足を失ったのに「足を動かせている」と感じる…… 記憶が生み出す「幻肢」の不思議
日常的に、一つひとつ意識しながら立つ・座る・歩くといった動作をおこなう人は少ないだろう。生活のなかで繰り返しおこなうことで、ごく自然におこなえるよう体が記憶しているからだ。では、事故や病気で体の一部を失い、記憶通りの動きができなくなるとどうなるのだろうか。
今回ご紹介する書籍『記憶する体』(春秋社)には、先天的・後天的な理由から体の一部、もしくは機能を失った方々が登場する。彼・彼女たちの生活を知ると、普段意識していない体と記憶の興味深い関係性が見えてくる。
まず、同書のなかで大きな存在となるのが”幻肢”だ。手や足など体の一部を切断した、もしくは麻痺で動かなくなった人が、失ったり動かなくなったりしたはずの手や足がまだ存在しているように感じる現象をいう。”幻肢”には痛みを伴うケースが多いとされ、痛みの原因は脳の指令に対して感覚情報のフィードバックがこないため、といわれている。
「つまり「動くだろう」という予測と「動きました」という結果報告の間に乖離が起き、この不一致が痛みとなってあらわれると考えられています。「脳が記憶している手や足の動き」と「現実の手や足の動き」のズレが幻肢痛を生んでいるのです」(同書より)
幻肢や幻肢痛は、当事者にとって大きな苦しみとなるケースが多い。しかし、この幻肢の存在が義肢を使いこなすのに一役買うこともあるという。
プロのダンサーであった大前光市氏は、事故によって左足膝下を失った。その後、義足をはめた状態でダンサーとして復帰し、さまざまな賞を受賞するとともに、リオパラリンピックの閉会式でもダンスを披露している。
再び踊れるようになるまでの道のりは、当然平坦なものではなかった。はじめは左足をかばって動いていたため、かえって右足を壊してしまう結果に……。そこから大前氏は体の使い方を見直し、左足を積極的に使う方向へと変えていった。
大前氏には、プロのダンサーとして培った体の記憶がある。事故に遭う前に左足を使っていた感覚を、存在しなくなった左足にも当てはめるよう意識したのだという。当然、左足はないので、かつてのように動くわけではない。しかし、大前氏は左足の感覚が意識できているそうだ。
「『足裏をキュッと丸める感じ』が成立するためには、『足裏をキュッと丸めよ』という命令が何らかの形で引き受けられている必要があります。実際に足裏がない以上、これを引き受けているのは幻肢以外にはありえません」(同書より)
大前氏は、強い幻肢痛を感じることがない。幻肢痛は、脳からの指令に対し実際に動いたというフィードバックがないために起こる、と考えられている。大前氏が強い幻肢痛を感じないのは、幻肢を動かせているという感覚があることが理由の一つとして挙げられている。
さらに興味深いのは、大前氏が幻肢を動かそうと意識すると、つられて近くの筋肉が動くという点だ。大前氏は、足の切断部が一般の切断者に比べて硬く、筋肉に覆われている。その理由は、大前氏が意識して幻肢を動かしているからだという。左足の記憶をもつ体が、脳からの指令に応えようとした結果だろう。
ちなみに、大前氏は後天的に足を失ったために幻肢が存在するが、先天的に体の一部がないと幻肢も存在しない。先天的に左肘から下がない川村綾人氏には、もともと両手があったという記憶がない。そのため幻肢がなく、大前氏とは義肢に対する感覚や意味も異なる。
「いや、『意味が違う』という言い方すら、語弊があるかもしれません。川村さんにとっては、そもそも左手という『意味が分からないもの』を付け足すことになる。先天的に障害を持つ人ならではの、記憶のなさ、意味のなさです」(同書より)
川村氏は、左手がない状態で生活するのが当たり前だ。仕事もスポーツも、右手だけでおこなえる。しかし、就職するタイミングで装飾義手を作製し、基本的に外出する際は身につけるようになった。川村氏にとっては服や靴のようなもので、プライベートとパブリックな場所の境界のような存在になっている。
日常的に義手を身につけながらも、川村氏にとって自分の体の一部とまでは思えないのだそう。もともと右手だけで生活するよう体を使ってきた川村氏には、両手を使うという感覚や記憶がない。あるはずのものがなくなれば、そこに「取り戻したい」というニーズが生まれる。しかし、川村氏の体には左手に対するニーズが生まれないのだ。
著者の伊藤亜紗氏は「体の記憶は自動的に蓄積されるものではない」としている。障害の有無に関わらず、試行錯誤のなかで体の使い方に対する工夫をみつけたり、他者の力を借りて新たな可能性を発掘したり。そうした積み重ねが「その体らしさ」を生み出していく。
普段当たり前に使っている自分の体には、どのような「らしさ」があるのか。彼・彼女たちの「らしさ」を知ることは、自分の体に思いを巡らすよいきっかけになるだろう。
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