【連載コラム】マンガライターちゃんめいの「一曲、読んでみる?」第4回-『路傍のフジイ』(鍋倉夫)とエレファントカシマシ「さよならパーティー」

【連載コラム】マンガライターちゃんめいの「一曲、読んでみる?」第4回-『路傍のフジイ』(鍋倉夫)とエレファントカシマシ「さよならパーティー」

このマンガを読むとあの曲が脳内に鳴り響く…。

それは逆もまた然りで、時にマンガと音楽が出逢う奇跡みたいな瞬間がある。本連載では、そんなマンガと音楽の邂逅に恵まれた瞬間をマンガライターのちゃんめいが徒然なるままに綴っていきます。

<紹介する作品>

・『路傍のフジイ』(鍋倉夫)
・エレファントカシマシ「さよならパーティー」

気づけば、2025年も前半戦が終了間近だ。「え、もう半分終わるの?」という焦りと、「まあ、なんだかんだ今年もここまでよく頑張ったな」という自分へのねぎらい、そして「後半はもっとやったるぞ!」と謎の闘志が燃え上がったりして、心の中が落ち着かない。こうして心がざわついていると、ふとした言葉や周囲の空気に過剰に反応してしまったり、自分の軸がわからなくなってしまったりする。気づけば、誰かの期待に応えようとばかりして、肝心の自分がどこかへ置き去りになっていた、なんてことも。

そんな過ぎゆく半年を振り返り、これからの半年に思いを馳せる狭間のタイミングで、つい手に取りたくなるマンガがある。そして、無性に流したくなる一曲があるのだ。

何度この作品を紹介してきただろう。でも、それくらい自分という存在がぐらぐらと揺れる時に、自然とページをめくりたくなる。気づけば、何度も読み返してしまっている。それが、『路傍のフジイ』(鍋倉夫)だ。

主人公は、中年会社員のフジイさん。地味で職場でも存在感が薄く、物静かで謎めいた雰囲気から、周囲には「トロいやつ」「不気味なやつ」と揶揄されている。陰と陽で言えば、確実に“陰”だと見なされている存在だ。

物語は、そんなフジイさんの職場の同僚や、かつての友人といった“彼を見つめる人々”の視点で進行していく。もちろん、彼自身を軸に描かれるエピソードもあるが、本人はほとんど語らず、ただ日々を淡々と過ごしているにすぎない。それでも、彼の在り方はじわじわと観察者たちの心に影響を及ぼしていく。そして、読み進めるうちに読者自身も問いかけられているのだ。

――他人からどう見られるかを気にするあまり、自分がどう生きたいかを後回しにしてはいないか。友達がいない、パートナーがいない、それだけで“その人の幸せ”を決めつけてはいないか…と。

周囲からは「地味だ」「つまらなそうだ」と、どこか哀れむような目で見られがちなフジイさん。けれど、その日常を静かに見つめていると、承認欲求や効率主義といった時代の風に決して流されることなく、自分のペースで生活を築いていることが見えてくる。感情に正直に、身の丈に合った暮らしを、ひとつひとつ丁寧に積み重ねている。その姿は決して華やかではないが、芯の通った強さがあり、どこか静かで清々しい。

それでいて、誰かを説得しようとするわけでも、何かを証明しようとするわけでもない。ただ、無理をせず、自分らしい在り方を淡々と貫いている。そんな“路傍”にひっそりと佇むフジイさんは、見つめる者の心をじわじわとほどいていく。そして、自分自身を縛っていた価値観や思い込みを、いつのまにか手放させてくれるのだ。気づけば私も、何度となくフジイさんに救われていた。

その『路傍のフジイ』に、ふと重ねたくなるのが、エレファントカシマシの「さよならパーティー」だ。この曲は、「さあ がんばろうぜ!」の歌詞で知られる、誰もが一度は耳にしたことがあるであろう大名曲「俺たちの明日」のカップリングとして収録されている。

さて、“パーティー”と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろう。大抵は、賑やかで楽しく、華やかな場面を想像するのではないだろうか。けれど、この曲でミヤジ(尊敬と親しみを込めて、あえてそう呼ばせてください)は、まるで違う風景を見せてくれる。

いつでもそうさ 夢ってヤツを
見つけた気になって飛びついちゃあ
ゴマカシて笑った
さよならパーティーもう抜けようよ
だってこんなのはつまんない
ココロってヤツはゴマカセねえな..

エレファントカシマシ / 「さよならパーティー」

ここで歌われる“パーティー”は、単なる集まりや宴ではない。きっとそれは、世間が求める正しさや、無言の同調圧力、あるいは自分自身で無意識に背負ってしまった役割や期待のこと。そして、「もう抜けようよ」と歌うミヤジの声は、叫びではない。静かに、でも確かな温度で、私たちの肩にそっと手を置いてくれているようにも感じる。

この曲を聴くたび、心のどこかに絡みついていた“抜けられないパーティー”から、一歩踏み出す力がふと湧いてくる。そして思うのだ。フジイさんはきっと、そんなパーティーからとっくに抜けて、ただ静かに、自分の歩幅で路傍を進んでいる人なのだと。

もちろん、パーティーを抜けるのは怖い。寂しさもある。けれどそれでも、自分の足で、自分の道を選び取っていくこと。その意志こそが、あの曲に込められた“さよなら”の意味なのだと思う。

2025年も折り返し地点。これからの後半戦は、誰かの期待に合わせて踊るようなパーティーではなく、自分の心が鳴るほうへ。フジイさんのように、ゆっくりと、でも確かに、一歩ずつ歩き出していきたい。

●マンガライターちゃんめいの「一曲、読んでみる?」は毎月1日22時に掲載予定です

プロフィール

ちゃんめい
マンガライター。マンガを中心に書評・コラムの執筆のほか作家への取材を行う。宝島社「このマンガがすごい!2024、2025」参加、その他トークイベント、雑誌のマンガ特集にも出演。オールタイムベストは『鋼の錬金術師』(荒川弘)。
https://x.com/meicojp24
https://chanmei-manga.com/

【連載コラム】マンガライターちゃんめいの「一曲、読んでみる?」第4回-『路傍のフジイ』(鍋倉夫)とエレファントカシマシ「さよならパーティー」

フォトギャラリー

フォトギャラリーはこちらからご覧いただけます

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 【連載コラム】マンガライターちゃんめいの「一曲、読んでみる?」第4回-『路傍のフジイ』(鍋倉夫)とエレファントカシマシ「さよならパーティー」

OTOTOY

ハイレゾ音楽配信/メディア・サイト。記事も読めるようになったアプリもよろしくどうぞ。

ウェブサイト: http://ototoy.jp/

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。