークヴィジョンズ)
広場に置いたコンテナは6基。テーブルと椅子、パラソルを置くと、子連れの市民がたくさん集まり、平日の日中の閑散としていた界隈に小さな賑わいが生まれた。
この小さなプロジェクト「わいわい!!コンテナ1」(2011年)は、グッドデザイン賞を受賞した。

コンクリートの駐車場に芝生を敷くことで即席広場が!「わいわい!!コンテナ1」(写真:ワークヴィジョンズ)
呉服元町という小さなエリアの再生。自ら出資・事業を担い不退転の決意
佐賀市は、この成功をきっかけに、翌年には少し離れたところに「わいわい!!コンテナ2」(2012年)を展開した。これが、西村さんが10年以上に渡って取り組む呉服元町の最初のプロジェクトであった。

呉服元町の通りに沿った最初のプロジェクト「わいわい!!コンテナ2」。こちらは「読書コンテナ」と「交流コンテナ」を置いて市民の交流・憩いの空間をつくり出した。佐賀市をくまなく巡るクリーク(水路)に面している(写真:ワークヴィジョンズ)

「わいわい!!コンテナ2」のウッドデッキで遊ぶ子どもや親たちの様子。西村さんがいちばんに目指すのは「そこに集う人々の幸せ」なのだという(写真:ワークヴィジョンズ)
さらに呉服元町の通りの北端角に、西村さんはやはりコンテナを使ったコワーキングスペース・シェアオフィス「マチノシゴトバCOTOCO215」(2013年)を開設した。これは、公共事業ではなく、ワークヴィジョンズの自主事業だという。
「自ら出資して、土地を借りて場をつくり、シェアオフィス事業を始めることで、ふるさとの佐賀に腰を据えて関わることになりました。設計の依頼仕事を請け負いでやるだけでなく、自らこの佐賀、そしてかつて賑わいを見せた呉服元町の再生に覚悟を持ってコミットしようという決意でした」と打ち明けてくれた。
同年には、「わいわい!!コンテナ2」に近接して、商業ビル「GENIUSLAB(旧THE SAGAN)」(開設当初はスポーツバーでTシャツなどを販売)を設計した。こちらの建物は、現在は障害のある子どもたちが作品を制作するアトリエであると同時に、アート作品を展示販売するショップとしても活用されている。

「GENIUSLAB」(ジーニアスラボ)は、就労継続支援B型事業所だ。2024年4月からこの建物に入居する。2013年の新築時は地元サッカーチームのスポーツバーとして建設された(写真:藤本幸一郎)
空き店舗のリノベーション再生で60人の雇用を創出
新築だけではなく、空き店舗のリノベーションによる再生も手がけた。通りに面して10年間空き店舗になっていた元呉服店の4階建ての建物(床面積約1200平米)であった。
この再生に当たっては、ビルオーナーから、新会社を設立して建物を借り受け、国が行う民間都市再生整備事業計画の認定・佐賀市の補助金も活用するなどして、改修に取りかかった。
新会社「オン・ザ・ルーフ株式会社」には、ワークヴィジョンズが出資し、その代表取締役に西村さんが就任した。
2018年には、1階にカフェ、2階をフォトスタジオ、3階はダンススタジオ、4階を個室型シェアオフィスへのリノベーションが完成した。屋上が眺望の開けた気持ちよいビルであったので「ON THE ROOF」(オンザルーフ)と命名し、屋上を解放、イベントも行えるようにした。この建物だけで、若者たちを中心に約60人の新規創開業・雇用を生み出したという。

10年間空き店舗だった4階建ての呉服店ビルをリノベーションして、「ON THE ROOF」と命名。1階にはカフェが入居する。60人の雇用を創出した(写真:Shigeo Ogawa)
オランダと佐賀の文化交流の総合ディレクターに
2018年は、明治維新150周年を記念して、干拓・水利事業や陶磁器の輸出などで関係の深いオランダと佐賀の交流年とされた。
佐賀県の行うこの事業において、民間施設である佐賀銀行旧呉服町支店をギャラリーに改装し「オランダハウス」としてメイン会場とした。約10ヶ月間、佐賀とオランダの文化交流を伝える展示やオランダ人クリエーターの創作活動の公開スペースなどとして活用した。
西村さんはこの会期中、オランダハウスの総合ディレクターに就任して活躍した。オランダのアートディレクターや大使館との関係を再構築しながら、アートを通じて佐賀とオランダをつなげる役割を担った。

