映画『シンペイ~歌こそすべて』中村橋之助インタビュー/18歳から65歳をひとりで演じるために「必要だったもの」とは

──日本の流行歌は、この男から始まった──
明治に生まれ、大正・昭和を生きる中で、童謡、歌謡曲、音頭、民謡まで幅広いジャンルの約2000曲を残した作曲家・中山晋平(1887~1952)。その生涯を彼の音楽とともに綴ったのが本作『シンペイ~歌こそすべて』です。

本作の舞台は中山晋平の生まれ故郷である長野県中野市からスタートしますが、実際の撮影も長野県を中心に行われました。中山晋平役は映画初出演にして初主演となる歌舞伎俳優の中村橋之助さん。今回は橋之助さんに本作の見どころについてお話を伺いました。

──長野県でのロケが多かったと伺いました。

中村橋之助:そうですね。上田に1ヶ月半ぐらいいましたね。他には岐阜でも撮影しました。

──私が長野県長野市の生まれなのですが、中山晋平さんの生まれ故郷の雰囲気も含め、作品全体のトーンや作り込みが織りなす没入感がすごいと感じました。

中村:上田をはじめ、長野各地に現存する当時の建物を使わせていただき、大正・昭和の東京を描いたのは大きかったですね。

──令和の今と比べると、舞台となる明治・大正は「無いもの」と「有るもの」のコントラストがものすごく強い時代背景でした。橋之助さんが今回演じるにあたり、意識をスイッチしないといけない箇所などはありましたか?

中村:そうですね。具体的に言うと『東京行進曲』の歌詞の「ダンサーの涙雨」ってところ。当初、僕の発音はダンサー[↑](※語尾が上がる)だったんですよね。
でも、音声さんも監督も「いや、この時は多分、[↑]ダンサー[↓](※語尾が下がる)だよね」と。

──当時の発音が、語尾が上がるか下がるか、といったディティールですね。

中村:僕は今まで、そういうNGってあんまりなかったので、そこはちょっと最初戸惑いましたね。でもそれ以外に時代設定で苦労したというのは、そこまでなかったかな。

──橋之助さんからご覧になって、この個人としてのこのシンペイさんは、どういう人物だと解釈されてましたか?

中村:入る前にも台本を見て思ったことですけど、やはりご自身が「良い」と思ったこと、信念と自信をすごくしっかり持たれた方であり、それを貫き通す覚悟がおありになった方なんだなと思いましたね。

たとえば『カチューシャの唄』の「ララ」という当時としては斬新な“はやし言葉”もそうですけど、「みんなが良いということが良い」っていうことではなくて、「自分が良いと思ったことをどう形にしたらみんなが良い」になるのかっていうことをすごく考えた上で、作り出しておられた。そして作ったものに対してはちゃんと自信を持ってらっしゃるっていうことを、晩年まで貫かれましたから。

浮き沈みがあっても、その気持ちや信念は揺るがなかった方なんだなっていう風に思いますね。

──「自分のこだわりを通し続ける」ということがいかに勇気のいることなのか、というのは、やはり芸事の世界に身をおいてらっしゃる橋之助さんだからこそ、感じられるポイントでしたか?

中村:勇気がいりますね。僕もどっちかというと、(多くの人に)良いって思ってもらうのが一番いいって思うタイプだったんですけど、最近は柔軟にいろんな選択肢を見ていった方が、僕自身の成長はあるんだなってことを気づくようになりました。
シンペイさんの場合は自分のことを貫く覚悟もあって、なおかつ才能もある方だったから、そこが偉人たるゆえんなんじゃないかなと思います。

──新しいものを常にインプットしていく意欲であったり、そういった人物像のディティールの描かれ方も絶妙でした。

中村:そうですね。これは脚本もそうですし、監督の意図も大きいのかなと思いますね。
テンポ良く、でも決して描写が浅くない。初めて観る方でもついていけるぐらいのテンポ感で、物語の深さも伴っているという。

