豪雪地帯の山奥に「奇跡の集落」なぜ誕生? 若い移住者あつまる背景、ドイツ人建築家の古民家再生と集落の人々の”よそ者”への温かなまなざし

再生古民家だけでは「奇跡」を起こせない、「よそ者」を温かく受け入れる気持ちが集落を奇跡へと導いた

新潟県十日町市と、お隣の津南町を含めた地域は、昔から「妻有(つまり)」と呼ばれています。この先に何もない、どん詰まりだから「妻有」という説があるほど、山々に囲まれた地域です。

そんな妻有のいち集落、竹所集落がなぜ「奇跡の集落」と呼ばれるようになったのか。カールさんが再生する古民家に魅力があるのはもちろんですが、それだけで奇跡は起こせません。そこには「よそ者」への温かい視線がありました。

古民家を再生する一方で、住民と積極的にコミュニケーションをとった

竹所集落の近くにある松代地域の商店街。右の「まつだいカールベンクスハウス」のほかにも、再生古民家が次第に増えている(撮影/中田洋介)

竹所集落の近くにある松代地域の商店街。右の「まつだいカールベンクスハウス」のほかにも、再生古民家が次第に増えている(撮影/中田洋介)

竹所集落(撮影/中田洋介)

竹所集落(撮影/中田洋介)

平成5年(1993年)に見つけた古民家を双鶴庵へと再生したカールさん。平成7年(1995年)ごろから竹所での生活が始まりました。当初、集落の住民の中には「よそ者、ましてや外国人。どうせすぐにいなくなるだろう」と思っていた人もいたようです。一方で、廃屋同然の古民家を蘇らせたことは、周囲の人々に少なからず衝撃を与えたのも事実です。

さらに双鶴庵の後、カールさんは2軒目の古民家を購入します。それがイエローハウスであることは既に述べた通り。もうすぐ壊されると聞いたカールさんが「東京には私と同じように、竹所を気に入ってくれる人がきっといるはずだ」という気持ちから再生したのですが、狙い通り、東京で暮らしていた現カフェオーナーの吉田えり子さんが購入しました。

当時はまだ「古民家ブーム」なんて言葉がなかったころです。竹所の住民からすれば「“よそ者”が自分で住むわけでもないのに自腹で購入して再生し、東京の人がこんな辺鄙な田舎の家を買った」ということに驚いた人もいたでしょう。

カール・ベンクスさん。建築デザイナーとして、最近故郷のベルリンにある「サムライ ミュージアム ベルリン」では、日本の茶室や能舞台を製作した(撮影/中田洋介)

カール・ベンクスさん。建築デザイナーとして、最近故郷のベルリンにある「サムライ ミュージアム ベルリン」では、日本の茶室や能舞台を製作した(撮影/中田洋介)

古民家を再生する一方で、カールさんは積極的に集落の集まりにも参加しました。五穀豊穣を願って、集落の茅場から刈り取って乾燥させておいた茅を積み上げて焼く「どんど焼」や、集落の道路の清掃や除雪などを行う「道普請(みちぶしん)」にも、カールさんとクリスティーナさんは足を運びました。

「飲み会があれば積極的に顔を出しました。そういう場に行くと、私には話しかけたくなる良いネタ(再生した古民家)があるでしょ?(笑)」(カールさん)

(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

そして住民と話す中で、カールさんは竹所がいかに素晴らしいかということを真っ直ぐに語るのです。

例えば、豪雪地帯の住民としては、雪なんて本来大嫌いなものか、あって当たり前のものでした。しかしカールさんは一緒に除雪している最中に、ふと振り返って山々を指し、「見てください、この景色。とてもキレイでしょ?」と語りかけます。

そうなると不思議なもので、次第に住民も、毎日変化する雪の景色を見ることが楽しみになってきました。

住民の意識が変わったことも、「奇跡の集落」への原動力

このように、いつしか住民も自分たちの故郷に少しずつ自信を持つようになりました。すると自然に、壊れて放置されていたトラクターや古タイヤを撤去したり、古い小屋のトタンやブルーシートを片付けたりして、集落内の景色をもっと良くしたいと思うようになりました。

集落の入り口にある、老朽化した牛舎をキレイにしようと発案したのはカールさんですが、その改修は集落の住民総出で行いました。休みの日を利用して、壊れた外壁を取り替え、塗装をし、子どもたちもニスを塗るなどしてお手伝い。約4カ月かけて、オレンジの壁と赤い屋根の牛舎(とは思えない建物)が完成しました。

