還暦の女ともだちの新しい挑戦〜坂井希久子『華ざかりの三重奏』
定年。それは、長く生きてきたおじさんたちに使われる言葉で、自分には関係ないと若い女子だった頃は思っていた。しかし、時間は誰にも平等だ。「定年」はこの先も会社で働き続けるとしたら、少し先の未来に間違いなく自分にも起きる問題になっている。正直、毎日出勤して仕事をするという日々が終わるということが、いまだにあまり想像できない。自分の分身のような登場人物たちの感情にシンクロしてしまい、いろいろ沁みる小説だった。
主人公の可南子は、アパレルブランドのプレスをしている独身だ。間もなく定年だが、具体的なプランはなく悩める毎日である。久々に参加した中学の同窓会で、仲の良かった芳美に再会する。夫を亡くし、子供たちも自立してひとり暮らしだという芳美だが、会うやいなや二人が大好きだった漫画『時の旅人』の続編が出るという話をしてくる。可南子は、高校に進学してからダサいとかネクラだとか思われることを怖れて、漫画を読むことをやめてしまっていた。芳美に誘われ自宅に遊びに行くと、趣味に走ったヴィクトリアンスタイルの部屋に、たくさんの漫画があった。定年後の不安を話す可南子に、芳美は「ここで、一緒に住まない?」と提案してくる。その誘いに乗ることにしたのだが……。
女ともだち二人の生活は、旧来の家族観を持つそれぞれの身内から見当違いの心配をされ、近くに住む同級生・桜井(ガサツで無遠慮な男)からは不快な言葉で揶揄される。だが、小さな諍いや問題はあるものの、二人の生活は漫画を中心に回っていく。ひょんなことから知り合った近所に住む不登校の中学生・詠人や、息子夫婦との同居でストレスを抱える元花屋の香織が部屋を訪れるようになる。『時の旅人』に対する強い思いとさまざまな特技と経験を持つ仲間を得たことにより、彼女たちは新しい挑戦へと導かれて行く。
「好きなものを手放してはダメ」と教えてくれたのは誰だっただろう? どちらかというと呆れられるくらい手放さずに生きている方なのだが、すごく好きだったのにいつのまにか距離を置いているものもあるし、封印した思いもある。今は離れていても二度と巡り会えないのではなく、本当に好きなものや心の通じ合う相手は、いつか自分の元に戻ってくるものなのかもしれない。いや、取り戻すことがきっとできるのだ。
他人がどう思うかではなく、自分が何を愛しく思うかを大切にする覚悟を決めた主人公たちの姿は、清々しく逞しく、眩しい。七十代、八十代と年を重ねていく二人の暮らしぶりも、ぜひ見てみたいと思う。
(高頭佐和子)
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