最高にかっこいいエイミーの半生記〜山田詠美『私のことだま漂流記』
初めて山田詠美氏の小説を読んだのは中学生の時だ。「蝶々の纏足」(当時河出書房新社、現在は新潮文庫に収録)を友達に借りた。幼い日に引っ越しをした主人公は、隣家に住む女の子と出会う。その美しい少女は、食べかけのアイスクリームに自分の唾を混ぜ、おいしい食べ方なのだと言って主人公にさし出してくる。吐き気を堪えながらも、主人公は抗うことができずそれを口にし、その後長い年月、彼女に心を支配される。
その場面を読んだ時、今まで経験したことのないゾワゾワとした感覚が全身を駆け巡った。友達は眉をひそめながら「汚いよね……」と囁いてきたけれど、本当は別のこと伝えたいんだろうな、ということはわかった。この嫌悪感と混ざり合った得体の知れない感情と出合った衝撃を、言葉で説明できる力は私たちにはなく、だからこそ強烈に惹きつけられたのかもしれない。早速デビュー作の『ベッドタイムアイズ』(河出文庫)を入手し、心臓をバクバクさせながら読んだのである。
以来私は山田詠美氏の小説を読み続けている。いつも、私に知らない世界と生き方を見せてくれるかっこいい大人の小説家だった。夜の街、大人の恋、欲望、官能……。それらはもちろん刺激的で、好奇心を大いに掻き立てられたが、何より好きだったのは、自立した精神を持った主人公たちだ。身近な大人たちや世間が押し付けてくる自立とは違う、自分の中にある芯を、信じて貫くことのできる強さのようなものだろうか。そういう生き方をする人々の内面を、私の知らなかった表現の仕方で鮮やかに描く山田詠美という作家に、私は憧れた。
それから長い年月が過ぎた。この度発売された自伝小説『私のことだま漂流記』は、毎日新聞の連載だが、著者が敬愛してやまない宇野千代氏の『生きていく私』と同じ枠なのだそうだ。読みながら思う。私たちのエイミーは、今も最高にかっこいい。どうしてずっとかっこいいのか。その理由が、この本には書いてある。著者の読書遍歴と、昭和の文豪との交流に興味を惹かれずにいられない一冊でもある。
幼児の頃から、読めもしない聖書をアクセサリーのように小脇に抱えて出かける少女だった著者は、父親の転勤に伴い転校した先の小学校でひどい嫌がらせをされるようになる。両親が買ってくれた文学全集で大人の小説に出会った著者は、その世界に逃げ込み、日常的に本を読むようになる。次第に気の合う仲間が著者の周りに集まるようになり、新しい世界が開けてくる。音楽、絵画、深夜ラジオ、そして恋愛……。大学に入学すると、エロ漫画家としてデビューし、ホステスとして働きながら夜の街でワイルドに遊び、恋をし、作家としてデビューするが、その作品と私生活から、スキャンダラスな作家として攻撃され、中傷される。
なんと波瀾万丈かつ華麗なる半生!自分をひどい目にあわせた人間を忘れないと書く一方で、人に助けられたことや喜びの記憶も、鮮明に書かれる。周囲の人の発した味わい深い言葉は、著者の内側で熟成していく。娘をいじめた女の子の耳元で母が囁いた恐ろしい一言にはハッとさせられ、田中小実昌、河野多惠子、水上勉といった昭和の文豪たちからもらった言葉は、読んでいて涙ぐみそうになるほど温かい。周囲の空気に決して迎合することなく小説を書き続ける著者の周りには、常にかっこいい大人たちがいる。彼らを引き寄せ、手を差し伸べさせずにはいられない特別な何かを持ち、憎しみも愛も深く記憶に留め、読み続けることと書き続けることで表現する力をパワーアップさせ続けている奇跡のような作家が、私の敬愛する山田詠美氏なのだと思った。
これからも、私はエイミーの発する言葉を、深く愛し続けるだろう。そのことを確信させられる一冊だった。
(高頭佐和子)
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