殺し屋たちの”ホテル小説”伊坂幸太郎『777』が楽しい!

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殺し屋たちの”ホテル小説”伊坂幸太郎『777』が楽しい!

 伊坂幸太郎について考えることは常に喜びである。

 伊坂幸太郎の新刊『777』(KADOKAWA)と書いただけで自分の顔がにこにこし始めているのがわかる。話をしたくなるような作品なのである。ただ、話をするのが難しい作品でもある。だからあらすじについてあまり書けない。

 一口で言えばホテル小説ということになる。舞台となるのは、ウィンストンパレスホテルだ。その中だけで物語は展開していく。グランドホテル形式という用語がある。ヴィッキィ・バウムのベストセラー小説を原作とした1932年公開の映画があって、そこが元になっている。ホテルの中で宿泊客や従業員など、複数キャラクターの人生模様が展開していくという群像劇の手法だ。それに近いのだけど、『777』の場合、登場人物がごくわずかな例外を除き「業者」と呼ばれる殺し屋である点が特殊である。

 伊坂には〈殺し屋〉シリーズと呼ばれる一連の作品がある。登場人物は一部共通しているが、通しの主人公が活躍するものではない。第一作は2004年の『グラスホッパー』(以下、すべて現・角川文庫)、第二作は2010年の『マリアビートル』、第三作が2017年の『AX』とつながっている。

『グラスホッパー』が出たときは本当にびっくりした。この作品は一般人が偶然殺し屋の世界に接触してしまうところから始まる。彼の視点から見た殺しの場面が、解剖学的な正確さをもって描かれるのである。突然の死と日常とが接触してしまう驚きを描いた作品であり、第一級の暴力小説である。こういうものも書けるのか、と驚かされた。伊坂は死と暴力をそっけないリアリズムで書くことの隠れた名手であり、それが発揮された作品だ。以降の作品にも共通する特徴である。『グラスホッパー』は殺し屋たちが暗躍するブラックコメディとしても読めるのだが、それをさらにスラップスティックの域に高めたのが『マリアビートル』だった。新幹線〈はやて〉の車内だけで展開する密室劇で、デヴィッド・リーチ監督、ブラッド・ピット主演の『ブレット・トレイン』として映画化されたことをご記憶の方も多いだろう。英国推理作家協会賞の翻訳部門最終候補作にもなった。

『AX』はまったく趣向が違っていて、ベテランの殺し屋だが家では無茶苦茶な恐妻家の兜が主人公の連作短篇集になっている。いかに妻を怒らせずに外で人を殺すかというのが兜の日常だ。何それ、中村主水か。ムコ殿か。この連作は伊坂が得意とするある手法によってびっくりするような結末を迎える。シリーズは、このへんから内容が紹介しにくくなるのである。ネタばらしの危険が出てくるからだ。伊坂は何かの続篇にあたる作品だと、長く続いているということ自体を目くらましに使って何かを仕掛けようとするので油断がならない。

 で、『777』だ。本作の舞台は最初に書いたようにシティホテルで、その中だけで物語が展開する。『マリアビートル』に似ているな、と思ったら同作で主役的な働きをした天道虫が再登場した。天道虫は何万人に一人というようなツキのない男で、前作も簡単な仕事だと言われて新幹線に乗ったばかりに、危うく命を落としかけることになった。今回の天道虫は、ホテルの一室にいる相手に娘からのものだと言ってプレゼントを届けるという「簡単かつ安全な仕事」を受ける。でも天道虫だからまともに話が進むわけがないな、と思って読んでいると、さっそく死人が出てしまう。登場からわずか7ページ、やはりこの男ツイてない。

 面倒事に巻き込まれてしまった天道虫は、自分の仲介業者である真莉亜に危機が迫っているという情報も入手し、なんとかしてウィンストンパレスホテルから脱出したいと考える。これが一本目の柱である。二本目の柱は紙野結花という女性を巡るものだ。一度見たものは絶対に忘れないという記憶能力を持つ彼女は、そのために禍に巻き込まれてしまう。危険人物から身柄を押さえられそうになってしまい、ウィンストンパレスホテルに投宿する。自分を助けてくれるココという逃がし屋に会って相談するためだ。彼女は殺し屋ではなくて、一般人なので狙われる側である。天道虫も逃げる側だから、この二人がどこで出会うかというのが物語の軸となる。ゲームには当然鬼にあたるキャラクターが必要なわけで、さまざまな業者がホテルにやってくる。どんな技の持ち主かは読んで確認したほうが楽しいので、二つ名だけ書いておこう。マクラとモウフ、コーラとソーダ、そして「六人」と表示される連中も登場する。名前はアスカとナラ、ヘイアン、カマクラ、センゴクにエドだ。全員美男美女の六人組だということは書いておこう。

 こうした物語はキャラクターの出し入れでいかに読者の意表をつくかが命なので、どうなるかは書かない。最初に天道虫がいるのは2010号室で、紙野がいるのは1914号室、1階のロビーに辿り着き、外に出ることができたら彼らの勝利だ。『マリアビートル』では高速で走り続ける檻という舞台の趣向があったが、今回はホテルの高さが障害となる。

 感心したのは、娯楽に徹する一方で現代社会の象徴ともいうべき事柄を物語に織り込んでいることである。他人の痛みに鈍感になり、おもしろ半分に傷つけようとする風潮については特に意識的に取り上げられており、他人の権利を侵してもいいと考える者がこの世に多数いるのはなぜか、ということについて考えたくなる。自と他の物語でもあって、その間にある深い断絶を埋めるのがあまり得意ではない人々が主たる視点人物になっている。これも伊坂作品ではよく見られる特徴だ。

 伊坂が伏線埋設の技術に長けていることはよく知られているのでくどくど書かない。本作でも見事な手つきでそれをやってのけている。特に『ゴールデンスランバー』級のさりげない、だが気づくと楽しい伏線がある場所に仕掛けられているので、気づいた方は誰にも言わずににやにやしてもらいたい。気づかなかった方は見つかるまで読み返してみよう。小説の細部が楽しいのも伊坂作品の特徴である。

 あ、あと伊坂は冗談を仕込むのも好きだ。これは好みが分かれるので、読者によってそれぞれ気に入った冗談が違うと思う。私はケサルの「来た。見た。勝った」だったな。冗談を説明することほど不粋な行為はないので、これも説明しない。一人でくすくす笑っていよう。

(杉江松恋)

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