これはやっぱり監督と撮影・編集の小美野さんの力が大きいと感じました。

──掘ったらいくらでも出てくる偉人であるからこそ、どこまで描くのか、その塩梅が重要なのですね。

中村:本当にそうですね。(要素を)入れ込みすぎても良くないし、かと言ってただのサクセスストーリーじゃ面白くないし。あの時代と人物とがうまく合わさってる脚本だったなと思います。
最初に僕が脚本を読んだ時は、なんだか人生の後半のイベント事というか、山になるようなエピソードが少ないな、と感じたんです。
でも人間誰しもそうであるように、シンペイも(晩年になって)どこか変わった部分というのがある、っていうのは演者である僕自身が出せればいいな、と思って演じました。

──それで言ったら、橋之助さんはシンペイの18歳から没するまで全てお一人で演じられてるわけじゃないですか。

中村:そうですね。

──一人の人間が若い時から経験を重ねて、少しずつグラデーションを描いて変わっていく様子、得に人生の後半は同じ人が演じているのに印象が全く違っている点もすごかったんですが、あれはかなり気を遣われてたんじゃないでしょうか。

中村:めちゃめちゃ気を遣いました。これはもう(撮影に)入る前にしっかり考えました。
相手とどうやってお芝居するのかは、やっぱり相手を受けてって思ってましたけど、シンペイ自身の表現は気を遣いました。
台本のシーンナンバーの上にその当時のシンペイの年齢書いて、シンペイの成功具合や、シーンとこのシーンの間は何年開いてるとか、そういうところまで細かく頭の中に入れて、撮影(現場)の長野に入るようにしましたね。

──ものすごく大変ですね……!今回、年齢の順撮りだったんですか?

中村:全くです。朝30歳、昼60歳、夜18歳とか、しょっちゅうありました。

──(笑)すごいことですね! 年齢ということで言ったら、若い時は橋之助さんご自身の経験も踏まえたりしてバリエーションが作れそうですけど、まだ経験していない年齢の演技って、すごく大変なのでは。

中村:大変でした。やっぱり脂が乗り切っていくというのはある程度想像ができるんですけど、──なんて言うんだろうな、よく年齢が上の方は「酸いも甘いも知り尽くしたから」なんて言うじゃないですか。

──はい。

中村:でも、最初そのゾーンの想像がつかなかったんです。

──その想像を補うために何かなさったりは?

中村:いや、それを補うためにしたことっていうのは特に無いんです。
ただ、60代のシーンは熱海の方で撮影していたんですが、撮影スケジュールとしては終わりの方だったんですよ。そのころは既に(シンペイが人生的に)成功しているシーンなのですが、例えば敏子と結婚するシーン、敏子は死んでしまうシーン、戦争があるシーンといったものを経ていました。
ですので「あれを目の当たりにしてる」「そうなったら多分こうやっているんだろうな」っていうのを自分の中に取り込んだら、自然に“60代”をやってましたね。

──熱海に入ってからは特にそうでしたが、「本当に同じ人が演じているのか? すごいな」と思いながら観ていました。

中村:唯一、スケジュールの最初の方で撮った部分もあるんです。たしか坂道を歩くところだったように思うんですが、その時はどうしようかな、という心配はありました。

──その迷いが全然……もちろん当たり前ですけど、見えないぐらい自然な熱海のシーンでした。お一人であの晩年を演じているということで改めてびっくりもするのですが、それもまた楽しくもある、見応えのあるシーンでした。

中村:そう思ってくださったら、これはもうね、役者冥利に尽きるところですね。

──橋之助さんは既に本編を通しでご覧になられましたか?

中村:見ました見ました。

──ご自身が中心に出られてるので、一観客としてご覧になるのは結構難しいかもしれないんですが、観終わった印象はいかがでしたか。

中村:最初「観れたな」って思いました。普通は自分が出てるのって、なんか5万倍増しぐらいに気持ち悪く見えるんですよね。皆さんが(録音などで)自分の声とかを聞くと気持ち悪く感じるのと一緒で。
ましてやこの(画角の)サイズ感だから、最初は自分自身で、スクリーンで僕のアップを見るのがちょっと耐えらんないんじゃないかと思ってたんです。
でも、一応「観れたな」って思ったってことは、なんとかなってるんじゃないかなっていうのは思いましたね。

