キングが得意とする超能力テーマの新作長篇
すでに絶対的巨匠の地位を得ながらも、いっこうにスティーヴン・キングの筆の勢いは衰えることをしらない。二十一世紀に入ってからも、年に一冊ほどのペースで長篇を発表している。長篇といってもキングの長篇だ。密度が濃く、たいていは分厚い。
『異能機関』は2019年に刊行されたもの。ちなみに、キングは20年に長篇はないものの、21年に二冊、22年にも二冊(ひとつは共作)を出版し、今年もこれから一冊が予定されているというから凄い。
さて、『異能機関』はキングが得意とする超能力SFだ。主人公のルークは、ミネアポリスに家族とともに幸せに暮らす十二歳。工学を専攻するためMITを、英文学研究のためエマースン大学を志望し、どちらにも合格するほどの天才だ。しかもルークには天才にありがちな奇矯なところはなく、いたって素直な少年である。しかし、彼にはひとつだけ不思議なところがあった。ふとしたきっかけで、身のまわりにある小さな物品を触らずに動かしてしまうのだ。
ルークの平和を破ったのは家を襲撃した三人の男女だ。彼らは荒事のプロフェッショナルで、両親を殺害し、眠っているルークを誘拐する。ルークが目覚めるとそこは〈研究所〉で、ほかにも少年少女たちがいた。すべて拉致されてきた者であり、程度の差こそあれ超能力を秘めている。
ルークは、聡明な黒人少女カリーシャ、不屈の反抗心を持つ十八歳のニック、まだ十歳ながらテレパシー能力にすぐれたエイヴァリーたちと交流を深めていく。しかし、いつまでも一緒にいられるわけではない。彼らがいまいるのは〈研究所〉のうち〈フロントハーフ〉と呼ばれる区域であり、さまざまな実験(あるいは検査、もしくは訓練、いずれしても苦痛をともなう)を受けたのち(その期間はひとによってまちまち)、〈バックハーフ〉へと送られるからだ。〈バックハーフ〉ではなにか不吉なことがおこなわれていることが、うすうすながら伝わってくる。
ルークはこの絶望からの逃亡計画を考えはじめるが……。
特殊な能力を持つ少年少女が絶大な権力の組織に迫害を受け、その境涯から抜けだすために戦う。SFにおいて、これはあまりにも古典的な構図だろう。ぼくは石ノ森章太郎の代表作『サイボーグ009』の開幕部分を思いだした。
しかし、なんといってもキングの作品だ。素材は古典的であっても、他の追随をゆるさない圧倒的な作品にしあがっている。
まず登場人物の造形が卓越している。ひとりひとりがくっきりとした個性を持っており、物語の都合にあわせた操り人形に堕していない。かといって、不必要な子細まで描きこむようなキャラクター小説でもない。小説としてのバランスが取れていて深みがある。登場人物どうしの関係も、自然に醸しだされていく。さすが『スタンド・バイ・ミー』のキングだ。
それに加え、『異能機関』では主人公側の少年少女ばかりではなく、敵方である〈研究所〉の所員たち(かなりの人数が登場する)もしっかり設定されており、それが物語のさまざまな局面で意味を持ってくる。つまり、小さなエピソードが構成され、それからもたらされる小さな動きがやがて物語全体の大きな動きへと接続するのだ。これが圧倒的に巧い。
もうひとつ巧いのは、超能力の扱いだ。超能力者ひとりひとりの能力はそれほど大きいものではなく、自分の意志でじゅうぶんにコントロールもできない。なかには、潜在的に能力があるだけの者もいる。つまり、彼らは超能力を持ってはいても、それだけで〈研究所〉の大人に対抗できない。〈研究所〉が彼らの能力を強引に(それこそ実験動物を残酷にもてあそぶような方法で)絞りだしたうえ、個々人の単位ではなく、電池を直列につなぐようなやりかたで武器化するのである。そうした事情が、〈研究所〉のおぞましい支配・搾取のシステムをますます先鋭化させていく。読んでいて総毛立った。
(牧眞司)
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