袋とじつき謎解き小説 トム・ミード『死と奇術師』に満足!
週刊誌以外の袋とじページをひさしぶりに切った。
トム・ミード『死と奇術師』(ハヤカワ・ミステリ)はイギリス生まれの作家が2022年に発表した初めての長篇だ。本国版「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」などに短篇を多数発表していた作家で、千街晶之氏の解説によればピーター・ラヴゼイ他の先輩作家から称賛を集めたという。古典探偵小説だけでなく、島田荘司、ポール・アルテなど現代の謎解き小説を愛読しているそうで、マニアぶりが窺える。
物語の舞台は1936年のロンドンである。二つの大戦間、いわゆる探偵小説の黄金期に時代設定されているのは憧憬の念の現れだろう。この時期にはさまざまな不可能犯罪が頻発し、警察はしばしば名探偵の力を借りなければならなくなっていた、というメタ的な設定も存在する。そういう世界が好きなんだ、という作者の叫びが聞こえてくるようである。
本作で探偵役を務めるのは年齢不詳の元奇術師探偵ジョセフ・スペクターだ。スペクターは初め、ポムグラニット劇場に姿を現す。彼の奇術を舞台で再現して効果を狙う『死の女』という芝居が上演されるため、その準備に訪れたのだ。重要な役どころを務める俳優の一人、デラ・クックソンとスペクターがここで会話を交わす。デラはある理由から心理学者のアンセルム・リーズ博士の元に通っている。博士はウィーン出身だが「個人的事情と政治的事情が絡み合い」やむなくイギリスに移住してきた。ご存じのとおりジークムント・フロイト他の人々によって精神分析の基礎が打ち立てられたのがウィーンである。初期精神分析学が当時の流行であったということを作者は意識しているのだろう。博士はロンドンで三人しか患者を診ておらず、デラ・クックソンが患者Bに当たるということが明かされる。
やがて事件が起きる。博士が自宅の書斎で喉を切り裂かれて死亡したのである。死に方は他殺を思わせたが、部屋は事件当時密室状態になっていた。捜査に当たるジョージ・フリント警部補は旧知のスペクターに協力を求める。
興味の中心となるのはもちろん、密室はいかにして構成されたかという謎だ。事件当夜、使用人のオリーブ・ターナーは不愉快な訪問者を招き入れている。男は名前も名乗らずに邸に入ってきて博士に面会を求め、書斎の扉を閉め切って話し込んでいた。そのあとにもう一人、デラ・クックソンが押しかけてきてやはり博士に会わせるように騒ぎ立てた。そこでターナーが書斎の扉を開錠して中に入ったことで、事件が発覚したのである。奇妙なことに、そこにいるはずの名無しの男は消え失せていた。
クックソン以外の二人の患者、音楽家のフロイド・ステンハウスと作家のクロード・ウィーバーが登場し、それぞれ事情聴取を受ける。彼らの奇矯な振る舞い、事件当夜に『死の女』興行主のベンジャミン・ティーゼルの家から額縁に入った一枚の名画が盗まれていたこと、リーズ博士がウィーンから去らなければならなくなった致命的な出来事といった複数の要素が次々に紹介され、捜査は賑やかすぎる様相を呈していく。言うまでもなくこれらはすべて無意味に書かれているわけではなく、事件解明のための手がかりである。混乱の最中でもスペクターは真相につながる道筋を見極めていたようで、書斎に残されていた博士のノートからページが破り取られていたと知ったのち、彼は「ようやく、われわれは正しい疑問点にたどり着いたようだ」と宣言する。
そこからもう少し展開があり、いくつかの事実が判明した後に幕間と呼ばれる短い章が置かれる。作者が舞台中央に進み出て「読者への挑戦状」を読み上げるための章である。謎を解くための手がかりはすべて呈示されていると断言した後に、作者はこう綴る。
──みなさんのなかに探偵志望の人がいるのなら、いまこそ名を上げる好機だ。ただし賞品はない。いかなるかたちの報酬も。さる偉大な賢者が”地上最高のゲーム”と呼んだものに勝利したという、静かな栄光が得られるのみである。
そして袋とじである。切り開かなければ真相を知ることはできない。それをせずに放置しても気にならない、というような作品にこうしたギミックを施すことは無理で、版元の自信の表れだろう。袋とじにする意味はあった、とだけ書いておく。いや、謎解き小説が大好きな人のためにもうちょっとだけ。真相が述べられている文章にルビの形でその手がかりが与えられるページが示され、ここにちゃんと注意しましたか、と言わんばかりであるのはいかにもマニア向けのサービスだと思った。いくつかの箇所には気が付いたが、見落としていたものも多かったことを告白する。
第一作は満足のいく出来であった。本国では第二作が今年刊行予定とのことで、これもいずれ翻訳されるものと思う。フェアな謎解きをやろうとしている作家の第一人者は現在アンソニー・ホロヴィッツだが、その牙城を崩せるところまで行くか。トム・ミード、注目すべき作家である。
(杉江松恋)
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