罪を犯した女性の流転の半生〜佐藤正午『熟柿』

 佐藤正午氏の新刊小説が刊行されると聞いて、嬉しさを通り越し動揺してしまったのは私だけだろうか。『鳩の撃退法』(小学館)が2014年、『月の満ち欠け』(岩波書店)が2017年、『冬に子供が生まれる』(小学館)が2024年である。5年以内に次の小説が出たら御の字だなくらいに思っていたのに、1年と少しで新刊を手にできるなんて、なんかの間違い?……ではなかった。

 2016年から、長い時間をかけて連載された小説である。どこにあるのかわからない物語の尻尾を、必死に探し回るように読むのが佐藤正午作品の醍醐味と思っていたけれど、この小説はそうではない。罪を犯した一人の女性の約17年間が描かれている。流転していく主人公の人生に、伴走しているような気持ちで読み耽った。

 物語は2008年の秋から始まる。主人公のかおりは、親戚の葬儀に夫とともに参列している。亡くなった晴子伯母さんは嫌われ者だ。精進落としの場に哀しみを分かち合うような雰囲気はない。15歳の時に交通事故で両親を亡くし、大学に入学するまでは叔父夫婦の家で暮らしたかおりだが、警察官の夫と結婚し翌年には子どもが生まれることになった。そのことを親戚たちに祝われて、夫は次々に酒を注がれる。カラオケ大会が始まり、大学生の従兄弟が晴子伯母さんが大切にしていた庭の柿の実を使ってジャグリングを披露すると、ついに近所の老人が怒りはじめ「罰が当たるぞ」と捨てゼリフを吐いて帰ってしまう。

 かおりの運転で帰宅することになるが、外は大雨で、夫はすっかり酔い潰れて寝入っている。友人からかかってきた深刻な内容の電話に気を取られ、幻影のように道を横断しているおばあさんを撥ねてしまう。なぜか柿の実を抱えた姿に晴子伯母さんが重なり、動揺したかおりは現実を受け止められない。車を降りることをせず、そのまま運転を続けて自宅に帰ってしまうのだ。

 被害者は亡くなっており、かおりは逮捕される。夫は事故に気づかなかったというが、裁判が終わった後に辞職した。子どものためと言われて、かおりは差し出された離婚届にサインをしてしまう。服役中に産んだ息子は夫とその再婚相手に育てられられており、刑期を終えた後も会うことが許されない。ひとめ息子に会いたいという思いからとってしまった行動のせいで、かおりはパトカーに乗せられる事態を、二度も引き起こしてしまう。

 葬儀の日、叔母が勧めてくれたように泊まっていれば、友人からの電話に出ていなければ、夫と子どもと一緒に穏やかで幸福な暮らしをしていたはずだ。事故の後にすぐ車を降りて適切な行動をしていれば、もっと別の展開があったのだろう。もう少し冷静に振る舞っていれば、そう遠くない日に息子に会うこともできたかもしれない。かおりはやるべきでないことをし、その結果を自ら背負うことになったのだ。だが、自分なら絶対にそんな愚かなことはしないと、自信を持っていえる人はどれくらいいるのだろう。時間を戻すことができれば、誰だって正しい選択ができるだろう。だけど、それは決してできないことだ。

 息子への思いを募らせるかおりに、手を差し伸べ気にかけてくれている人もいる。細い糸でつながっているような人々を頼りに、かおりは仕事場を見つけ懸命に働く。理不尽な出来事も起こる。過去が思わぬ形で知られてしまい、居場所を失うこともある。それでも、息子のことを思いながら、投げ出さずに生きようとする。やがて、過去を人に明かすことができずにいるかおりにも、大切にしたいことができてくる。

 「罪と向き合う」
 過ちを犯した人に向けられたり、反省の意を示したいときによく使われるフレーズだ。自分には関係ないと思っていたその言葉の意味に、かおりの半生を通して初めて近づけた気がしている。長い時間をかけて向き合わなければならないことは、誰にだってあるとのだいうことにも気づかせてくれた。柿の実が少しずつ熟して柔らかくなり、やがてぽとりと落ちるところまでを、見届けたような読後感である。

 (高頭佐和子)

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