諧謔味に満ちたイギリス侵攻小説〜P・G・ウッドハウス『スウープ!』

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諧謔味に満ちたイギリス侵攻小説〜P・G・ウッドハウス『スウープ!』

 ウッドハウスはイギリス文学界のユーモア王。ネジがゆるい紳士バーティーと切れ者の執事ジーヴスとが繰りひろげるコメディ連作は、いまなお多くの読書家に親しまれつづけている。そのウッドハウスが架空戦記を書いていたとは!

 あわててEncyclopedia of Science Fictionにあたってみると、ウッドハウスの項のところに〔『スウープ!』はイギリスで1914年以前に大流行した未来戦ジャンルのパロディだ〕とあり、しっかりプロットも紹介されている。1914年とあるのは、言うまでもなく第一次世界大戦が勃発した年だからだ。ちなみに『スウープ!』は1909年の発表である。

 SF史をたどるうえで、イギリスにおける架空戦記(ほとんどが近未来戦記)ブームは避けて通れない話題である。たとえば、オールディス『十億年の宴』では、未来戦記の嚆矢であるチェスニー大佐の『ドーキングの戦い』(1871年、未訳)を取りあげ、〔”恐ろしい警告(ドレッドフル・ウォーニング)”の新しい形式が始まったのだ〕と述べた。

『スウープ!』でも、この”恐ろしい警告”のスタイルが踏襲される。ウッドハウスは「まえがき」において、この物語がイギリス侵攻という恐怖を大袈裟に描き、あまりにもリアリズムが行きすぎていると批判があるかもしれないが、自分はイギリスが危機を迎えていることを世間に知らしめることを何よりも優先したのだと訴える。

 もちろん、この主張自体がパロディなのだ。ナイーヴな愛国心や道義心が風刺されている。

 物語では、ドイツ、ロシア、ソマリア、スイス、中国、モナコ、トルコ、モロッコ、ポリゴラという九つの軍勢が、同時に(共同ではなくそれぞれ独立して)イギリスの海岸に上陸し、ロンドンを目ざしはじめる。

 事態は最初から波乱含みだった。イギリス国民にとってというよりも、侵攻軍にとって。まず、ドイツ軍を率いるオットー公子と副官のポッペンハイム伯爵が、エセックスのチャグウォーター氏の屋敷を接収しようと試み、その家族からいいように毟られてしまう。生真面目な公子は正攻法で話を切りだすが、儲け話や道楽にしか興味がないイギリス人一家の慇懃な甘言の前には、赤子の手をひねるようなものなのだ。

 当時のイギリスにはまともな軍隊がなく(その経緯が面白可笑しく説明される)、防衛は事実上ボーイスカウトに委ねられることになった。ボーイスカウトの青年クラレンス(チャグウォーター家の末息子にして、家族のなかで唯一の愛国者)が、いちおうの主人公だ。しかし、多くの読者が共感(というよりも同情?)するのは、オットー公子のほうかもしれない。おかしな一家に出鼻は挫かれるわ、部下たちはむやみやたらに砲撃したがるわ、国へ連絡すれば君主から有無を言わさず征服をせっつかれるわ、さんざんである。

 オットー公子に限らず、どの軍勢も思ったとおりの成果があげられない。侵攻作戦がずさんなのもあるが、イギリスの文化や気風が想定外なのだ。イギリスにとって外国軍の来襲はたいした危機ではなく、ギャンブルの対象である。どの軍が先にロンドンに到着するか、新聞各紙が競走馬に見立てた記事を書きたてるといった具合。ただし、イギリス人はクリケットにかかわることとなると、とたんに真剣に立ちむかってくるので、くれぐれも注意が必要だ。

 それでも、それぞれの侵攻軍は苦難を乗り越えてロンドンに到着する。しかし、新たな問題が生じる。軍勢どうしの利害だ。滑稽きわまりない押し引きがあり(とくに有利なのはドイツとロシアで、両者の意地の張りあいが最後までつづく)、その間にクラレンスたちボーイスカウトが侵攻軍撃退の策略をめぐらせていく。

 戦争を風刺する小説はブラックユーモアになりがちだが、『スウープ!』は前提となるシチュエーションからして滑稽なので、全体が牧歌的である。英語で「tongue in cheek」というイディオムがあり、辞書を引くと〔からかい[ひやかし]半分の、皮肉な、ふまじめな〕という意味だと出てくるが、頬に舌を入れるしぐさはいたずらっ子めいて、体温のようなあたたかさが感じられる。ウッドハウスの笑いのセンスは、これだと思う。

(牧眞司)

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