藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 #50 僕らはTシャツを捨てれない




春になると、僕はそわそわし始める。
柔らかいキャベツが出回ったり、色とりどりの小花が咲き乱れたり、どこからともなくいい香りが漂ってきて、暖かな風に我を忘れたり。そう、春は心を労ってくれる品々に事欠かない。
よく世間は、季節の変わり目に生活の節目を当てては、新しいことにチャレンジ!とか、転機は今こそ、などと静かに喚き散らしているのだが、僕がそわそわするのは、そういうことじゃない。
3年前に15年一緒に暮らした妻と別れても、いまだに春にはそわそわと落ち着きがなくなるのは、衣替えの頃だからだ。前妻から衣替えの時に受けた罵倒によるショックがまだしつこく残っている。
衣替えは、一般的に、面倒臭さと、新しい服に買い替えたりするわくわくとが入り混じった暮らしの行事だと思う。秋にも大きな衣替えがあるのだが、秋と比べて春は気持ちが軽々するのは、単純に重たい衣料から、軽い衣料へと、質量が減ることが大きいと思う。
とはいえ、重衣料という言葉は今は昔で、こんだけ安価なダウン製品が出回ると、重衣料に冬の実感がそぐわなくなっている。おもはや意識的にレザーなどに惚れ込まなければ、重いコートは、もはや冬の季語ではなくなってしまった。
質量の軽減ということではなく、冬から春への、冬籠から芽吹きの季節へと生命力が上昇する季節感のせいで、春の衣替えに対して、多くの人はポジティブを感じるのだろう。


とか、まあ、そんなことはどうでもいいのだが、僕は衣替えに季節に前妻に罵倒されっぱなしだったので、そのトラウマのせいで、春の衣替えの季節には、なんだか梅雨を先取りしたような心持ちで沈みがちなのだ。そして、落ち着きが無くなり、そわそわする。


「なんなの、これ、店でも出すの?!」
「あーあ、あーあ。こんなに同じようなのばっかり買って、この分、旅行に使えなかったのかな?フランスとか」
「ええ!こんなのに3万?付加価値とかレアとかって、サイコパスだよ。局地的価値観の捏造と耽溺の文化的弱者のはきだめだよ」
とか、とにかく酷いことを言われ続けた。
僕のTシャツ好きは、中学生の頃からなので、投機的なものでは全くないし、ロックTは、確かにある程度お金を使えるようになってからの趣味だけど、言わせて貰えば、僕の趣味なんてそれくらいだし、経済的な面で前妻にとやかく言われることはなかったと今でも思っている。
 

先日の日曜日、花見も済み、特にやることもなかったので、僕はその日を「衣替え」に当てた。
ワンシーズンにる着るTシャツなんて、せいぜい10枚だ。その年の気分によって、もっと言ってしまえば、春の衣替えの日の気分次第で、秋までの数ヶ月を共に過ごす服を決めるというのは、思えばなかなか大切な時間だ。
あ、あれを着たいなと梅雨明けのある日に思いついたとしても、クローゼットや段ボールの奥にあるようなものを、わざわざ引っ張り出す手間をかけることは少なく、それは多くの他人さま達も同様じゃないか。
というわけで、衣替えの日というのは、結構重要で、それだからこそ、当日の気分は大切だと言える。
で、その日曜日の朝の9時ぐらいに、別れて以来音沙汰のなかった前妻から突然電話がかかってきて、それはLINEとかではなく、電話だったのでびっくりして、思わず出てしまった。
「あ、元気?それでさ、いらないTシャツあるでしょ。たくさん。あるよね?たくさん。それ、ちょっと出してくれないかな?」


