本棚の前に佇んで、あるいは立ちすくんで〜『幻想と怪奇 不思議な本棚 ショートショート・カーニヴァル』
『幻想と怪奇』は雑誌体裁だが、出版流通区分は単行本であり、コラム類が充実したアンソロジーというのが実質だ。通常は通し号数がついていて現在15巻にまで達している。この『不思議な本棚 ショートショート・カーニヴァル』は別巻(別館?)扱いで、昨年発行されて好評だった『ショートショート・カーニヴァル』につづく第二集だ。そのタイトルのとおり、本や書店を題材にした書き下ろしショートショートを、二十七人の作家が寄稿している。
深田亨「ラビリンス」は二人称小説で、読者である”あなた”の物語だ。”あなた”がある小説を読んでいると覚えのないキャラクターがさもあたりまえのように登場して、いぶかしく思ってページを遡ってみると、なんのことはない最初のほうにちゃんと登場しているではないか。読書家ならばそんな体験はしばしばあるだろうが(私は頻繁にある)、あまり正面切って取りあげられることはない。それを物語のフックにもってきたのが、まず上手い。そんなふうに、読書していて「そういうことあるよなあ」と思うようなちょっと変な現象を、つぎつぎに”あなた”は味わうのだが、その変な具合がだんだんと尋常でないレベルへ繰りあがっていく。これは自分の不注意ではなく、読んでいるこの作品がおかしいのではないか……。コルタサルの初期作品を彷彿とさせる、メタフィクションの傑作。ありそうな読書現象をもっともらしく畳みこんでいく筆さばきが素晴らしい。
澤村伊智「『怪奇マガジン』読者ページより」は、雑誌のおたより欄に寄せられた投稿が、号を追って並べられる。素朴な感想を寄せる者、うるさがたのマニア、それをやんわりと窘める者……さまざまな声が往き来し、そこに編集部のコメントが挟まる。全体の雰囲気が、サロン的というか、往年の〈幻影城〉あたりを思わせるような熱気があって楽しい。やがて、特定の作品をめぐる議論が白熱して、虚実みだれる考証合戦へと発展していく。
植草昌実「洋古書の呪い」は、神保町の洋書店でアルバイトをしながら翻訳の仕事をぽつぽつと手がけている主人公が、師匠筋にあたるベテラン翻訳家から、「読むと死ぬ」というふれこみの洋古書を手わたされる。その古書のたたずまいといい、主人公が職場としている神保町界隈の雰囲気といい、幻想文学を中心としたニッチな翻訳業界の状況といい、ディテールの描写がとにかく読ませる。
それと好対照なのが、森青花「李賀書房」だ。こちらの舞台は、京都の丸太町通にあるすすけた古書店。とくに専門性の高い店ではないが、店主らしき老人の横の書棚に中国の詩人の本が並べられている。店名の李賀も、唐代の詩人の名からとったものだ。いかにも京都にありそうな(いまはともかく、数十年前までにあったような)店の様子が、ゆるやかに語られる奇譚とひじょうにマッチしている。
江坂遊「降霊本」は、この世にない本を降ろしてきて憑依させる本という着想が秀逸だが、そこから思いがけない結末へと至るひねりがさすが。高野史緒「百合の名前」は、エーコ『薔薇の名前』のパスティーシュで、舞台となる尼僧院の描写がみごとでミステリの結構を引き立てている。三津田信三「幻想という名の怪奇」は、作者が編集者時代に出逢った個人誌からはじまる、怪奇小説を書くことについての怪奇小説。高井信「本の虫」は、かんべむさし風ではじまった異常事態が横田順彌的なハチャハチャへなだれこむ。どれもそれぞれの書き手の持ち味がぞんぶんに発揮されている作品だ。
本巻では、これら二十七篇の競作のほか、第二回『幻想と怪奇』ショートショート・コンテスト入選作品を、四篇収録している。今井亮太「おぼろ街叙景」は、少年時代(太平洋戦争後)の記憶をたどり、解きほぐせない不思議へと逢着する。澁澤まこと「灰白」は、人形をめぐる流麗な現象小説。中川マルカ「あいのこ」は、むせかえるような神話世界が現出する異類婚姻譚。日比野心労「おいしいおいしい全て焼き」は、大判焼き(もしくは別な呼び名でそれに類する食べ物)を題材として、筒井康隆もかくやのエスカレーションが展開される。いずれ劣らぬ、新鮮な才能が燦めいている。
(牧眞司)
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