三転四転の犯罪小説〜ジョン・ブロウンロウ『エージェント17』
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おお、これぞ犯罪小説。
ジョン・ブロウンロウ『エージェント17』(武藤陽生訳。ハヤカワ文庫NV)を、題名と裏表紙のあらすじだけ見て、国際謀略小説のたぐいか、と放置していた。読んでみたらまったく違ったのである。
—-スパイというのは君が考えているような仕事じゃない。
という書き出しで小説は始まる。「君が考えているような仕事」じゃなくてどうなのかということがこのあと縷々語られていき、章の終わりでちょっとした落ちがつく。その語りが才を鼻にかけた作家の書きぶりっぽくて、私はやや白けたのである。そういうの、食傷気味。いっぱい読んできたから。しかし我慢して読み進めていくと、次第に気にならなくなってくる。展開が速くて、この語りでないと合わないのだろうな、と思わされるのである。するするとページをめくらされる小説なんだな、と納得する。
それよりなにより言いたいことがある。「スパイというのは君が考えているような仕事じゃない」とは言うけどさ。
これ、スパイ小説というより暗殺者小説じゃん。看板に偽りありじゃん。
語り手は17というエージェントで、ジョーンズという偽名を使っている。つまり正体不明である。だからここでも17と呼ぶ。17というコードナンバーは殺しのスペシャリストであるエージェントに代々受け継がれるものだ。先代を殺して自分が後釜に座る、という形だからコードナンバーを名乗れるのはひとときに一人だけである。しかし17の先代である16は命を落とすことなく失踪したので、唯一の例外になった。当然ながら17も名を挙げたい後輩から狙われる立場で、そういったワナビーをあっさりと殺す場面が序盤に描かれる。ここは饒舌さとは無縁の切り詰められた非常な描写で、腕の確かな書き手であることが早くも証明される。よし、いい感じだ。
そのあとで本題がはっきりする。17は新しい依頼を引き受けるが、殺す相手は16、つまり彼の先任者なのである。今はサム・コンドラツキーと名乗り、作家として地方に隠棲しているのだという。これは宿命の対決だ。後回しになっていた瞬間がついにやってきたのである。決意を固めて17は、コンドラツキーの住むサウスダコタ州へ向かう。その地の情勢を調べるためにインディー映画の撮影場所を探していると偽って、州当局の協力を取り付けようとする。その過程でちょっとした悪戯をする。よしよし、ますますいい感じ。
このあと無事にコンドラツキーを見つけ出し、暗殺計画を練り始めるまででだいたい全体の四分の一というところだろう。そこからの展開は明かさないことにする。二転三転する、とだけ書いておく。いや三転四転ぐらいか。とにかくころころ見ている風景が変わる。意外なことが引き金になって、思いもしなかった事態になっていったりする。重要だと思っていなかった登場人物が実はそうではなくて、びっくりしたりもする。そういう小説だ。
ここには犯罪小説にとって大事なものがいくつも詰め込まれている。一つは対決の図式で、主人公は自分のために何かを敵に回すことになる。先任者の16はその相手としては申し分なく、17の前に立ちはだかる。引退したとはいえもともとの腕は確かなので、単なる狩りの獲物にはならない。だからこそ緊張感が高まる。
もう一つは視点だ。本作は時に饒舌でうるさくも感じられる17の一人称で綴られる物語だ。17は依頼を受ければ世界のどこにでも行く。物語はミュンヘンからベルリンへ向かう高速道路上で始まるのだ。自在に動き回ることができるが、実はこの視点は限られた部分、17の感知しうる範囲しか見ることができない。その外側にあるものは完全な闇なのである。世界に自分が知るよりも多くの闇があるということが本作では効果的に使われている。不安と不信を読者に刷り込むために必要な技巧だ。
そして三つめ。世界は主人公の意のままにならない。先にも書いたとおり、意外な要素が世界を変えてしまうのである。対決の図式もそれによって少しずつ形を変えていく。うねうねと動きつづける大地の上でどのようにして自分の身を護っていくのか。刻々と変わる状況の上で主人公が募らす危機感こそが犯罪小説にとって必須のスパイスなのである。
作者のジョン・ブロウンロウは脚本家出身で、『エージェント17』で小説家デビューし、英国推理作家協会のスティール・ダガー賞を授与された。豊かな才能があることはすでに本作で証明済みだが、今後どのようなものを書いてくれるのか楽しみである。
上に挙げた犯罪小説にとっての必須事項ではないが、非常に好ましい要素が本作にはある。先行作への敬意が表明されている点だ。17が、少年時代に自分を虐待した人間に報復しようと考えるくだりがある。彼は映画を観ながら復讐心を増幅させていく。それが1967年公開のリー・マーヴィン主演作〈殺しの分け前/ポイント・ブランク〉なのである。銃で撃たれてすべてを失いかけた男が、裏切り者に復讐するという内容だ。
—-その映画には誰もが知るアイコニックな場面があり、リー・マーヴィンが廊下を歩いている。彼の望みはひとつ。借りを返すこと。彼は廊下を歩く。歩き、さらに歩き、鋼鉄製の靴底が響く。彼は何ものにも止められず、容赦なく、恐怖を与える。なのに、しているのは廊下を歩くことだけだ。
俺はリー・マーヴィンになりたかった。
言うまでもなく〈殺しの分け前/ポイント・ブランク〉は、リチャード・スターク不朽の名作『悪党パーカー/人狩り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)の映画化作品だ。つまり17は悪党パーカーに憧れているわけである。おそらく作者も。悪党パーカーが好きな犯罪小説ファンに悪人はいない。いや、パーカーは悪党なのだけど。
(杉江松恋)
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