キング『ビリー・サマーズ』の静と動に掴まれる!

キング『ビリー・サマーズ』の静と動に掴まれる!

 エンターテインメントは感覚の緩急に左右されるのだと改めて認識した。

 スティーヴン・キング『ビリー・サマーズ』(白石朗訳/文藝春秋)を読んでの感想である。キングのデビュー作は1974年の『キャリー』(新潮文庫)だ。それから50年間、ホラー文学の先頭を走り続け、SFやミステリーなど隣接領域でも語るべき傑作を著して、ジャンルの壁を超える者、ブロックバスターの称号がふさわしい作家生活を送ってきた。本作は2021年に発表された長篇である。作家業50周年を飾るにふさわしい作品が訳出されたものだ。

 ビリー・サマーズとは主人公の名前である。軍隊で仕込まれた狙撃の腕を用いて、数々の標的を葬ってきた。そろそろ足を洗おうと決意した彼が最後に受けたのは、200万ドルもの高額報酬が約束された仕事である。

 標的の名はジョエル・アレンといい、同業の殺し屋だという。サマーズが仕事を請けるのには決まりがあり、殺す相手は悪い奴でなければならない。その点では大丈夫、殺し屋だし。アレンは現在ロサンジェルスの刑務所に収監されており、裁判を待つ身だ。どうやら司法取引に応じたらしく、その裁判で依頼人にとって不利な証言をするというのである。狙撃の機会は一度きりだ。刑務所から護送されてきて裁判所に入るために姿を現す、その瞬間を狙うのである。アレンが連れてこられる日時ははっきりしないため、サマーズはしばらく街に潜伏していなければならない。そのためには偽りの身分が必要だ。

 殺し屋が依頼を遂行するために現地へ赴き時機を待つ、という展開で始まる小説といえば、ローレンス・ブロックの『殺し屋』(二見文庫)がすぐ頭に浮かぶ。殺し屋ケラーものの第一作となった連作小説である。この作品のおもしろい点は、主人公が完全に無個性な男に設定されていて、感情の動きもほぼ描写されないため、厳密な非情さが確保されていることにあった。淡々とケラーは待ち、淡々と殺し、淡々と帰ってくるのだ。ただし、そうした無感情な主人公では続けて書きにくかったのか、後にブロックはケラーに個性を与え、彼の考えも書くようになる。ケラーは趣味も見つけた。切手収集である。後にケラーは『殺し屋 最後の仕事』(二見文庫)で謎の敵から命を狙われ、身を守るために逃げなければならなくなる。殺し屋ないし強奪犯の逃避行を描くというのも犯罪小説の定型の一つであろう。ロジャー・ホッブズ『ゴーストマン 時限紙幣』(文春文庫)は、逃げることを初めから前提として、姿を消すことを特技とする犯罪者を主人公とする物語だった。

『ビリー・サマーズ』もこうした犯罪者小説の定型に則っている。巨額の報酬を約束されたサマーズは、依頼人の言動に欺瞞を感じ取り、裏切られることを想定しながら決行までの日々を過ごす。この部分が仕込みになるので、物語後半で話が動くのである。大雑把にいえば上巻が待機編、下巻が脱出編というか。細かくは説明しないが、上巻はとにかく待機しかしない。当然である。殺人といっても、サマーズのやることはライフルの引き金にかけた指を一回動かすだけなのだから。それまでの待つ時間のほうがはるかに長い。

 だが、この待機のくだりが非常におもしろいのである。サマーズに仕事を依頼した連中は、周囲に怪しまれずに彼が待ち続けられるように、偽りの身分を準備した。いわゆる缶詰めになって執筆中の作家である。なるほど、それなら同じ部屋にずっと籠っていてもおかしくない。妙案といえるだろう。だが、彼らは知らなかった。普段「お馬鹿なおいら」を演じて、手に取る本といえばコミックブックだけ、という姿を周囲に見せているサマーズが、実はエミール・ゾラを愛読する文学マニアだったということを。適当に何か書いていりゃいいんだ、と言われたサマーズは、本気になって自分の小説に取り組んでいく。何を書くか。一人の殺し屋がなぜできあがったのか、という半自叙伝の物語である。それもゾラのような文体では高尚すぎる。誰かが原稿を読んだら、「お馬鹿なおいら」という仮面に疑念を持たれてしまうかもしれない。パルプマガジンのページを埋めるような、粗野な文体こそがふさわしい。かくしてサマーズはパソコンに向かい、第1行を書く。それはこんな文章だ。

—-母さんが同居していた男は片腕を折って家に帰ってきた。

 うわあ、読みたい。この書き出しからどんな話になるのだろうか。期待は裏切られず、獰猛で、荒々しい場面がこの後には続いていく。喪われるべきではない命が奪われ、報復が行われる。もはや数ページでおもしろいぞ、ビリー・サマーズ。どんどん書いてくれよ。

 この仕掛けですっかり心を奪われるのだが、サマーズが小説を書き始めるのは上巻の四分の一くらい、つまり全体でも八分の一が経過したあたりである。そこまではただ、待機に関する会話が交わされて舞台が準備され、サマーズがパソコンの前に座るまでが延々と描かれるだけだ。キングはこの、しかるべき場所にしかるべき人物をいさせる、という配置を丁寧にやる書き手である。それがうまくいっていることを確認するまでは、絶対に物語を動かさない。上巻の残り四分の三も基本的には同じで、サマーズが小説を書いている以外、事態は大きく動かない。ただ、準備が進んでいくだけだ。この、動へ向けての静の部分が、キングは非常におもしろいのである。話は動くまでは動かさない。これが鉄則だ。そして動き出したら徹底的に動かす。めりはりの効いた物語運びは必ず読者の心を掴む。エンターテインメントの骨法である。

 物語が動き出しても、興が乗ったサマーズは小説を書くことを止めない。作中作の進展と事態の推移を読者は同時に見守ることになる、というのが本作の趣向だ。下巻の内容はあえて省く。すごくいいキャラクターが出てくる、とだけ書いておこう。上手いなあ、と感心させられる。

 本作もう一つの楽しみは、随所にキング自身のものを思わせる小説観が書かれている点だ。サマーズは実にいい読み手なのである。彼の感想を拾っていくのも楽しい。上巻の最初で彼はゾラの『テレーズ・ラカン』(岩波文庫)を読んでいる。そしてこんなことを考えるのだ。

—-この長篇は、ジェイムズ・ケイン作品に一九五〇年代のECホラー・コミックスを混ぜたような雰囲気だ、と思う。

 ね、いいでしょう。本書のスピンオフとしてキングは『ビリー・サマーズのブックガイド』とか出してくれないだろうか。

(杉江松恋)

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