相変わらずだな、と面食らった。「あ、元気?それでさ、」なんて、別れた前夫に対して、3年ぶりの第一声がそれというのは、普通なのかどうかなんて、もはや僕にはわからない。普通なのだとしても、僕の普通とは異なるので、面食らった。ちょっと怖いなとすら感じた。頭、大丈夫なのか、と。
彼女が言うには、親友がフリマするので、メリハリが必要だから、売れなくてもいいから、レアなTシャツを出品してくれ、というのが粗筋だった。
僕は、レアなTシャツとやらを、サイコパスだのなんだのと罵倒した口がよく言えるな、と真っ当な反感を感じたが、3年という空白は、それなりに前妻を他人へと寄せてくれていたので、割と平静でいられた。ちなみに、前妻の名前は、よしな、という。平仮名で、よしな、だ。今思えば、僕はその名前が好きだったのだと思う。彼女の性格や容姿を足してもそれは、彼女を好きになった理由の半分にも満たない。僕は、よしな、の旦那になることを楽しみ、よしな、と呼ぶことを楽しんでいたのだから、僕の頭もどうかしていたに違いない。
別にいいよ、と返事をすると、よしなは、そうだと思った、邪魔だもんね、と勝手に解釈して電話を突然切った。
もちろん、邪魔だもんね、という一言が頭蓋骨の内側で反響していたことは言うまでもない。さすがだな、と一瞬微笑みそうになったが、そうならなかったのは、もはや、よしな、に対して愛情の一欠片もないことを示していた。
ああ、こうして人は人を愛せなくなったことを悟るのか、と古本屋で背表紙を眺めるような感じで、僕自身の内面を見つめた。





それから僕は、衣替えに必要なエネルギーを充実させようと、朝からカレーを食べた。といっても、前夜の残りとかでもなく、新たに作るでもなく、レトルトカレーだった。だが、中村屋のスパイシーチキンは、あるテレビ番組でレトルトカレーの覇者となっていただけあって、僕の定番でもあり、忙しい時には助けてもらっている。
なので、中村屋のスパイシーチキンを食べた。
僕は血糖値が上がるのに合わせて、黙々とTシャツを手に取っては、今年着るのか着ないのか、と自分に問いかけ選別に勤しんだ。とはいえ、1000枚もある全てを見るわけではなく、なんとなく目星をつけておいたので、午後の3時くらいには終わる目処がたっていた。
そんな時、ふとカプセル・ワードローブというのを思い出した。言わば、断捨離後のワードローブで、ミニマリスト的にできるだけ少ない服数を目指すこと。できるビジネスパーソンは、本業に集中するために、無駄な思考のエネルギーロスを避けるため意思決定の頻度を極力減らすのを当然のこととしていて、いつも質のいい同じ服装に固定しているという。そこまでするか、と思いはするが、成功には極端な手段も必要なのだろうと解釈して納得はしていた。
そして、カプセル・ワードローブなるものに比べて、僕のTシャツは、ほぼ保存してあるだけの、家賃泥棒なのであった。それが綺麗にディスプレイでもしてあって、晩酌の友となるのであったら、精神安定作用にもなるけれど、ただしまってあっては役だたずでしかない。
そもそも、この衣替えという行事すら無駄ではないか。あらかじめ服を厳選してあって、クローゼットに全て収まる数にしていれば、そもそも衣替えなんてやらなくていい。
僕は、釈然としない気持ちのまま、どうにかこうにか衣替えの作業を16時に終えた。
全ての疑問は、外へではなく、内側、つまり自分自身に向けられた時に、本当の解決へと向かう。
僕はなぜTシャツを捨てれないのだろう?
僕は、これからいつまでTシャツを眠らせたまま所有するのだろう?
死ぬまでか?ならばこの所有欲というものの正体はなんだろう?
純粋な遊び、優越感、暇つぶし、惰性、無。


