全部盛りの私立探偵小説〜S・J・ローザン『その罪は描けない』
私立探偵小説ファンが求めるものはここに全部入っている。
S・J・ローザン『その罪は描けない』(創元推理文庫)はそういう小説である。
全部、と言って問題ないと思う。私立探偵小説、特に一人称のそれは最も狭義のハードボイルドと呼ばれることが多い。卑しい街を行く高潔な騎士というやつだ。本書の主人公であるビル・スミスは、ニューヨークに事務所を構える私立探偵である。ある夜、彼の自宅に意外な客が訪ねてくる場面から物語は始まる。珍客は拳銃を手にしていた。ビルに何がなんでも言うことをきかせるためだ。ビルは彼を難なく取り押さえる。顔を見てみれば6年ぶりの再会となるサム・テイバーだった。サムは、自分が犯したかもしれない殺人事件の調査を依頼にきたのだった。
依頼人の訪問から幕が開く。私立探偵小説の定石である。その依頼人は変わっていればいるほど、信用がおけなければおけないほど理想的だ。サムはその条件を満たしている。6年前、ビルは彼が殺人罪の被告となった事件を調べるために雇われた。サムは勤め先の女性に麻薬のPCP入りのパンチを飲まされ、異常な興奮状態となってめった刺しにしてしまったのだ。手を下したのは事実だが、一服盛られたという点が普通ではない。ビルはその線で弁護士と共に闘うつもりだったが、サムは司法取引を受け入れて服役することを選んだ。元から精神状態に不安があり、医療施設に収容されるよりは刑務所のほうがマシと決めつけてしまったのである。
塀の向こうに落ちてしまった依頼人をビルは気にしていたが、サムの囚人生活は恵まれたものだった。彼には絵画の才能があり、同房の仲間や看守の似顔絵を描いてやることで人気者になったのだ。その絵が美術関係者の目に留まり、アウトサイダー・アーティストの新星として騒がれるようになった。仮釈放を求める運動が起きて、めでたくサムは自由の身になった、のだが。
ビルを訪ねたサムは自分が連続殺人犯だと言い出した。極度のストレスを感じると彼は自分を見失う。出所した翌日、美術商によって彼の個展が開かれた翌日、いずれもサムはそういう状態になっていた。ちょうどその日に、女性が刺殺される事件が起きていたのだ。元依頼人はビルに事件を調べてくれるように懇願する。自分の無実ではなく、有罪であることを証明してくれと言って。犯人として警察に掴まれば人を殺さないで済む。もう二度と人を殺したくないのだ、とサムは言うのである。ビルはこの依頼を受ける。
このひねりの効いた出だしからして完璧ではないか。殺人事件の調査をするという構造は同じだが、出発点が通常の依頼とは百八十度違う。そこにひねりを加えただけで物語の見え方はまったく別のものになるということをローザンは読者に示す。警察署を訪れたビルは、かつてサムの犯した殺人を担当した刑事から敵意の籠った眼差しを向けられる。あんな奴に雇われた探偵は許せないというわけだ。だが、ビルはサムが有罪である証拠を求めて調査を行っているのである。
公私共にビルのパートナーを務めるリディア・チンが途中から調査に加わる。このシリーズは〈リディア&ビル〉と呼ばれ、二人が長篇一作ごと交互に視点人物を務める形式で書き継がれている。前作『南の子供たち』はリディアは自身の祖先が暮らした南部州を訪ねる物語だった。中国系アメリカ人がどのような歩みを辿って現在に至ったかが背景に描かれ、私立探偵小説としては常道のプロットでありながら、探偵自身の物語というべき変則的な構造を持つ作品だったのである。個性の異なる主人公が視点人物となれば、物語の様相も変ってくる。リディアとビルそれぞれが語り手を務めることで、このシリーズは30年近くもの間鮮度を保ってきた。もちろん作中でも二人の主人公はチームワークを発揮して調査をこなしていく。ビルには態度を硬化させる者も、物腰の柔らかなリディアには胸襟を開くことがある。関係者たちからどのように情報を引き出すか、という点にも本作は意が尽くされている。突飛な手段は使わず、相手の感情を読み取って押したり、引いたり。その塩梅が実に読んでいて楽しいのである。これも私立探偵小説を読む醍醐味の一つだ。
一人称の物語だから、最も大事なことは語り手である〈わたし〉を読者が信頼し、好きになれることである。今回の依頼人は情緒不安定な人物で、時に自分勝手な論理で自己完結してしまい、それ以上の対話ができなくなることもある。いや、それどころかアルコールの雲に巻かれているときには、その場にじっとさせていることさえ難しくなるのだ。そんな手の焼ける依頼人に対しても、ビルは自分の主義主張を押し付けず、相手が道を踏み外さないように見守るだけに留める。サムが彼に依頼したのは、そういう性格が気に入っていたからだ。依頼人に対しては絶対に嘘をつかない、裏切らないという誠実さこそがビルの第一の美点である。
極論すれば、ビルとリディアが関係者を訪ね歩き、一つひとつ事件の破片を拾い集めていく過程を眺めているだけで楽しい小説なのである。だが、ミステリーとしての興趣もきちんと備わっている。本作で描かれるのは初めのほうに書いた女性を標的にした連続殺人事件だ。その犯人捜しという要素もある。最後に明かされる真相は納得のいくもので、かつ手がかりも作中ではきちんと開示されている。ある証拠品の扱いなどは、なるほどそれが示す可能性に気づいていれば、もっと早く真相に到達できていただろうと思わせる。つまり、謎解き小説としてもフェアなのだ。これも大きな魅力の一つだ。
本作が発表されたのは2020年、私立探偵小説が書かれるようになってから1世紀近くが経ち、社会の様相も変化した。特に変わったのは、ひとびとの規範や常識がひといろではなく多種多彩であるという認識が一般的になったことだろう。そうした社会においてもビルやリディアのような主人公であれば私立探偵小説は書き続けられる。そんな可能性が感じられた一作だった。これが私立探偵小説というものだと思う。
(杉江松恋)
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