無双におもしろい大活劇怪奇小説〜似鳥鶏『唐木田探偵社の物理的対応』
読み始めて、あれ、これ好きなやつなのかな、と思うまでが早かった。
似鳥鶏『唐木田探偵社の物理的対応』(KADOKAWA)を何の気なしに手に取ったのである。語り手の〈僕〉は十九歳の大学生だ。ある日彼は空に異様な月を見てしまう。濃淡まだらの茶褐色、不自然に大きくて、汚い。その違和感に気を取られて見ていると、信じられないものが目に入った。空を飛ぶ飛行機が、その月の後を通り過ぎたのである。
ありえない。
そしてもう一つありえない光景が。視界の左に目をやると、そこには白く輝く別の月が上ってきていた。空に月が二つあった。
この光景を見た瞬間から人生が一変してしまった僕は、現代人なら誰もやることをする。携帯電話に「偽の月」と打ち込んで検索したのだ。複数のどうでもいい検索結果が出た中でひとつだけ違う話題が出てきた。
「思い出女」というエピソードである。記憶の中にいつの間にか異物が紛れこんでくる。「そういえば、ナース服の女がそこにいた」と過去の記憶が上書きされてしまうのだ。「あの時もいた」「そういえばあの時も」という虚偽の歴史に納得しているうちに、それは次第に接近してきて。
いつの間にか後ろからやってきていた思い出女に鎌で首を切られて死ぬ。
という怪異に僕も巻き込まれそうになった瞬間。
突然、閃光と爆音が現実を引っくり返す。今少しのところで殺されそうになっていた〈僕〉を救ってくれたのは重火器で武装した二人の男だった。共に手にはマシンガン、一人は和服で、なんと帯刀までしていた。思い出女らしき怪異の息の根を止めた二人は、その残骸も重火器で完膚なきまでに破壊し尽くしたのである。
命の恩人であるがどう考えても異常な二人は唐木田探偵社の社員だった。〈フラン〉と〈豊後〉と名乗る二人に保護された〈僕〉はその探偵社に連れていかれる。拒む暇もなしに。そして唐木田探偵社への就職が決定する。
世の中には突如、見えてしまうようになる者がいる。何が見えるのか。トイレの花子さん、カシマレイコ、コックリさん、マッハババアといった都市伝説の化け物たちだ。それらの都市伝説は、初めは単なる噂だが不特定多数の人間が「存在するもの扱い」をしている間に「存在」と「不存在」のもともと曖昧な境界を越えて、実際にいることになってしまうのだという。それが見えてしまうようになる。標識はあの偽の月だ。それが見えてしまった者の前には、次から次に化け物が出現するようになる。そしていずれ殺される。助かるためには唐木田探偵社のような駆除業者になって戦うしかない。
〈僕〉に不可避の運命について説明してくれた唐木田探偵社の先輩・雄馬さんは言う。
「『もし本当に現れたらどうしよう』……怪談を聞いた時に、誰でも一度は思ったことがあるよね。答えは簡単。殴ればいいの。思いきり」
怪異退治に仕えるのは霊力ではなく物理攻撃。それがこの世界のルールなのだ。
自らの運命に観念した〈僕〉はすべてを受け入れて唐木田探偵社の社員となる。まず最初に覚えることは戦闘方法だ。命を落とさないことが第一で、まず逃げる。無理なら先制攻撃あるのみ。仲間が倒れたら見捨てる。なぜか〈ネズミ〉のコードネームを与えられた〈僕〉は、「単に向いている気がするから」という理由で10年生存率がわずか25%というデータのある調査部、つまり最前線の戦闘員に志願する。そこから闘いの日々が始まるのである。
相手は化け物だから即座に駆除していい、というお墨付きの下にひたすら格闘場面が展開される大活劇小説が『唐木田探偵社の物理的対応』である。とにかく物理、物理、物理。だいたいは重火器でときどき斬撃、あと麺打ち棒で相手を粉々に磨りつぶすのもよくある。政府は都市伝説怪異の存在に気づいているが、そのせいで死ぬ犠牲者の人数が今のところ微小なので唐木田探偵社のような外注業者に丸投げして国民に対しては一切情報開示していない、という設定なのでとにかく治外法権なのである。怪異を始末してしまえば、あとはお国が無かったことにしてくれる。だから安心して物理、物理、物理。
能天気な設定に見えると思うが、そのただなかにいる者たちはみな死と隣り合わせで、実際に調査部の中から死者も出る。10年生存率25%は伊達じゃないのだ。ではなぜ、そんな明日のない道を選んだのか。作者は調査部の面々がたどってきたそれまでの生涯を、挿話の形式で紹介していく。みんな他に行き場がなく、必然としてやってきた者ばかりなのだ。常に死の中を生きる者の緊張感、そうした境遇を共にする者同士ではないとわかりあえない土壇場の連帯感が描かれ、物語は次第に高揚していく。
怪異もオリジナルからよく知っているものまで多様で、息つく間もなく次から次にやってくる。それらをいかに「物理」で駆除するかというアイデアも十分に考え抜かれていて感心させられるのである。走る車を追い抜いていく「マッハババア」あるいは「Uターンババア」の都市伝説を聞いたことがある人は多いと思うが、それをどうやったら「物理で」退治できるか考えたことはないのではないだろうか。または、乗っていた電車が「キサラギ駅」に行ってしまったときに、どうやったら「物理」で血路を開けるか、などと。作者はやっている。楽しかっただろうな、考えるの。
そんなわけで妖怪小説と物理攻撃の活劇小説が合体した、無双におもしろい物語だったのである。読み味は格闘ゲームの中に放り込まれて自機がなくならないように気を付けてがんばれ、と言われている感覚に近く、そんなものどう考えても死ぬだろう、と絶叫しながらページをめくり続けることになる。気持ちいい。快感である。世の中に、こんなにスリリングかつ爽快な怪奇小説があったとは。物理すごい。
(杉江松恋)
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