人間精神の深奥と現代アルゼンチンの暗澹を剔出する十二篇

人間精神の深奥と現代アルゼンチンの暗澹を剔出する十二篇

 エンリケスは1973年生まれ。「アルゼンチンのホラー・プリンセス」との異名をとる現代作家で、その作品は世界二十カ国以上で翻訳され、国際ブッカー賞の候補にもなった。日本でもすでに第二短篇集『わたしたちが火の中で失くしたもの』が紹介され(河出書房新社刊)、高い評価を得ている。本書『寝煙草の危険』は第一短篇集であり、原著は初刊が2009年、新版が17年。この邦訳版は21年刊の新版の第六版に基づいている(各版で内容に若干の違いがあるらしい)。十二篇を収録。

 エンリケスは早くからH・P・ラヴクラフトやスティーヴン・キングを読んでいたというが、彼女自身が書いているのは、邪神や怪物が襲いくるスペクタクルなホラーでも、呪われた血筋にかかわる凄惨な因果話でもない。超自然的な現象(もしくはそれに近い不可解なできごと)は起きるが、それ自体は絶対悪や圧倒的恐怖というほどではなく、不気味なのはむしろ生きている人間のほうだ。心に潜む影が外側へこぼれだしてくる。そのありさまを簡潔な文章、しかし絶妙の筆致で描きだしすのが、この作家の真骨頂だ。怪奇幻想と日常とが交叉するなか、作品によって程度は異なるが、ときにビターなペーソス、ときにブラックユーモアすら滲む。

 たとえば、「ちっちゃな天使を掘り返す」では、語り手のわたしが子どものころに裏庭で小さな骨を見つける。祖母によれば幼くして亡くなった妹(つまり、わたしにとっては大叔母にあたる)の骨だと言う。それからなにごともなく十年がすぎ、私は赤ん坊の幽霊に取り憑かれる。半分腐りかけていて、何もしゃべらない。とくに害をなすわけではないが、わたしが行くところにつねについてくる。幽霊の姿はたいていのひとには見えないが、ときたま見えるひとがいる。面倒を避けるため、わたしは幽霊をリュックに入れて運ぶ。この不気味でうっとしいだけの幽霊が、作中で「アンヘリータ(ちっちゃな天使)」と呼ばれているのが、そこはかとなく皮肉めいた面白さだ。物語のなりゆきも微妙にズレつつ、理不尽な結末へ行きつく。

「ショッピングカート」では、歩道で粗相をした浮浪者の老人を、町のひとびとが厄介者として手荒く排除する。老人が残していったショッピングカートのカゴに何かしら入っているが、誰も内容を確認しようとしない。しばらくして、町に次々と不幸が訪れる。呪いに違いないと噂が広がるなか、息を潜めている家族がいた。その家族だけが不幸を免れているのだ。それに気づかれると、町のひとからどう思われるかわからない……。放置され朽ちていくカートが強烈な印象を残す異色作。

「展望塔」は設定こそ伝統的なゴーストストーリーだが、物語で主となるのは幽霊の戦慄よりも、幽霊の噂があるホテルへ引き寄せられていく女の尋常ならざる精神の傾きだ。鬼気迫るものがある。

「どこにあるの、心臓」も異常心理小説だ。こちらは超自然的要素はなく、心臓音に強烈な性的興奮を覚える女の独白である。乾いた語り口で異様なフェティシズムが繰りひろげられていく。

 こうした人間の奥の心理的、というよりもむしろ内臓的な題材を扱いながら、それと不可分なかたちで現代アルゼンチンが抱える社会的歪みや不安が色濃く反映されているのも、彼女の作品の特徴だ。その背景については、巻末の「訳者あとがき」で詳しく説明されている。

(牧眞司)

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