「愛した人は誰なのか」ヒューマンミステリー『ある男』石川慶監督&原作者・平野啓一郎インタビュー

平野啓一郎のベストセラー小説を主演・妻夫木聡で映画化、ヴェネチア国際映画祭・釜山国際映画祭と、世界の映画祭で絶賛されている感動ヒューマンミステリー作「ある男」が11月18日(金)に全国公開となります。

筆者も個人的に大好きな作品であり、多くの方に観ていただきたい、この感動のヒューマンミステリー。本作を手がけた石川慶監督と、原作者の平野さんのお2人にお話を伺いました。

――本作大変素晴らしかったです。監督も原作に大変感動されたそうですが、最初に読まれた時のことを教えていただけますでしょうか。

石川:平野さんの小説が好きでずっと読んできていて。その中でも本作はミステリーとして抜群に面白くて、エンターテインメントとしても面白い。なおかつ、平野さんが持っていらっしゃる主題である「分人主義」がしっかり乗っかっている。ただただ、面白いだけじゃなくて撮り甲斐のあるものだなと。これはぜひ自分の手で映画化したいと思いました。

――平野さんは「映像化」を聞いた時、どう思われましたか?

平野:これまでもいくつかオファーはあったんですけど、その中で石川さんが一緒にやってくれるプランが原作者としての期待に近いと言いますか。単なる娯楽作品としてではなくて、原作が持っている複雑な主題ですとか差別の問題とか、描きにくいところも重視して映画化したいとおっしゃってくれたので楽しみになりました。石川監督の作品は『蜜蜂と遠雷』を公開時に観ていまして、すごく映像が美しいので。自分の原作の映画も綺麗に撮っていただけることがうれしかったです。

――石川監督の作品は本当に映像が綺麗で。素人質問で申し訳ないですが、どうして、ああいう綺麗な映像が撮れるのでしょうか?

石川:単純な答えになってしまうのですが、「こだわっている」ということでしょうか。以前ポーランドに留学していたので、ちょっとヨーロッパ的なフレームの見方みたいなものが根底にあるのかもしれないです。良い画をいくら撮っても、それだけではストーリーとして積み重なっていかないので、「綺麗な画を撮ること」を意識しているというよりは、「この人のこの感情を伝えるためのフレームは何なのか?」ということを考えて作っています。

――ありがとうございます。完成した作品をご覧になって、平野先生はどういう印象を受けましたか?

平野:自分の作った物語ですけど途中で泣いちゃいそうになって(笑)恥ずかしいからこらえました。自分の書いた話で自分が泣くと思わなくて。昔、瀬戸内寂聴さんが書いた「源氏物語」の歌舞伎を一緒に見に行ったのですが、寂聴さんが隣で号泣していて。

自分で描いた作品を見て自分で号泣するというのは幸せだなと。でも、僕も『ある男』を観て、最初の方からウルウルしてしまいました。緊張しながら観にいきましたけど、いち観客として楽しめました。

――演者さん達の表情に迫ってくるものがありましたよね。

平野:そうですね。安藤サクラさんをはじめとする皆さんの表情が素晴らしくて。役者さんの演技力もあれば、石川さんが非常にうまく引き出して、うまく撮っているとも感じました。「役者の表情が良かった」っていう感想は、俳優の人たちに対する称賛でもあるんですけど、監督に対する称賛でもあると思います。

石川:ありがたいですね。今回は、日本映画界を代表する役者たちが出てくれたので、この方々のスケジュールが抑えられたのは、コロナ禍ということも少なからず影響していて。奇跡の采配だったなと思います。

――キャスティングで苦労した部分や迷われた部分はありますか?

