元・従軍慰安婦を名乗る金福童氏について 4
今回は小林孝範さんのブログ『現代 note』からご寄稿いただきました。
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元・従軍慰安婦を名乗る金福童氏について 4
「元・従軍慰安婦を名乗る金福童氏について 3」 2013年06月07日 『ガジェット通信』
https://getnews.jp/archives/354727
慰安婦から看護婦へ
金福童(キムボクトン)氏は8年間慰安婦をしていたと話している。しかし1941年から1949年までとなると、間に終戦を挟むわけで、どうしても疑問が残る。私の推測による結論から言うと、彼女は終戦までは慰安婦として働いていたが、終戦後は現地で看護婦として再就職した可能性が高いと思っている。ただこの部分は金氏の発言がブレているのか、報道が正確に伝えていないのか。情報が錯綜している。
ギムボクドン祖母は14歳のときに慰安婦として連れて行かれ、日本軍第15師団に帰属し、台湾、香港、中国広東省、インドネシア、シンガポールなどで、日本の第二次大戦敗戦まで8年間、性奴隷として苦しんだ。
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https://px1img.getnews.jp/img/archives/2013/06/014.jpg2012年07月26日 『koreatimes.com』
http://megalodon.jp/2013-0528-1610-22/ny.koreatimes.com/article/742307
“8年の歳月を日本軍の奴隷になって、その破れて血の汗を流した過去の歴史をあなたは知りたいですか?”
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https://px1img.getnews.jp/img/archives/2013/06/023.jpg2013年05月25日 『kbs.co.kr』
http://megalodon.jp/2013-0528-1620-31/news.kbs.co.kr/news/naverNewsView.do?SEARCH_NEWS_CODE=2664713
14歳になった年に挺身隊に連行されて8年後の22歳でようやく故郷に帰ってきたギムボクドンおばあちゃん
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1997年12月23日
http://megalodon.jp/2013-0528-1625-04/www.ibulgyo.com/news/articleView.html?idxno=34358
1945年、米軍の捕虜収容所に収監
1946年、20歳で帰国「タイムラインの写真 | KAFC」 2012年7月4日 『Facebook』
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=386996134688097&set=a.386988511355526.98152.386975531356824&type=1
軍服を作る工場だと言われて連れて行かれた所で軍人の性の相手をさせられるという、この残酷な歴史をみなさんはご存知でしょうか。あのひどい日本軍の性奴隷とされた5年間、血のにじむような涙なしには過ごせなかった、踏みにじられたあの犠牲の日々をあなた方は知らないと思います。
「橋下市長!日本軍「慰安婦」」問題の真実はこれです」 『日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク』
http://megalodon.jp/2013-0528-1712-06/www.ianfu-kansai-net.org/2012-09-23.html
ここでは5年間となっている。1946年までと言うことか。
終戦間際には戦地の病院で看護に従事させられたことにも触れ、「日本の慰安婦を隠すため私たちは看護婦に仕立てあげられた。日本兵の手術には私たちの血を使い輸血までさせられた。当時の写真もあり、強制連行の証拠が無いとは言えない」と慰安婦の処遇に国が深く関わっていたことを証言した。
「「謝罪すべきだ」元慰安婦、橋下氏を批判」 2013年5月19日 『沖縄タイムス』
http://megalodon.jp/2013-0528-1603-03/article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-19_49398?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
これらの記事は恐らく誤報を含んでいる。彼女が看護婦となったのは恐らく終戦後だ。その根拠は下の記事である。
姜貞淑(ガンジョンスク)韓国挺身隊研究所の研究者は、国家記録院の軍人軍属のデータを調査した中、日本軍慰安婦被害生存者ギムボクドン(金福童・79)さんの実名記録を発見した(…)今回発見された軍属のリストは、1947年9月に作成されたもので “朝鮮第16軍司令部同直轄部隊有数リスト第4の南方の半分 “と書かれている。この記録によると、1945年8月31日、当時19歳だった金さんが南方軍第10陸軍病院の軍属の中で最も低い階級である “容認”に採用されたものと出ている。(…)軍属のリストには、ギムボクドン祖母以外にも、1945年8月1~31日、シンガポールなどにあった約300人の朝鮮人女性が陸軍第5病院、第9病院、第10病院などの容認や一時的な看護婦に採用された記録がある。
川研究員は、 “戦争が終わった時点で朝鮮人女性を看護婦として雇用したのは日本軍慰安婦制度を隠蔽したり、最後まで朝鮮の女性労働力を編成収奪しようとする日本の意図に解釈することができる”と主張した。
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2005年01月11日 『chosun.com』
http://megalodon.jp/2013-0528-1633-11/www.chosun.com/politics/news/200501/200501110444.html
