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増子化対策

zoushika

子供の数がどんどん減少していくことに対しての不安と疑問。それは法則に基づくものという、もうひとつの視点に納得させられました。今回は内田樹さんのブログ『内田樹の研究室』からご寄稿いただきました。

増子化対策
共同通信の取材。テーマは少子化・未婚化・婚活。同じテーマで何度もしゃべっている。同じことを何度も書くのも疲れるけれど、基本的なことなので、繰り返す。

「少子化問題」というものは存在しない。

例えば、新石器時代に「少子化問題」というものは存在しなかっただろう(その時代に生きたことがないので想像だが)。その時代の集団において、「最近、みんな結婚しないし、子供が生まれないのはまことに困ったことだ」というような問題があったとは思えない。そんな問題をかかえた集団は数世代で(はやければ一世代で)消滅してしまったはずだから、そもそもそれが「問題」として意識される暇さえなかった。「親族を形成する」というのは人間が人間である基礎条件の一つだからである。それは「労働する」とか「言語を話す」ということとほとんど同レベルの「当為」である。

「最近、みんな労働ないので、困ったものだ」というような悠長なことを言っていた集団はたちまち全員餓死しただろう。「最近、みんな言語を発しないので、困ったものだ」というような集団はコミュニケーションができないのでたちまち瓦解(がかい)しただろう。

人間たちがほんとうに「親族を形成したくない」と思い始めたら、それはもう人間集団である条件を失っている。何かうごめいているものがそこにいたとしても、それもう人間ではない。

だから、今起きているのは、「親族を形成したくない」という集団解体めざす流れではなく、「子供の数を減らす」ことが集団の維持にとって必要だという判断に基づいた行動である。私はそう理解している。

親族形成が「したい」という人はするし、「したくない」という人はしない。一見すると、それぞれの人の自由意思の結果のようであるけれど、親族形成が類的宿命である以上、それに逆らう行動をとることには、個人の意思を超えた強い規制力が働いていると考えなければならない。

人口の増減はその社会の「キャリング・キャパシティ」によって決定される(これは人口社会学の古田隆彦さんに教えてもらった)。

———–以下引用
carrying capacity というのは一定の環境の中に一種類の生物がどれだけ棲息(せいそく)できるか、その上限数のことである。「環境収容力」とも「環境許容量」ともいう。
グッピーの雌雄50匹を栄養の十分な養魚鉢に入れておくと、卵が孵化(ふか)するたびに成魚が幼魚を食べ、個体数の増加を抑える。さらに成魚同士が共食いを始め、九匹になったところで個体数が安定する。
———–引用ここまで
※古田隆彦(『日本人はどこまで減るか』 2008年 幻冬舎新書 47ページ)より引用

人間もこの法則から自由ではない。
列島の環境収容力は1億3000万人で上限に達した。だから、これから安定的な個体数になるまで減り続けるであろう。古田さんの予測では2042年に1億人を割る。いろいろな予測値が他からも示されているが、どれも人口が減ることについては意見が一致している。人口減少が始まったということは、私たちの集団がその集団の意思として「人口が多すぎるから個体数を抑制しよう」と判断したからである。この個体数抑制行動を促したのは、グローバル資本主義である。

資本主義というのは、その本性からして、すべての労働者とすべての消費者の均質化・標準化を要求する。標準的な労働を行うことのできる能力をもつ労働者が増えれば増えるほど、賃金は安くなる。いくらでも換えが効くからである。標準的な欲望をもつ消費者が増えれば増えるほど、商品は高く売れる。全員が同一の商品に殺到すれば生産コストは最低になり、売り上げは最大になるからである。

資本主義は年齢、性別、国籍、人種、信教、政治イデオロギーにかかわらず、標準的な労働をこなし、標準的な欲望をもつ個体をできる限り大量に供給することを制度的な宿命としている。みんなそっくりの個体が地上を覆い尽くすのがグローバル資本主義の理想郷である。

