翻訳家としても一流 森鴎外の生涯
高校の授業でもよく取り上げられる『舞姫』の著者である森鴎外。小説家であり、本職の軍医としては軍医総監という最高位まで登りつめて大日本帝国陸軍の中枢に立ち、退職後は文化人としての教養を評価されて帝室博物館(現在の東京国立博物館ほか)総長となり、その間文壇でもずっと圧倒的存在として君臨し続けた。一方、ものすごく子煩悩であり、愛情深い父親としての一面もあった。明治という新しい時代に生きた森鴎外は、どんな人物だったのか。
■翻訳家としても一流 森鴎外の生涯
『森鴎外、自分を探す』(出口智之著、岩波書店刊)では、東京大学大学院総合文化研究科准教授の出口智之氏が、江戸時代の終わりに生まれ、明治の激動のさなかに勉強して留学し、自由恋愛を経験したり、一人称小説を書くとはどういうことだったのか、など、作品や資料を読み解き、悩みながら自分を探した森鴎外を紹介する。
森鴎外は医学、小説家のほかにも、翻訳家としても活動していた。初期の翻訳の中で有名のは訳詩集『於母影』。これ以降も数多くの翻訳を手掛け、とくに明治25年から9年間かけて訳したアンデルセンの『即興詩人』、明治末に翻訳を始めて大正2年に刊行されたゲーテの『ファウスト』などが著名。美しい作品を次々に生み出した森鴎外の人気は高く、明治44年に雑誌『文章世界』が行った投票では、2位の昇曙夢に20倍以上の差をつけた投票数で翻訳家の第1位になっている。
また、文学評論の分野でも活躍し、医学と文学とを接続して論じた『小説論』など、ヨーロッパの文芸思潮の紹介、同時代の作品評、ほかの評論家との論争など、多数の論評を発表。医学、衛生学の論文や翻訳と併行してさまざまな評論家と次々に論戦に挑み、長大で難解な評論をいくつも発表している。
ドイツ留学中の森鴎外は、陸軍軍医総監や帝室博物館総長になる将来など知らないし、『舞姫』執筆時にこれが戦後の高校で教えられることになるなんて本人はわからない。偉大な文豪というイメージではなく、森鴎外も先が見えない中で懸命に人生を模索した私たちと同じ人間だと見れば、身近な存在に感じられる。森鴎外の作品や人生からどんなことに悩み、生きたのかを本書から知れば、より作品を楽しめるはずだ。
(T・N/新刊JP編集部)
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