僕はひとまず、ロックTのコレクションを値段ごとに分類し、段ボールに入れて封をし、前妻よしなへと郵便局が閉まる前に届け終えた。我ながら大した集中力と体力だった。
そして、Tシャツ様が鎮座していた場所には、言うまでもないが、空き地ができた。そのぽっかりとした感じが、意外にもなんだか嬉しかった。中学生の時から今まで溜めておいたTシャツが、一時的にせよ、消えたことに対しての意外な反応だった。
喪失感よりも、清々しさの方が勝っていたのはなぜだろう。その感じは、ずっと付き合ってきた慢性病から解放されたかのようだった。そういったすっきりとした感覚に導かれるように、「僕は患っていたのかもしれない」という感想にまで至った。Tシャツ病、そう言ってしまうと、かつて罵倒されたことが、あながち間違いとは言えなくなる。
よしなの言ってたフリマでは、僕のTシャツは高価すぎてそんなに売れないだろうから、きっとかなりの数がまた戻ってくると予想していた。だがそれでも少しは減るだろう。もし、そこそこ売れて利益が出るんだったら、メルカリとかヤフオクとかで売り始めてもいいかもな、とすら考え、すっかり放出する考えが膨らみ始めるのだった。僕はこの時点ですでにTシャツから離れようとしていたと言える。


そして、この件は驚きの顛末を迎える。
よしなから電話があったのは、土曜日の夜だった。
着信音が鳴り、画面によしなの名前を確認した瞬間に、フリマのことだろうと察した。
「あ、どうも!」
よしなの声は弾んでいて、フリマの結果が悪くないことをすでに伝えていた。
「完売!完売だよ!すごくない?」
僕は絶句した。完売って、どういうことだろう。冗談だろうか。確かに「完売」とよしなは言っていた。
「完売?800枚あったよね?」
僕は恐る恐るそう訊ねた。
「そう、800枚もあったの?でも完売!」
僕は、喉が乾くのを感じた。概算だと、2000円のが600枚で、120万。5000円のが、100枚で、50万。10000円のが50枚で、50万。20000円のが30枚で60万。30000円のが20枚で、60万。合計360万円になったことになる。もはや元手がどのくらいだったか把握してないが、全体としては、元手の2、3倍にはなったと予想できた。得をしたといえば、そうだが、30年以上かけた趣味の売値としては、どうってことないようにも思えた。
「だから約束通り、20パーもらうから、残りのお金は週明けに振り込むね。えーと、32万円かな?まあ、よかったね、お金になって」
僕は一瞬何のことか理解できなかった。そして、ああ、冗談かとわかった。よしなはこういう変なタイミングでどうでもいい嘘をつくことを、センスのいい冗談だと思い込んでいる。
「一点500円に値下げしたら、飛ぶように売れたから。全部で40万円になった。すごいね。でもさ、あんな量を長年キープしていて40万円は寂しいかもね。でもすっきりするんじゃない?」
そう言って、よしなは電話を一方的に切った。
僕は、それも含めて冗談だと思い、かけ直すことはなかった。


週明けの月曜日に、僕は自分の口座を確かめてみた。そこには、よしなからの振り込みはなかった。
僕は火曜日にもチェックしたが、同じことで、振り込みはなかった。
結局僕は、その週を振り込みのないままに過ごした。360万円の8割にあたる288万円はどうしたのだろう?
僕は、3年以上ぶりに、よしなのことを毎日考えるはめになった。なんとなく面倒臭いことになるような気がしていた。別れた時に、お互いに慰謝料の話はしなかった。ただ、本当ならそういうの欲しいけどね、とよしなが呟いたこともあった。
僕の部屋には、Tシャツが押し込まれていたスペースがそのままの空間として残っている。戻るか戻らないか分からなかったから、そのままにしておいただけだが、その空白の空間が、何かを言いたがっているようにも見える。そこに3年もの間、思うこともなかったよしなの気配が生まれているのだった。なんてこったい。
ただ、まだ落着をみないこの一件の効用はある。僕は、いよいよカプセル・ワードローブを試みようと決めたのだ。少なく持って、身軽に暮らすことにした。
今の僕の部屋には、Tシャツが3枚しかない。
 





藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある。


#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
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