「脇役」が一人もいない青春小説〜辻村深月『この夏の星を見る』
読み始めてまず感じたのは、自分はなんてダメな大人なんだろうということだ。
コロナ禍の青春を描いた物語である。登場人物の一人である高校生の少女が、合唱部のコンクールが中止になってしまった友達に、なんと声をかければよかったのかを考えるというシーンから始まる。友達の気持ちを思いやっているその少女も、楽しみにしていた天文部の合宿がなくなるかもしれないのに。
あの時期、たくさんのことが中止になった。大人も大変だったが、子どもたちはより大きな影響を受けたのだと思う。登校して授業を受けること、部活動、学校行事、コンクール、試合、誰かと出会ったり、友達と一緒に過ごす日常。その時期だけにある何かから、引き離されるという経験がどんなにやりきれないことか、わかっていたつもりだったけれど、自分にも降りかかった大変さと苛立ちに振り回されて、「しょうがないよね」という一言で流してしまっていたと思う。身近に子供がいようがいまいが、考えなくていいなんてことはなかったはずだ。「うちらには今しかないのに」という言葉に心がズキっと傷んだ。
この小説にはたくさんの中高生が登場する。茨城県の高校には、子どもの頃に出会った高校の先生が顧問をしている天文部に憧れて入学したのに、活動が制限されてがっかりしている少女がいる。渋谷区の中学校の理科部には、入学してみたら同学年の男子が一人だけだったことにショックを受けていて、学校が再開しなければいいと願っている元サッカー少年がいる。五島列島の天文台には、家が旅館を営んでいて都心からの客を宿泊させているという理由で、友達とうまくいかなくなり吹奏楽部の練習も休もうとしている少女がいる。
一人ずつ紹介していたら、規定の枚数を軽く超えてしまうのでここまでにしておくが、「脇役」が一人もいないことに驚かされる。全員が自分の人生の主人公なんだねと素直に思える存在感と個性と奥行きがあり、笑ったり怒ったりしている姿が目の前に浮かんでくるのだ。天文学への好奇心と強い思いで巡り合った彼らの情熱は、やがてたくさんの人を巻き込んだ大きなプロジェクトへと繋がっていく。気がつくと読んでいる私も彼らの活動に巻き込まれ、望遠鏡の作り方を調べたり、ドキドキするような気持ちでベランダから夜の空を見上げたりしている。いつかコロナ禍が歴史上の出来事になる時まで、ずっと読み継がれていってほしい青春小説である。
そして、この小説には、彼らを近くで見守る大人たちも登場する。誰も経験したことのない状況の下で、子どもたちを守りながら、程よい距離感でその息苦しさや憤りを受け止め、必要な時には協力し合い自分にできるやり方で手を差し伸べる。こういう大人たちが、どんな時代にも必要なのだと思う。私がなりたいのも、こういう大人だった。そういう大切なことを思い出させてくれる辻村氏の青春小説が、私は好きだ。
(高頭佐和子)
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