──それってすごいことですね。

中村:もちろん、それを判断するのはお客様なのですが。

──それでも、主演の橋之助さんをご自分が客観視できる仕上がりというのは、監督はじめスタッフの皆さんの力も。

中村:それは本当に思いました。僕はそれをお芝居してるだけだけど、それがこういう風なカットで、こういった作品になるんだなっていうのも感動しました。僕としては映画も初めてだったので、この驚きも初めての出来事でした。
そう考えると初めてのことが多かったです、本当に。

──演じるにあたり、監督からのオーダーはいかがでしたか?

中村:基本、なかったです。最初、監督に初めてお会いした時も、「あっ! なんだか色々厳しそうな方だな」と勝手に思ってたんですが、全くそんなことなくて。まず、やらせてくださって。で、それがもし監督のイメージと違ったら、「そうじゃないパターンでやってみて」って言ってくださったんで、すごくやりやすかったです。

──じゃあ、橋之助さんの地の部分も活かしつつ。

中村:そうですね。僕自身が気持ちで受けて、無理なく出た(演技)っていうところでしたね。

──本作、50歳以上の人にとっては、おそらく自分と地続きの時代として観れるんじゃないかと思うんですが、ひょっとしたら若い人たちからすると歴史モノっぽい先入観があるんじゃないかな、と思うんですよね。実際は近代の話なのでそんなことはないのですが。

中村:僕も最初にお話聞いた時はシンペイさんを存じ上げなかったんです。中山晋平さん自身を調べていくうちに、楽曲に対して「あぁ、これも、これもそうなんだ」って感じだったんです。僕の世代だと、『東京音頭』だったり、『シャボン玉』っていうのは馴染み深い曲ですね。

僕より下の世代の人たちにとって知ってる曲もあれば、知らない曲もあると思うけど、知らなかったこと、知ってたけど深くは知らなかったことを「改めて知れる楽しさ」がある作品だと思います。
こういう作品って主人公に感情移入ができないと見ていられないと思うのですが、そこに自分と重ね合わせて観ていけるっていう点でも楽しみが多い作品だと思います。

若い方であれば、特にシンペイさんの書生時代のところなんかは自分に重ね合わせたり、逆に自分との違いを楽しんだりすることが出来るところは、エンターテイメントっぽくていいなと思いますね。

──個人的にも書生時代のシーンから色々と何かが少しずつ積み上がっていくところは、ワクワクしながら楽しめました。

中村:ただ積み上がってるだけじゃなくて、ちゃんと思いと努力があって積み重なってるっていうのは大事ですね! さっきも言いましたが、テンポがいいだけじゃない、深みのある描写を楽しんでいただきたいです。

──今考えると、『シンペイ』は観る前に抱いていた印象から比べて鑑賞後の印象はかなり違いました。

一見すると、割と固い作品っぽく見えるかなと思うんですけども、まず、そうじゃないっていうところが大きいかなと思います。しっかりとしたエンターテインメントですので、その点も観ていただきたいです。

あと楽曲ですね! シンペイさんの楽曲は様々なところで使われていますけど、これを映画館のいい音響の中で体験して感じていただきたいです。

──音も本当に良かったし、どの楽曲も素敵でした。誰もがそれとなく聞いた事のある名曲の、隠れた由来に触れられるのも面白かったですね。

中村:もう本当に……『シャボン玉』の雨情(野口雨情:作詞家)のエピソードもそうですし、『東京音頭』のフレーズの一部を『おはら節』(鹿児島の民謡)から取ってるいきさつだったりとか。先の『カチューシャの唄』のはやし言葉のエピソードもそうですね。
楽曲を知らなかった人たちでも「おぉ!」って思うポイントは多いんじゃないかなと思いますよ。

──歌のそれぞれに発見がありました。

今でも、この辺の歌は僕のスマホの中に入ってるので、シャッフルでちょこちょこ出てくると、懐かしいなって思いながら車運転してたりします(笑)。
これからご覧になる皆さんも、音楽とともに作品を楽しんでいただければいいなと思っています。

