リアルな感覚が伝わる医師作家アンソロジー『夜明けのカルテ』

 朝比奈秋氏『サンショウウオの四十九日』(新潮社)が芥川賞を受賞した。好きな作家が大きな賞を受賞したり、作品がヒットした時にはいつもそうなのだが、嬉しい一方で一抹の寂しさも覚えてしまう。応援していた舞台俳優が、テレビドラマに出演して注目され、すっかり時の人になった時の気持ちと似ているような……。

 受賞してもしなくても、発表後に読もうと思っていたのがこの文庫である。現役医師の書いた小説だけを集めたアンソロジーだ。春日武彦氏や久坂部羊氏のようなベテラン、近年デビューして注目されている著者、ライトノベルで活躍している若手までさまざまな医師作家が参加している。朝比奈氏の短編『魚類譚』が掲載されている。

 主人公は、大学病院に勤めるベテランの腹部外科医である。産婦人科の教授でもある学長に呼び出され、一枚のCTフィルムを見せられる。学長室にはなぜか魚の匂いが漂っている。部屋を出ても主人公に付きまとうその不穏な空気は、以前に指導をしていたことがある優秀な医師であり今は研究者である倉沢が、大学院生たちと談笑するさわやかな姿を見かけると消えた。主人公は、倉沢と医局員の和田に手術の手伝いを依頼するのだが、どういうわけか、集合時間を1時間ずらして呼び出す。

 行われる手術というのは、二週間前に帝王切開の手術をしてから痛みが消えないと訴える女性だ。弁護士である女性の夫は手術ミスを疑っている。原因はそれとは関係がなく、S字結腸に問題があり命に関わる状況であることを丁寧に説明して、緊急手術に同意させるのだが……。

 手術中に主人公が対峙する患者の腸の触感がリアルだ。私の体内にも同じものがあり、機能しているから生きられているのだということに、居心地の悪さと人体の不思議に対する感動が混ざったような妙な気持ちにさせられる。なぜか漂ってくる生臭い魚の匂いと、手術中に自身の体内から聞こえてくる心臓の激しい鼓動と呼吸音。その不気味さの正体が明らかになるラストが衝撃的だ。他の朝比奈作品にはないサスペンス風の読み心地があり、ゾクっとさせられる一編である。

 元気すぎる研修医、クセのある天才肌の医師、疲れ果てている若手医師、ミスを認められない医師、権力にしがみつく医師……。この1冊の中には、いろいろな性格の医師が登場する。作風も、さわやかな読後感のものから、医療の闇を描いたもの、フィクションとは言え恐ろしくなるものまでさまざまだ。

 生命という失われたら二度と戻らないものを扱い、他者の人生を大きく左右する責任と繊細さを要求される仕事をする中で、登場する医師たちは皆葛藤しているが、それは医師である作家たちも同じなのではないだろうか。人間の体や命と日々向き合っている実感があるからこそ、生まれた小説なのだろうと、何度も強く感じた。

 それにしても、忙しく集中力が必要な仕事をしながら、小説家としても活躍するとか……、全員超人なのか? ちゃんと寝ているのか? 「医者の不養生」という言葉も思い浮かんでしまう。適度な休息もとりつつ執筆を続けていただきたいと、余計なことを考えてしまった。

(高頭佐和子)

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