その後、カールさんが竹所集落のいち住民として頼りにされたのは言うまでもありません。区長(自治会長)を務めたこともあります。

既に述べたように、カールさんが初めて竹所を訪れたのが平成5年(1993年)。竹所集落の最寄駅(まつだい駅)のある北越急行ほくほく線が開通したのが平成9年(1997年)、竹所のある十日町市とお隣の津南町の里山を舞台とする地域芸術祭「大地の芸術祭」が、初めて開催されたのが平成12年(2000年)。

竹所を含む旧松代町は雪深い地域のため、道路が積雪で不通になるなど昔から冬の交通が問題だった。そのため鉄道の敷設をかねてから熱望していたが、平成9年(1997年)にようやく開通。写真はまつだい駅周辺(撮影/中田洋介)/MVRDV「まつだい『農舞台』」(大地の芸術祭作品)(写真奥)

竹所を含む旧松代町は雪深い地域のため、道路が積雪で不通になるなど昔から冬の交通が問題だった。そのため鉄道の敷設をかねてから熱望していたが、平成9年(1997年)にようやく開通。写真はまつだい駅周辺(撮影/中田洋介)/MVRDV「まつだい『農舞台』」(大地の芸術祭作品)(写真奥)

ほくほく線の開通や大地の芸術祭の開催など、外へ開こうとする地域の気持ちがどことなく見えてくるようです。それが1990年~2000年に集中しているのは、出来すぎた偶然なのでしょうか。

初めて竹所に訪れて以来、カールさんが手を伸ばして周囲を“巻き込んだ”のは確かですが、その手を払うことなく、つかんで一緒に動き出した住民たちにも、きっとどこかに外へ開く気持ちがあったのだと思います。

移住者と住民のコミュニケーションから、新しいものが生まれる

イエローハウスの吉田さんも、竹所のコミュニティーについて尋ねると「とても心地よい」と表現します。

「約10年前から、週末に限ってカフェをやることにしたのですが、ちょくちょく訪れていただけるのはもちろん、お米や野菜などをたくさんいただくのです。週末に東京から来てみると玄関にドンと野菜が置いてあったり(笑)。東京なら、こういうのは買うのが当たり前なんですがね」

今年リフォームしたことで“イエロー”が鮮やかに蘇ったイエローハウス(撮影/中田洋介)

今年リフォームしたことで“イエロー”が鮮やかに蘇ったイエローハウス(撮影/中田洋介)

取材日のイエローハウスのメニューは「丹保さんのごはんセット」(1800円)。竹所集落で丹保さん(屋号)が棚田でつくられているお米がメインです(撮影/中田洋介)

取材日のイエローハウスのメニューは「丹保さんのごはんセット」(1800円)。竹所集落で丹保さん(屋号)が棚田でつくられているお米がメインです(撮影/中田洋介)

いただきものはカフェで提供したり、それでも余るものはぬか漬けにしたり。「カフェが終わって外の看板を引き上げる際に、近所の人とばったり会えば『今日はたくさん(お客さんが)来ていたね』と声をかけてくださったり。本当にありがたいです」(吉田さん)

さらに、カールさんが再生した松代の古民家「カールベンクス古民家ゲストハウス」を、令和5年(2023年)に購入して令和6年(2024年)4月からここで暮らしながらゲストハウスを運営している中村紀子(なかむら・のりこ)さんは「ここは人と繋がりやすい」と言います。

松代の商店街から一本細い路地に入ったところにある「カールベンクス古民家ゲストハウス」。もうすぐ築100年を迎えるという古民家を再生した(撮影/中田洋介)

松代の商店街から一本細い路地に入ったところにある「カールベンクス古民家ゲストハウス」。もうすぐ築100年を迎えるという古民家を再生した(撮影/中田洋介)

カールベンクス古民家ゲストハウスの1階の共用スペース。赤いソファの前に置かれている分厚い一枚板のテーブルはカールさんによるもの(撮影/中田洋介)

カールベンクス古民家ゲストハウスの1階の共用スペース。赤いソファの前に置かれている分厚い一枚板のテーブルはカールさんによるもの(撮影/中田洋介)

「カールベンクス古民家ゲストハウス」の客室のひとつ。客室は2部屋のみで、どちらにもダブルベッド一台と専用のトイレ、洗面台、シャワーがあります(撮影/中田洋介)

