飛行船をめぐる既視感、交叉するふたりの青春
作者の出身地でもある茨城県土浦を舞台にした青春SF。夏の空に浮かぶ飛行船の印象が清爽な主旋律として、物語全体を貫いていく。
いまは2021年、主人公のひとり藤沢夏紀は十七歳の高校生。彼女は幼いころ、同年代の少年と一緒に飛行船グラーフ・ツェッペリン号を見上げたことがあった。それ自体は鮮烈でかけがえのない、それでいて周囲の状況や経緯は頼りなく曖昧な記憶。少年の名はトシオといった。しかし、どう考えても夏紀にそんな知りあいはいない。
もうひとりの主人公、北田登志夫は十七歳の大学生。彼にも幼いころ、ナツキという名の少女とグラーフ・ツェッペリン号を見た記憶があった。確かにナツキはそこにいた。しかし、なぜ自分が彼女の名前を知っていたのか、登志夫にはわからない。
そもそも、二十一世紀の土浦にグラーフ・ツェッペリン号があらわれるはずがない。記録によれば、1929年に世界一周をめざしたグラーフ・ツェッペリン号が土浦に寄っている。しかし、グラーフ・ツェッペリン号に限らず、飛行船自体が1930年代前半には廃止になってしまった。
物語は夏紀パートと登志夫パートとが交互に語り進められ、端々の叙述や台詞によって、ふたりが別々の現在を生きていることがわかってくる。夏紀の世界では、すでに月や火星に基地があるものの、スマホは概念すらなく、コンピュータにはまだフロッピーが使用されている。いっぽう、登志夫の世界はすでに量子コンピュータの運用がはじまっているが、宇宙開発は遅れている。
やがて、夏紀と登志夫の運命は、グラーフ・ツェッペリン号をめぐる既視感を紐帯とするように、世界を超えて交叉していく。恐るおそる手を伸ばすようにお互いを探りあっていく過程は、新海誠監督のアニメ『君の名は。』を思わせる甘酸っぱさだ。しかし、これは高野史緒の作品なので、脊髄反射的な恋愛展開にはならない。もっとビターで切ない。
夏が終わるまえに、この作品をぜひ。
(牧眞司)
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