「元の木阿弥」とはどんな意味?その由来になった「木阿弥」という人物とはいったい・・

言葉からでは意味がまったく想像できないことわざ、「元の木阿弥」

このことわざは元通りになってしまうことを意味します。
しかし、なぜ「元の木阿弥」が元通りになることを意味するのでしょうか?

今回は「元の木阿弥」がどのような言葉なのかを解説します。

「元の木阿弥」とは

ここでは「元の木阿弥」の意味について解説します。

「元の木阿弥」の意味

「元の木阿弥」は、再び元の状態に戻ることを意味することわざです。

特に一旦良くなったものがもともとの状態に戻ってしまうことを指す言葉となります。

そのため、単に悪い状態に陥るというよりは元通りになるというニュアンスの言葉と言えるでしょう。

「元の木阿弥」の用い方・例文

「元の木阿弥」は再び元も状態に戻るという状況で使用します。

・例文1:職場のリーダーが体調不良で休職となったことで、自分にその役職が回ってきた。しかし、数ヶ月後にリーダーが復職したことで元通りになった。まさに元の木阿弥である。
・例文2:先輩が怪我によってチームから外されたことで、代わりに自分がスタメン入りできた。しかし、すぐに治療が終わり元通りになってしまった。元の木阿弥で手に入れた地位は長続きしないものだ。

このように一度良くなった状態から元の状態に戻ってしまうような場面で「元の木阿弥」を使用します。

ただし、他にも戒めとして使用される場合もあるので注意が必要です。

・例文3:元の木阿弥とならぬよう自己研鑽に励むことが重要だ。

この場合は「棚から牡丹餅」的に状況が改善するのを待つのではなく、自分自身で良い状況を掴み取るために成長すべきという意味合いが込められています。

このように「元の木阿弥」はいくつかの用途で使用できる言葉と言えるでしょう。

「元の木阿弥」の由来

ここからは「元の木阿弥」の由来について解説します。

替え玉とされた「木阿弥」を由来とする説

「元の木阿弥」は戦国時代の故事から来たという説があります。

戦国時代、当時戦国武将だった筒井順昭が病死してしまいます。
一国の戦国大名が病死したとなれば一大事、もしかしたら他国に弱みを握られてしまうことになるかもしれません。

そこで、当時は順昭の死を隠すために彼の子である順慶が成人するまで「声のよく似た木阿弥」という男を寝所に寝かせて外来者を欺いていたそうです。

もともと「木阿弥」は盲目で貧乏な暮らしを送る身分の人物でした。
しかし、殿様の替え玉として採用されたことで裕福な暮らしを手に入れたわけです。

しかし、順慶が成人すると同時に順昭の喪も公表され「木阿弥」の役目は終わってしまいます。

その結果「木阿弥」はもともとの身分に戻ってしまうのでした。

この故事から転じて、一度良くなったものが再び元の状態に戻ることを「元の木阿弥」と表現するようになったとされています。

修行僧「木阿弥」から来たとする説

「元の木阿弥」は修行僧の「木阿弥」から来たという説もあります。

その昔、妻と離縁して出家し、修行に励んだ「木阿弥」という僧がいたそうです。

彼は来る日も来る日も木の実を食べて修行を続け、修行僧として鍛錬しました。

しかし、長年の無理がたたったために心身を壊してしまい、一度離縁した妻のところへ戻ることを決意するのでした。

その結果、長年続けてきた修業が台無しになってしまい、それを知った人々にも「元の木阿弥」だと嘲笑されてしまったのだとか。

この出来事から転じて、元の状態に戻ってしまうことを「元の木阿弥」と表現するようになったとされています。

「元の木椀」が変化したとする説

「元の木阿弥」は「元の木椀」という言葉が変化したという説もあります。

「元の木椀」はお椀の朱塗りが剥げて木地が現れ、ただの木椀に戻ってしまったことを表現した言葉となっています。

それが転じて「元の木阿弥」となったという説もあるようです。

「元の木阿弥」の類義語

ここからは「元の木阿弥」の類義語を紹介します。

おじゃん

「おじゃん」は、物事がダメになることを意味する言葉です。
失敗に終わってしまうことを指す表現としても使用されます。

その点が「元の木阿弥」と似ているのではないでしょうか。

ただし「元の木阿弥」は一度良くなったものが元の状態に戻ることを指します。
対して「おじゃん」は単に物事が成功せずに終わることを表します。

そのため、両者は類義語ではあるものの若干ニュアンスが異なると覚えておきましょう。

お釈迦になる

「お釈迦になる」は、不良品になってしまうことを意味する言葉です。
特定のものが使い物にならなくなることを指す表現としても使用されます。

その点が「元の木阿弥」に通ずるのではないでしょうか。

ただし「元の木阿弥」は一度良くなったものが元に戻ることを指します。
対して「お釈迦になる」は鋳物職人の隠語から出た言葉で、阿弥陀像を鋳るはずが誤って釈迦像を鋳てしまったことから来た言葉とされます。

そのため、両者は微妙にニュアンスが違う類義語とも言えるのではないでしょうか。

まとめ

「元の木阿弥」は一度良くなったものが元の状態に戻ってしまうことを指すことわざです。

単に悪くなるというよりは、一度良くなった状態からもともとの状態に戻ってしまうような状況を意味します。

日常生活でもたまに目にする言葉なので、ぜひみなさんも元通りになった状況を「元の木阿弥」と表現してみてはいかがでしょうか。

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