西村さんは約2年にわたって「オランダハウス」のディレクターとして、アートを通じて佐賀とオランダをつなげる役割を担った(写真:ワークヴィジョンズ)

「オランダハウス」の脇には、オランダと佐賀に共通する街なかを巡る水路(クリーク)があり、桟橋を設けてイベントに活用した。土木出身の西村さんならではのアイディアだ(写真:ワークヴィジョンズ)
「10年続ければ街は変わる」ことを自ら証明
2019年10月からは、おおよそ月に一度、道路空間を使って「呉服元町ストリートマーケット」を開催している。
この通りに空き地や駐車場が増えて「空き」だらけであったことから、2020年には、駐車場で通りに面するところに平屋の“小屋”を建設し、そこにワークヴィジョンズが運営するベーグル専門店「MOMs’ Bagel」(マムズベーグル)を開業した。また、近隣で営業していたハンドメイド雑貨店「SUSIE」(スージー)は近傍で広い店舗を探しており、引っ越しをして、一緒に「ママと子どもたちの場所」をつくることになった。
この平屋店舗の整備によって、通りの歯抜けした空きが埋められて、賑わいとともに、通りの雰囲気が一変した。

月に1度開催される「呉服元町ストリートマーケット」の様子。右側の平屋の建物は、駐車場の通り際に建てた“小屋”。通り沿いを歯抜けにしないこと、駐車場というバックヤードを裏に隠すことで、賑わいや通りの雰囲気を向上させた(写真:ワークヴィジョンズ)

平屋の木造建物には、ワークヴィジョンズが運営する「MOMs’Bagel」(現在はシェアキッチンとして運営)と、ハンドメイド雑貨店「SUSIE」が入居する。「SUSIE」のママ店主と西村さん(写真:藤本幸一郎)
「小さなエリアですが、建物の整備や活動を積み重ねると、この地域は何か変わったな…と感じ取って人々が集まってきます。地道に10年続ければ街の風景が変わることを少しは証明できたのではないでしょうか」と話す。
また、ワークヴィジョンズが手がけた通りの環境改善の波及効果から、呉服元町には西村さんが直接関わらないレストランなどの新規出店も出てきた。

取り組みを始めて10数年。2021年ころの呉服元町界隈の整備状況。点から線へつながっていき、延長200mほどの通りに賑わいが戻ってきた(資料:ワークヴィジョンズ)
次なる目標は、子育て層が暮らせる住宅建設
西村さんが、次に目指すのは、呉服元町周辺に住宅をつくることだという。「商業が再生し、街に賑わいが生まれてきました。ただ、夜には人がいない。むかしは、商売をしながらこの地に人々が住んでいたんです。ですから、ここに住宅を建てて、子育て層に住んでもらえば、多様な世代が暮らし、街の担い手としてのバトンを受け継ぐことができる、ほんとうの意味で街の再生につながります」と話す。
傍らでこの話を聞いていた「SUSIE」のママ店主は、「えっ、この街に住宅をつくるんですか!?まわりに、私と同じように、この辺りに住みたい家族がたくさんいます」とうれしい反応があった。中心市街地に若い人たち向けの適当な住宅がなかなかないという。
西村さんの、呉服元町の再生に向けた取り組みは、まだまだ続きそうだ。
●取材協力
ワークヴィジョンズ
■関連記事
「SAGAサンライズパーク」が”佐賀の誇り”になるまで|Perfumeライブで全国の観客が称賛。開業2年で地価1割上昇 建築家・西村浩インタビュー【1】

~まだ見ぬ暮らしをみつけよう~。 SUUMOジャーナルは、住まい・暮らしに関する記事&ニュースサイトです。家を買う・借りる・リフォームに関する最新トレンドや、生活を快適にするコツ、調査・ランキング情報、住まい実例、これからの暮らしのヒントなどをお届けします。
ウェブサイト: http://suumo.jp/journal/
TwitterID: suumo_journal
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。