石川:そうですね…。小見浦を誰にするのかは相当悩みました。平野さんの中で、「こういう人をイメージしてます」って言うのをお伺いして。余計に、どうしようって感じで(笑)。いちばん大事な楽器という感じがするので。どういう人にやってもらったらいいのかなって。最終的に最適かつ豪華な方にやっていただけていいシーンが撮れました。

平野:小見浦は異色の人物なので、誰が演じるのか気になっていました。でも、柄本さんが演じてくださるって聞いた瞬間に、それはピッタリだなと。で、実際に見てみても怪演で。これは、原作を超えているなと思いました(笑)。イメージ的にも、水が滴ってくるシーンと重なって、現実なのか非現実なのか、よくわからなくなる不思議な時間が流れていて。全体的にはミステリー感もありつつ、愛の話になっていく…。その中のスパイスとして非常に効果的でした。そして安藤サクラさんは、まさに適役で、嬉しかったです。『万引き家族』でもすごく好きでしたし、嬉しいキャスティングでした。

――安藤さん、すごく複雑な感情を表情で表現されていて。

平野:決してオーバーじゃないんですけどね。泣くにしても、顔をぐちゃぐちゃにしてとかじゃないんですけど。とても豊かな表現で。原作以上に、大祐と2人の時間を丁寧に描かれていますね。あの幸せな時間を短い尺で描くのは大変だと思うんですけど、説得力のある時間になっていました。

――ちなみに先生が泣きそうになったシーンは、いくつかあるんでしょうか?

平野:いくつかあります。やっぱり子供のことを描かれると、胸を締め付けられます。子役の子もね、すごく上手で。

――悠人くん役の子はオーディションですか?

石川:オーディションです。映画は初だったと思うのですが、頑張ってくれました。今回、すごく芸達者な方たちばかりなので事前に、演技についてたくさん話すことはしてないんですけど、悠人だけは何度かお話ししています。でも、最終的に彼の演技は安藤さんが引き出してくれたことが大きくて。3つくらい、親子のシーンがあるんですけど、3つともサクラさんが作ってくれる空気感の中で自然に作ってくれた泣きで。あれは本当に現場で見ていて、自分も泣きそうになりました。

――サクラさんと2人の時間があったのでしょうか。

石川:そういうわけではなかったんですよね。安藤さんに「時間、作りますか?」って言っても「いや、全然、大丈夫ですよ」と言っていて。でも、カメラが回る前に、ちょっと2人で話していました。お母さんだなと思ったのは、変に甘やかすわけではなく、一人の自立した人格として扱いつつ、すごくきめ細やかな気配りをしていて。

――本当に素晴らしいシーンでした。本作には差別についても描かれていて、原作が発表されてから3年だと思いますが、悲しいですが今も変わらない差別があると思います。今、改めて、思うことはありますか?

平野:そうですね。城戸という人物は在日3世という設定にしていますが、この小説を書いた10年代は在日差別が激しくて、憤りを感じていましたし、悲しくなっていました。でも、「差別されていない自分たちが感情移入しなきゃ」という感じにはあまりしたくなかったんですよね。今の時代、普通に生きている人物の、いくつかの属性の一つとして、在日について描くこともあるけど、それ以上にこの時代に生きているから分かること、いくつか共感のポイントを通じて、物語に入っていって欲しかった。城戸という人物を理解する中で、差別されて辛いとか、みんなが自然に思えるような感じにしたかったんです。

その辺で、やっぱり彼の造形の塩梅が難しくて。差別問題だけにフォーカスすると、それがテーマとして出過ぎるので。とはいえ、さりげなさすぎても伝わりづらい。どれくらい前に出すのか、さじ加減みたいなところがあるんですけど。映画は、その辺のことをうまく取り上げてもらいながら、印象に残るけれども、ずっとそのことを語っているわけではないという、良いバランスで描いてもらったと思います。

石川:その辺のバランスは我々も気にしていました。一回、(平野さんに)脚本を見てもらったんですね。深入りしすぎているところはないか?って。

平野:差別に関して、小説を発表した頃よりは差別デモも少なくなっていて、それは良いと思うんですけど、根本的には根深いものが残っている。原作や映画を通じて、もう一回、みんなに改めて考えてもらえると良いなと思っています。街頭デモで騒いでいる人たちに対してはもちろん異様な感じがするのですが、テレビや雑誌でマイルドに差別をしていること、なんとなく染まっていることも、当事者には深刻なストレスです。社会全体に、するっと蔓延する差別の方が辛いという感覚もあると思います。

