LNT説と政治

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LNT説と政治

今回はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

LNT説と政治

科学と政治の違いの一つは、科学は判断を保留にできる点。よく閾値説派の人たちが主張するのは、低線量ではLNT説の有効性が不確実だという。

そもそも放射線の影響を1つの数値で表現し切ること自体に限界があるわけで、そういうものだと割りきって使うべきだと思うのだよね。

科学の場合は判断を保留にすることができる。わざわざ慌てて判断をする必然性はない。しかし政治の場合はそういうわけにいかない。

危険に晒されている2つの都市のどちらに救援隊を送るか?判断を保留にするというのは、どちらの都市にも救援隊を送らないということになり、最悪の選択になるだろう。十分な確実性がなくても、現状で行える最善の判断をしなくてはならない。たとえ裏目に出るとしても。

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低線量域でLNT説を使うのは「不適切」という人は、科学の話をしているのだろうか。それとも政治の話をしているのだろうか。前者なら判断を保留にするというの、それなりに賢明な選択だろう。

しかし政治として考えるなら、何らかの判断をしなければならない。LNT説が使えないとしたらどうやって判断をするのだろうか。仮に100ミリシーベルト以下の低線量ではLNT説が役に立たないとしよう。

すると80ミリシーベルトに晒されている都市も30ミリシーベルトにさらされている都市も、どちらを優先して対処すべきか判断ができないということになる。

でも判断はしなければならない。平等にサイコロを振って決めるべきだろうか?それもひとつの選択ではある。

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でもたいていの人は80ミリシーベルトの方が影響は大きいだろうから、そちらを優先すべきだと考えるだろう。つまり比例関係かそれに近いものが成り立っていると推測するわけだ。これってLNT説なんじゃないの?

別な推測として100ミリシーベルト以下も100ミリシーベルトと同じリスクがあると考える。80ミリシーベルトも30ミリシーベルトも、100ミリシーベルトと同じ。

逆に100ミリシーベルトは0ミリシーベルトと同じ考えてもいいだろう。80ミリシーベルトも0ミリシーベルトと同じ。すなわち無害である、と。

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LNT説を否定している人たちというのは、実際に自分が判断を迫られたら、どういう判断をするのだろうか。不定説だから判断せずに、どこにも救援隊を送らないのだろうか。

低線量域におけるLNT説の有効性が疑問だから使うべきではないと主張している人は、そういう主張になると思うのだけどね。いくら不確実性があるとはいえ、サイコロで決めるよりはマシだと思うのだが。

思考停止に陥るよりは、LNT説にもとづいて判断する方がずっと現実的だろう。思考停止させるのが目的なら別だが。

執筆: この記事はメカAGさんのブログ『疑似科学ニュース』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年06月12日時点のものです。

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