「カールベンクス古民家ゲストハウス」の客室のひとつ。客室は2部屋のみで、どちらにもダブルベッド一台と専用のトイレ、洗面台、シャワーがあります(撮影/中田洋介)

「ゲストハウスにはキッチンがあるのですが、一泊二日くらいの滞在だと、自分で料理をつくったりせず、コンビニのお弁当を温めて終わりという人がほとんどでした。せっかく美味しいものがたくさんある松代に来たのに、それじゃあもったいないなと周囲の人に話したところ、近くにレストランをオープンするというシェフがいるから、相談してみたら?と言われたんです。すると、ゲストハウスの宿泊者向けに特製のお弁当をデリバリーしてもらえることになりました」(中村さん)

(写真提供/カールベンクス古民家ゲストハウス)

(写真提供/カールベンクス古民家ゲストハウス)

また、つい先日は、近くの酒屋さんが中村さんに声をかけたことがきっかけで、このゲストハウスでワイン会を開いたのだとか。さらに、芸術祭の作品の一環としてプロの音楽家が地元の人を集めて結成した楽団に参加するという経験も。「ここにいると『面白いことならすぐやろう』みたいな感じで、いろんな人と次々に繋がっていくんです」(中村さん)

伝統文化に加え、新しい文化を受け止める深い懐もある地域

さらに中村さんは、移住を決めた理由のひとつに、この地域の「文化」を挙げます。

「コミュニティーの心地よさも含め、住み心地としてはほかにも良い街はあったんです」と中村さん。

仕事でヨーロッパからアジアまで、これまでさまざまな海外で暮らしてきた彼女は、じっくり腰を据えて暮らす場所を探していました。

「カールベンクス古民家ゲストハウス」のオーナー、中村紀子さん。同じ新潟県内、新潟市生まれですが、新潟県内に戻るつもりはまったくありませんでした。しかしここで暮らしてみると「新潟って、もっといえば日本っていいところだな」と思ったそう(撮影/中田洋介)

「カールベンクス古民家ゲストハウス」のオーナー、中村紀子さん。同じ新潟県内、新潟市生まれですが、新潟県内に戻るつもりはまったくありませんでした。しかしここで暮らしてみると「新潟って、もっといえば日本っていいところだな」と思ったそう(撮影/中田洋介)

そんな時、たまたま友人に竹所のことを教えてもらい、このエリアを訪れてみると、思った以上に良い場所だと思ったそう。世界各地の有名な景勝地を見てきた彼女でさえも、カールさんと同じく、ここの優しい景色に魅了された一人です。

そしてお試し移住で暮らしたのが、カールさんが再生した古民家を活用した、竹所にあるシェアハウス。ここで「古民家は芸術品のようなもの。それが壊されることを止めたい」というカールさんの考えにも共感します。

竹所集落のある十日町市が移住希望者のために用意しているシェアハウス。もちろんカールさんが再生した古民家だ。同市にはもう1軒、同様のシェアハウスがある(撮影/中田洋介)

竹所集落のある十日町市が移住希望者のために用意しているシェアハウス。もちろんカールさんが再生した古民家だ。同市にはもう1軒、同様のシェアハウスがある(撮影/中田洋介)

その後、カールさんが手がけた「カールベンクス古民家ゲストハウス」を購入。3カ月先までの予約がすぐ埋まってしまうほどの、人気のゲストハウスになっています。

「住み心地でいえば、ほかの街でも良かったんです。それでも松代に決めたのは、ここには伝統的な文化もあれば、大地の芸術祭のような新しい文化もあったからです」(中村さん)

このエリアでは縄文時代の火焔型土器が多数(そのひとつは国宝)見つかるほど、悠久の昔から続く暮らしの形跡が古い神社や祭などの行事に、さらに文献にも残っています。

それに加えて大地の芸術祭という、新しい文化も積極的に受け入れるという懐の深さもありました。古いしきたりに固執することなく、新しくても良いものなら積極的に受け入れる。カラフルな古民家を「こんなものは伝統的な古民家じゃない」と拒否するのではなく、自治体までもがシェアハウスとして積極的に受け入れるのも、同じことかもしれません。

「美味しい食べ物、きれいな景観、心地よいコミュニティー、そして文化。私が『こういうのがあったら人生幸せだろうな』と思っていたことが、ここには全てありました」(中村さん)