石川:食卓のシーンのお父さん(城戸の義父)の言葉はすごく嫌な気分になりますよね。あれが多分、リアルなんだろうなと。

――SNSなどで「自分は差別している意識はないけど」と前置きしながらもこれって….という発言を見かけることもあります。私自身も気をつけないといけないなと思います。

石川:難しいですよね。普段、そういう話をしないからこそ、ギョッとするようなことありますよね。え、そんなこと考えていたんですか?と驚かされたり。

平野:ありますよね。

――そういった色々な事を考えさせられる作品ですよね。『ある男』は「X」が主体であるお話ですが、「自分が自分」ということを、どう証明するんだろう?という部分は、全ての人につながるテーマだと思います。

平野:アイデンティティっていうのは僕にとって非常に大きなテーマで。「自分とは何か?」とか「本当の自分とは何か?」とか「本当の自分を生きていないんじゃないか?」っていうことは、若い時から悩むことの一つでした。今は「分人」という考え方を通じて、対人関係で、色々な顔を持っている自分が全部、本当なんだという考えになっていて。やっぱり、自分のアイデンティティを、宗教とか政治体制とか何か一つのものに支えてもらおうとすると危険だと思います。いくつか分散的に自分の足場があって、それの集合として支えられている方が健全です。耐えられない場所があれば離れて、また別の関係の中で築いていく…。その中で、出自の問題は多くのことについてまわってくるので。それをどうするのかっていうのが今回の一つのテーマです。社会の中で、どうやって生きていくとか、出自とは違った自分を生きていくっていうこともありなんじゃないかとか。愛した人の過去が意外なものだったらどうするのか?ということが考えられるといいなと思っています。

石川:僕自身もミドルエイジですから、そういうことを考える年代でもあるかなと。でも今回は、自分だけじゃなくて、愛した人が「誰なのか」というお話で。自分というよりも目の前の人に対して考えることが多かったです。それでもあなたは、その人を愛せるのか?そもそも何を愛しているのか?という。特に最近、世界情勢を見ても、自分の怒りのやりどころがどこに向かっていったらいいのかっていうのを考える時期だなと思っていて。すごく今の話だなと思っています。

――たくさんの方の感想を見ることをたのしみにしています。今日は素敵なお話をありがとうございました。

【ストーリー】弁護士の城戸(妻夫木)は、かつての依頼者である里枝(安藤)から、里枝の亡くなった夫「大祐」(窪田)の身元調査という奇妙な相談を受ける。里枝は離婚を経て、子供を連れて故郷に戻り、やがて出会う「大祐」と再婚。そして新たに生まれた子供と4人で幸せな家庭を築いていたが、ある日「大祐」が不慮の事故で命を落としてしまう。悲しみに暮れる中、⻑年疎遠になっていた大祐の兄・恭一が法要に訪れ、遺影を見ると「これ、大祐じゃないです」と衝撃の事実を告げる。愛したはずの夫「大祐」は、名前もわからないまったくの別人だったのだ…。「ある男」の正体を追い“真実”に近づくにつれ、いつしか城戸の中に別人として生きた男への複雑な思いが生まれていく――。

出演:妻夫木聡 安藤サクラ 窪田正孝
清野菜名 眞島秀和 小籔千豊 坂元愛登 山口美也子
きたろう カトウシンスケ 河合優実 でんでん
仲野太賀 真木よう子 柄本 明

原作:平野啓一郎「ある男」 監督・編集:石川慶
脚本:向井康介 音楽:Cicada
企画・配給:松竹
(C)2022「ある男」製作委員会

藤本エリ

映画・アニメ・美容が好きなライターです。

ウェブサイト: https://twitter.com/ZOKU_F

  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。