──ありがとうございます。

「シンペイ~歌こそすべて」ストーリー
信州から上京した中山晋平(中村橋之助)は、無事、東京音楽学校(現:東京藝術大学音楽学部)に入学するが、ピアノの習得が卒業レベルではないため、落第・留年の危機に陥る。しかし、幸田先生(酒井美紀)に演奏以外の才能を見出され、1912年(明治45年)、どうにか卒業する。

演出家・島村抱月(緒形直人)の「芸術は大衆の支持を離れてはならない」という教えの元、1914年(大正3年)、抱月の「日本の新しい歌を」、そして西洋の役と聞き美容整形までした歌う女優・松井須磨子(吉本実憂)からの「難しい歌はダメ」というリクエストに応え、『カチューシャの歌』を作曲。西洋の音律「ララ」を足すことを提案し、大ヒットする。その後も、「母ちゃんが歌える歌をいっぱい作って」という母・ぞう(土屋貴子)との約束を守り、母の死の直後にも悲しみの中、『ゴンドラの唄』を作曲。1921年(大正10年)には、作詞家・野口雨情(三浦貴大)の『枯れ芒』を改題して世に出した『船頭小唄』が大流行。翌1922年(大正11年)、児童文芸雑誌「赤い鳥」の童謡運動に賛同した雨情が『シャボン玉』を作詞。雨情の最初の子供は7日で亡くなったという裏話を知った晋平は、雨情の想いを汲んで作曲する。子供たちが歌うのを聴き、涙する雨情。晋平自身は、子供は産めないが、自分の音楽の理解者である敏子(志田未来)と結婚し、二人の養子を迎え、幸せに暮らしていた。
1929年(昭和4年)、作詞家・西條八十(渡辺大)と組み、映画の主題歌『東京行進曲』を制作。大ヒットしたが、新聞に「日本の新民謡はイタリアのそれと比べてあまりに下劣」と評が載り、また、長年組んできた歌手・佐藤千夜子(真由子)は、「本場のオペラを学びたい」と晋平の元を去る。新進気鋭の作曲家・古賀政男が新しい風を吹かし、自信を失くした晋平だったが、そんな折、信州出張時に16歳の時に代用教員をした小学校に寄ると、子供たちが自分の作曲した「てるてる坊主」を歌ってくれる。また、鹿児島出張では、鹿児島随一の売れっ子芸者歌手の喜代治(中越典子)と出会い…

『シンペイ 歌こそすべて』
中村橋之助/志田未来/渡辺大 染谷俊之 三浦貴大
中越典子 吉本実憂 高橋由美子/酒井美紀 真由子 土屋貴子
辰巳琢郎 尾美としのり 川﨑麻世/林与一/緒形直人
ナレーション:岸本加世子

企画・プロデュース:新田博邦

監督:神山征二郎
脚本:加藤正人、神山征二郎  音楽:久米大作  撮影・編集:小美野昌史
照明:淡路俊之  録音:治田敏秀  美術監督:新田隆之  助監督:菱沼康介 装飾:工藤秀昭

エンディングテーマ:『ゴンドラの唄』上條恒彦

後援:長野県 特別後援:公益社団法人 日本作曲家協会
協力:中野市、上田市、須坂市、松本市、長野市
製作:「シンペイ」製作委員会

配給:シネメディア
2024年/日本/カラー/シネマスコープ/5.1ch/127分
©「シンペイ」製作委員会2024

公式サイト:http://shinpei-movie.com/
TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中

  1. HOME
  2. 映画
  3. 映画『シンペイ~歌こそすべて』中村橋之助インタビュー/18歳から65歳をひとりで演じるために「必要だったもの」とは

オサダコウジ

慢性的に予備校生の出で立ち。 写真撮影、被写体(スチル・動画)、取材などできる限りなんでも体張る系。 アビリティ「防水グッズを持って水をかけられるのが好き」 「寒い場所で耐える」「怖い場所で驚かされる」 好きなもの: 料理、昔ゲームの音、手作りアニメ、昭和、木の実、卵

TwitterID: wosa

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。