その流れの中で、まず性差が解消された。一方の性に特化した職種はほとんどなくなった。これを雇用機会の拡大と考えた人もいたようだが、繰り返し書いているように、財界や政府が男女雇用機会の均等化を推進した最大の理由はそのような人道的なことではない。それが劇的な労働条件の切り下げをもたらすからである。一ポストあたりの求職者数が二倍になるのである。より良質な労働者をより安い賃金で雇用することが理論上は可能になる。実際にそうなった。それから年齢差が解消された。これは気づいていない人が多いけれど、実際に私たちの社会で起きていることである。

子供の成熟が急速に遅くなった。まったく成熟しないまま成年に達し、さらに中年に達し、ついには老年に達する人々が大量に出現してきた。それは小学生から老人たちまでが「同一の商品」の顧客たりうるということである。年齢別に商品展開するコストと、年齢にかかわりなく同一商品がつねに売れるという場合のコストを考えれば、資本主義が成熟を忌避する理由はよくわかる。そして、その場合に「成熟した消費者」ではなく、「未成熟な消費者」を標準とする理由もわかる。なにしろ「子供だまし」という言葉があるくらいで、無価値でハリボテで装飾過多な商品に子供はたちまち魅了される。成熟した消費者を対象にものを作るより、「赤子の手をひねる」方がずっとコストが安い。

とりあえず、グローバル資本主義の進行とともに、市場内では、男女の性差が解消され、子供と老人の年齢差が解消され、すべての個体がどんどん標準的な社会行動をとるようになった。そんなふうにして、「同一種(子供)の個体数」が爆発的に増えたのである。

私たちの社会システムはグッピーの養魚鉢ほどシンプルな構造ではない。一定比率の大人がいないとシステムは回らない。子供だけではシステムは崩壊する。しかたがないので、とりあえず「子供の数を減らす」ことで比率を挽回(ばんかい)することにしたのである。「外側は中高年だが、頭の中は子供」を今さら「大人」にするにはコストがかかりすぎる。だから、生物学的な意味での子供を減らすことにして、出生数を抑制したのである。

子供の数が減ったのは、子供の数が増えすぎたからである。簡単な理路だ。少子化ではなく、実は今起きているのは「増子化」(@古田隆彦)なのである。だから、私たちが緊急に立てるべきなのは「増子化」対策である。

どうやって、子供たちを大人にするか。どうやって集団内部に、それぞれ生態学的地位と社会的行動を異にする多様な種を作り出し、それによって環境負荷を軽減するか。それが最優先の課題であると私は思う。私が思うんじゃなくて、私たちはすでに無意識的にそう判断して、それに添うように行動し始めている。

しかし、行政やメディアが前提にしているのは、単に労働者と消費者と納税者の数を維持しなければならないということである。「マーケット」を巨大化し続けることが彼らの目標なのである。だが、それが不可能だということはもういい加減にわかっていいはずである。「マーケットを巨大化し続ける」ために資本主義は個体の差を消滅させるということに全力を尽くしてきた。その結果、同一種の個体数が増えすぎて、「喰(く)う成魚」と「喰(く)われる幼魚」の間の残酷で血腥い(ちなまぐさい)「格差」が生じたのである。

少子化対策と称して「子供を産んだら金をやる」というかたちの利益誘導をするということは、要するにその施策を企画している当の本人たちが「子供はいずれ金になる」と思っているということを露呈している。もし、「子供を産んだら金をやる」と言われて、「それなら産む」という親がいたら、そのような親から生まれた子供は誕生の瞬間に「金が人間の生き死にを決める」という「金の全能性のイデオロギー」を焼き印されたことになる。

この「金の全能性のイデオロギー」を内面化したせいで成熟を止めてしまった「標準的な個体数」があまりに増えたことが「増子化」(すなわち行政のいう「少子化」)の実態だということに人々はいつ気がつくのであろうか。

執筆: この記事は内田樹さんのブログ「内田樹の研究室」より寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信

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