幼なじみとの自然体の会話〜川上 弘美『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』

 主人公と話がしたい。最近心に引っかかった出来事のことなどを、ゆるゆると話しながら日本酒を飲みたい。そして、しばらく会っていない友達とも、おいしいものを食べながらどうでもいい話をしたい。そんな気分になる小説だ。

 メインの登場人物は60歳を過ぎた3人である。小説家である主人公は、父親の留学のため子ども時代をカリフォルニアで過ごした。一家が住んでいたアパートメンツにいた日本人留学生と恋をしていたシングルマザーのマリエさんは、母と仲良くなった。彼女の3人の娘たちは主人公と友達になり、帰国後も家族ぐるみのつきあいは続いた。長女のアンは、アメリカと日本を行き来する生活をしていたが、少し前から日本で暮らすようになり、主人公とは頻繁に会っている。

 カズは同じアパートメンツに住んでいた男の子で、主人公と同じ幼稚園に通っていた。商社勤めの教育熱心な父親の方針で、小学校は遠くにある私立に通っていたから、よく遊んでいたのは一年生くらいまでだ。カリフォルニアからフランスに引っ越し、高校を飛び級で卒業して日本に帰国し、紆余曲折を経て少し名の知れた作詞家になっている。主人公とは、すっかり付き合いが途絶えていたが、40年ぶりに偶然再会して以来、一年に2回くらい会う関係だ。3人とも結婚と離婚を経験し、今は独身である。

 カリフォルニア時代にはほとんど交流のなかったカズとアンを、数年前に主人公が引き合わせて以来、時々3人で会うようにもなった。どちらかと他の知人を交えて会うこともあるし、カズとアンも連絡をとっているようだ。コロナ禍になり、人に気軽に会えない期間がやってきた。アンはアメリカから帰国できなくなり、カズからは時々「会いたいよ」という連絡が来て……。

 人生を大きく変えるような出来事が起こるわけではない。子どもの頃の出来事や、共通の知人の思い出、帰国してから日本に馴染めなかったこと、相手と会わなかった時代に経験した恋や結婚や離婚、仕事や親の介護のこと、日々考えること……。自然体の会話と日常が丁寧に描かれ、その中に彼ら自身の人生や、その周囲の人々の生きる姿が見える。それぞれが別々の場所で積み重ねてきたものに対する愛しさ、共感、敬意。子ども時代を共有しているからこそ持ち合える慕わしさ。それらが混ざり合って、じわじわと心に染み入ってくる。

 アンが主人公に、過去に何度か自分の身に起きた不思議な現象を打ち明ける場面がある。相手を不安にさせたり引かれてしまうこともあるから、気安く話しにくいし、人を選ぶタイプの話だ。それを気負わない様子で話すアンと、さらっと受け止める主人公の会話が、なんだかいいなあと思った。

 自分の幼なじみたちの顔が浮かんできた。しばらく会っていなくても、最近の出来事を話していても、一緒にいると子供の時と変わらない親密で穏やかな空気がふわっとよみがえってくるような気持ちが時々する。それって、それなりの時間を生きてきたからこそ味わえる貴重なものかもしれない。主人公の年齢になる頃、私たちはどんな話をしているのだろうか。読み終わって、そんなことを考えている。

(高頭佐和子)

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