日本が第二次世界大戦で敗北すると日本軍慰安婦を軍病院の看護助手として緊急雇用するよう命令を下したことが明らかになったと教(共同)通信が20日報道した。日本軍が慰安婦を看護師に切り替えるように指示した経緯が直接確認されたのは初めてだ。このような内容は、連合国側が暗号解読により確認したもので関東(*1)大学院大学の林博文(林博史)教授は、英国の公立文書館で発見したと共同通信は伝えた。日本軍の蛮行を研究してきた専門家たちは、慰安婦が看護師に雇用され、身分も軍務に変化した可能性が高いと見ている。性的奴隷として振るった慰安婦の軍務に変身させ、連合軍側に慰安婦の存在を隠蔽するための措置だったという。今回発見された文書によると、慰安婦を看護師に転換させる措置は、東南アジア地域に派遣されていた第1ナムギョン(南遣)艦隊司令官がサイゴン第1特別基づい地帯などを受信者にして、1945年8月18日に送信した通知で明らかになった。この通知は、 “シンガポール日本海軍の慰安施設で働いていた少女たちが海軍第101病院で看護助手として採用された”と指摘し、 “サイゴンでも同様の措置をせよ”と指示している。また、第8通信大学で海軍民政府(民政部)前責任者に送信され、同月20日の通知には、 “前の日本女性を看護師資格で病院に割り当てなさい”と指示した。通知は、続いて”通知の全文を完全に理解した後に焼却しなさい”と明示した
*1:
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https://px1img.getnews.jp/img/archives/2013/06/00.jpg(画像が見られない方は下記URLからご覧ください)
https://px1img.getnews.jp/img/archives/2013/06/052.jpg2008年06月21日
http://megalodon.jp/2013-0528-1648-33/article.joinsmsn.com/news/article/article.asp?total_id=3198152
当時合法だった慰安婦を何故隠蔽しなければならないのか。また、軍は終戦後GHQの指示ですぐに解体されたはずだから軍による利用はあり得ない。という点で意味不明だが、終戦で職を失った慰安婦が看護婦などに再就職するというのは有り得そうな話である。そして、もしかしたら日本の軍属病院施設は敗戦で日本の手から離れた後、そのまま現地の国営病院になったか、もしくは現地に日本の代わりに入った戦勝国の国営病院になった可能性があるのではないか。
私は陸軍15師団の本部に連れられて戦場を行き来しました。戦争が終わったことも知らされませんでした。最後まで「慰安婦」というものを隠して私たちのことを看護師だとウソをついて第16軍病院で訓練を受けさせられました。そのような経験をしてやっと国が解放されたことを知りました。日本軍は先に撤去してしまって私たちだけが残りました。米軍が上陸して米軍の収容所に収容されました。そこで全てのことを調べられて調査を受けて調査が終わった時点でやっと韓国に帰ってくることができたのです。
「橋下市長!日本軍「慰安婦」」問題の真実はこれです」 『日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク』
http://megalodon.jp/2013-0528-1712-06/www.ianfu-kansai-net.org/2012-09-23.html
金さんは広東から、香港、マレーシア、スマトラ、ジャワと軍の移動と共に戦場を転々とし、終戦をシンガポールで迎えた。
シンガポールの陸軍病院に着くと、看護婦の訓練をさせられた。負傷した軍人を手術するのに血液を提供させられたこともあったという。いつのまにか日本兵たちはいなくなり、米軍によって収容所に入れられ調査を受けたという。「【大阪報告】 元慰安婦「着いたのは戦場の遠い暑い国だった」」 2013年5月25日 『田中龍作ジャーナル』
http://megalodon.jp/2013-0528-1720-58/tanakaryusaku.jp/2013/05/0007159
一日中、兵士の相手をさせられた。「週末は数え切れないほどの列が並んだ。本当に人間がすることなのか」。コーリャン酒を大量に飲んで死のうと試みたこともあったが一命を取り留めた。
45年8月の日本敗戦直後、シンガポールの南方軍第10陸軍病院で看護訓練中に親戚の韓国人と偶然再会した。
男性のあっせんで米軍収容所へ送られ、その後、韓国の釜山港にたどり着いた。8年ぶりの故郷だった。「沖縄まで来た金さん」 2013年05月20日 『沖縄からアンニョン~嫌韓~』
http://megalodon.jp/2013-0528-1703-24/ameblo.jp/uchina-bushi/entry-11533910102.html
ただ、いくつか疑問は残る。まず、先に画像で示した南方軍第10陸軍病院の史料にはシンガポールではなく「スマトラ」と書いてある。つまりインドネシアである。金氏はシンガポールと言っているので矛盾する。そして南方軍第10陸軍病院は金氏が同行していたはずの陸軍15師団の所属ではない。南方軍第10陸軍病院は陸軍第25軍の所属だ。陸軍第25軍はスマトラで終戦を迎えている。そして陸軍15師団の方はタイで終戦を迎えている。やはり所属部隊と、終戦を迎えた場所が色々おかしい。
また、因みに日本の敗戦後、シンガポールに入れ替わりに入ってきたのはアメリカではなくイギリスである。米軍が入ってきたと言うのはおかしい。
また、朝鮮第16軍司令部同直轄部隊なる部隊の存在もGoogleでは金氏関連のもの以外は一切見つけられなかった。そして繰り返すが日本軍は終戦してすぐに解体されているはずである。ただし、軍病院が国立病院などに名前を変えるのに2年ほど時間がかかった例はある。
そして、金氏が看護婦活動の傍ら慰安婦活動をも終戦してなお続けていたとは考えにくい。また、終戦直後の貧窮状態に置いて血液の提供を求められたのが、金氏だけだったとは思えない。想像だが人種、国籍を問わず、医療従事者は自らの血液を提供していたのではないだろうか。
次回は金福童氏の慰安婦時代の労働環境について取り扱う。(続く)
執筆: この記事は小林孝範さんのブログ『現代 note』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年06月07日時点のものです。
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