「カールベンクス古民家ゲストハウス」にある階段下収納。令和9年(2027年)に築100年を迎える古民家だ(撮影/中田洋介)

「カールベンクス古民家ゲストハウス」にある階段下収納。令和9年(2027年)に築100年を迎える古民家だ(撮影/中田洋介)

別荘地をつくりたくて、古民家を再生しているわけではない

現在、カールさんが事務所(まつだいカールベンクスハウス)を構える松代の商店街には、カールさんが再生した古民家が他に3軒、同地域の街並み景観再生事業で外観のみをカールさん風に再生した古民家が8軒、さらに今後カールさんが再生しようと購入した古民家が4軒あります。

松代の商店街、まつだいカールベンクスハウスの目の前にある「三井屋」。屋根融雪システムや床暖房と薪ストーブを備えるなど豪雪地帯でも快適に暮らせるよう施されている(撮影/中田洋介)

松代の商店街、まつだいカールベンクスハウスの目の前にある「三井屋」。屋根融雪システムや床暖房と薪ストーブを備えるなど豪雪地帯でも快適に暮らせるよう施されている(撮影/中田洋介)

かつてお菓子がつくられていた1階の菓子工場部分は、大きな吹き抜けのあるリビングへと生まれ変わった(撮影/中田洋介)

かつてお菓子がつくられていた1階の菓子工場部分は、大きな吹き抜けのあるリビングへと生まれ変わった(撮影/中田洋介)

これは街ににぎわいを取り戻そうとカールさんが描いた1枚のパース画に、地元の人々が賛同し、十日町市が景観再生の助成制度を設けて後押ししている、現時点での成果です。「私は、別荘地をつくるつもりはありません」とカールさん。「お互いが名前も知らない関係なんて嫌じゃないですか」

なぜなら、カールさん自身が“古民家に住む”というよりは“古民家のある場所に暮らしたい”からでしょう。住むのではなく、暮らす。「だからここに移住してくる人には、みんなと仲良くしてほしいと思います」

竹所や松代だけでなく、他の地域でもこういうコミュニティーをつくれるところなら、ぜひやっていきたいとカールさん(撮影/中田洋介)

竹所や松代だけでなく、他の地域でもこういうコミュニティーをつくれるところなら、ぜひやっていきたいとカールさん(撮影/中田洋介)

約25年前にイエローハウスを購入し、今年の秋から竹所で暮らす吉田さんは「(購入した当時と比べて)何もかも変わりました。変わりすぎですよね(笑)。カールさんと初めて会った際に話したことは『一緒に、こういう集落にしましょうね』でした。まさにそうなっているんだなと実感しています」(吉田さん)

51歳で初めて竹所を訪れたカールさんも、今年82歳になりました。けれど、とてもそうとは見えないほど、まつだいカールベンクスハウスの2階への階段を颯爽と上りますし、現在抱えている再生案件のために精力的に動き回ります。

そういえば、ゲストハウスの中村さんは「本当はのんびり暮らせる移住生活を思い描いていたのですが、近くで草刈りをしていたおばあさんが80代後半だと聞き、私ものんびりとしている場合じゃないなと思った」そうです。

そんな話をカールさんに振ると「そうですよ、私も含めてここのお年寄りは忙しいんです(笑)」

今回の取材中、常に笑顔が絶えなかったカールさん。笑顔の絶えない人には、たいてい人が自然と集まって、同じように笑顔になります。カールさん自身はもちろん、カールさんの再生する古民家も、雪の中でも明るく見える、まるで口角の上がった家なのかも知れません。

●取材協力
カール・ベンクスさん
建築デザイナー カールベンクスアンドアソシエイト有限会社 取締役。
1942年、ドイツ・ベルリン生まれ。絵画修復師の父の影響を受け、日本文化に関心を持つ。
ベルリン・パリで建築デザインオフィスに勤務。1966年、空手を学ぶために日本大学に留学。以降建築デザイナーとしてヨーロッパや日本で活動。特に日本の民家に強く惹かれ、ドイツに移築する仕事に携わる。1993年、新潟県十日町市竹所で現在の自宅(双鶴庵)となる古民家を購入、再生に着手する。1999年、カールベンクスアンドアソシエイト(有)を設立。
2010年、歴史ある旅館を買い取り再生。『まつだいカールベンクスハウス』と名付け、事務所を移す。2021年時点で、日本での古民家再生数60 軒に。
カールベンクスアンドアソシエイト有限会社

SUUMOジャーナル

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