日本の文化の発展を支えた影の功労者 東映創業者・大川博さんの半生と功績(前編)
大川裕様提供
日本の近代化や文化の発展に大きく寄与した実業家は数多くいますが、現代においてあまり触れられることのない隠れた立て役者も多く存在します。今回はそんな実業家の一人、東映株式会社の初代社長として知られる大川博さんの生い立ちや功績を前・後編に分けて紹介いたします。
鉄道省に入省し監査官として経験を積む
大川博さんは明治29年(1896)、新潟県加奈居村(現・新潟市西浦区)に生まれます。15才になると鉄道員養成の専門学校である岩倉鉄道学校へ入学。大川さんは官鉄(国鉄)に務めていた従兄の制服姿に憧れを抱き、鉄道マンを志したと少年時代を回想しています。大川さんはその後、中央大学法学部へ進学し卒業後は鉄道省へと入省します。
鉄道省で配属されたのは経理局調査課です。学生時代に力を入れた経理畑であり鉄道会社の監査官として全国を飛び回ることとなり、監査官として省内でも随一の実力者だと言われるようになります。
大川さんに転機が訪れたのは昭和17年(1942)、東急電鉄の専務であった五島慶太さんにヘッドハンティングされました。五島さんが大川さんに目をつけたのは、昭和15年(1940)に札幌で行われた鉄道講習会がきっかけ。大川さんはここに講師として招かれており「税法改正と会計の処理」という題で2時間ほど講演を行いました。この講習会がきっかけで五島さんから大川さんに東急電鉄入りの打診があったわけですが、戦時中で大川さんには会社京地統制令の普及啓発という大事な任務があり、打診をすぐに受け入れられる余裕がありませんでした。さらに鉄道省監督局局長であり後に総理大臣にもなった佐藤栄作さんからも「いますぐ君を手放すわけにはいかない」と言われ、大川さんが東急電鉄に移籍したのは3年後の昭和17年(1942)12月になります。
赤字だった東映映画を生まれ変わらせた
東急電鉄に入社した大川さんに与えられた肩書きは「統制部長兼総務局次長」というものでした。これは事業を拡張していた東急電鉄の傍系事業を統括するというもので範囲はかなり膨大なもの。大川さんは他の鉄道事業者との合併交渉なども行い、成果を上げ昭和23年(1948)には専務取締役に就任します。
また、昭和21年(1946)に東急が「セネタース」というプロ野球チーム
を買収した際にはオーナーに就任。「東急フライヤーズ」と命名された球団の経営にあたり、昭和24年(1949)に創設されたパシフィック・リーグの初代会長にも就任しました。
昭和26年(1951)、当時東急グループであった東京映画配給株式会社が東横映画株式会社、太泉映画株式会社を吸収合併して東映株式会社が誕生します。東映の初代社長に就任したのが大川さんでした。多大な債務をおった状態でのスタートでしたが大川さんは建て直しに成功します。当時の大川さんの働きについて、にいがた文化の記憶館の学芸員である石垣雅美さんに話を聞きました。
まず、大川さんが行ったのはコスト管理の徹底です。当時は、とにかくいい映画が撮れればいいという考え方で、お金の使い方は丼勘定でした。鉄道省時代から経理畑だった大川さんは予算枠を設け、それを撮影所に順守するように求めました。当然ながら、撮影所から大きく反発されましたが、大川さんも全く動じず予算を守らせました。
また、昭和26年(1951)にサンフランシスコ講和条約の署名が行われました。これにより戦後、GHQにより禁止されていた時代劇の上映が可能になります。これは時代劇のスター俳優を擁していた東映にとっては追い風となります。映画の流通面でも改革を行います。今ではだいぶ減りましたが、当時は映画制作会社が映画館を直営で運営しているケースも多くありました。当時は、直営の映画館でも他社の作品を一定数上映することもあったそうですが、大川さんはすべて自社の作品を上映する体制を作り、さらに直営館の数自体を増やすことにも力を入れました。
昭和28年(1953)には第二次大戦中のひめゆり部隊の少女たちを描いた「ひめゆりの塔」が大ヒットし東映映画の地位を確固たるものにしました。実は「ひめゆりの塔」は当時の東映の平均の3倍以上の製作費が投じられています。映画プロデューサーであるマキノ光雄さんが予算の全体像を伏せた状態で大川さんに交渉したためなのですが、アニメーション研究者の津堅信之さんは著書「ディズニーを目指した男 大川博」の中で「大川は大川なりの映画を、というよりも「活動屋」の空気を理解しはじめていたのである。」と考察しています。
昭和31年(1956)には「東洋のディズニー」を目指して日本初の本格的なアニメスタジオ東映動画(現在の「東映アニメーション」)」を設立します。昭和33年(1958年)には日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」を制作します。「スタジオ・ジブリ」の宮崎駿さんや高畑勲さんも東映動画出身で、東映動画は日本のアニメーションの歴史にとっても重要な役割を果たしています。また、東映動画では多くの新潟出身者をスタッフとして採用していました。
ちなみに2019年のNHK連続テレビ小説「なつぞら」に登場する東洋動画のモデルは東映映画だと言われており、角野卓三さんが演じた東洋映画社長・大杉満は大川博さんをモデルにしたと言われています。
全編では大川博さんの生い立ちから東映創業者としての功績について紹介いたしました。後編では大川さんの故郷・新潟に対する想いなどについて紹介していきます。
【取材協力】
にいがた文化の記憶館 学芸員 石垣雅美様
【参考文献】
津堅 信之・著『ディズニーを目指した男 大川博』(日本評論社、2016年)
【参考】
東映株式会社
https://www.toei.co.jp/company/index.html
新潟国際アニメーション映画祭
https://niigata-iaff.net/
(written by 山崎健治)
テレビ番組のリサーチャーによる情報サイト。 テレビ番組におけるネタ探しのプロが蓄積された知識とリサーチノウハウを武器に、芸能、雑学、海外、国内ご当地、動物など多岐に渡るジャンルをテレビ番組リサーチャー目線で発信しています。
ウェブサイト: http://www.nicheee.com/
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。