第2回将棋電王戦 第5局 電王戦記(筆者:夢枕獏)
結局人間ドラマなのだ 夢枕獏
1
電王戦第五局目――最終戦三浦弘行八段と「GPS将棋」との対局が行われたのは、二0一三年四月二0日のことである。
午前十字から始まったこの勝負は、夕刻一八時一四分、三浦八段が投了して、「GPS将棋」の勝利となった。
一局目、阿部光瑠四段対竹内章氏の「習甦」戦は、阿部四段の勝ち。
二局目、佐藤慎一四段対山本一成氏の「ponanza」戦は、「ponanza」の勝ち。
三局目、船江恒平五段対一丸貴則氏の「ツツカナ」戦は、「ツツカナ」の勝ち。
四局目、塚田泰明九段対伊藤英紀氏の「Puella α」戦は、引き分け。
五局目の最終戦は、すでに書いたように、GPS将棋開発チームの作った「GPS将棋」の勝ちとなった。
五局目のこの対戦は、チームを代表して、金子知適氏が対局室に入っている。
結果、一勝三敗一引き分けで、コンピュータ側の勝利となった。
このうち、ぼくが対局現場で観戦したのは、一局目と、五局目である。観戦と言っても、実際は、対局室の隣りの部屋で、モニターを見ながらのもので、対局室にいたのは、対局が始まった直後と、対局が終わった後だけである。
それでも、対局室の緊張感や、観戦室の空気感に触れることができて、家でパソコンの画面を観るだけでは味わうことのできぬ現場感を味わうことができた。
対局が始まって、まだ幾らも時間がたっていない頃――
観戦室の雰囲気は、三浦八段有利、であった。
ぼくに、序盤の指し手や陣形を見て、どちらが有利かを見抜く棋力はない。ただ、周囲にそのような空気が生まれたということだ。
今回、立ち合い人を勤めた田丸昇九段と観戦室で御挨拶をしたおり、
「これは、三浦八段有利のかたちですね」
このように九段は言われたのである。
「このかたちは、三浦八段が好きな陣形で、ここから羽生三冠に勝ったこともありますから――」
たしかに、三浦八段は、かつて七冠時代の羽生善治に勝利して、その七冠を六冠にしてしまったこともある実力者だ。
今年の一月に、羽生三冠のA級順位戦二十一連勝をストップさせたのも三浦八段である。
世界で一番将棋の強い人類(とぼくは思っている)である羽生三冠に勝っている三浦八段が序盤で有利――これは、いくら相手がモンスターマシンであっても人間が勝てるのではないか。
もし勝てば、人間対コンピュータの五対五マッチは、二勝二敗一分けとなって、引き分けとなる。
しかし、相手の「GPS将棋」は超のつくモンスターマシンである。二〇一二年のコンピュータ将棋選手権でも優勝している。これは東京大学のGPS開発チームが作ったソフトで、六八七台(電王戦時)のコンピュータを接続したものだ。昨年の優勝時のものでも一秒間に二億八千万手読むと言われている。
それが、どれほど凄いことなのか、もはや我々では見当もつかないくらい凄まじいソフトなのである。
しかし、そのような凄いコンピュータと、生身の人間が闘うというわけだから、ここであらためて、プロ棋士という人間の凄さが際立ってくるのである。
これは、もう、神々の闘いと言うしかない。
2
今回の第二回電王戦の開催期間――つまりこの1ヵ月の間、ぼくの頭に何度も浮かんでは消えてゆく人物があった。
その人物の名は、小池重明(こいけじゅうめい)という。
一九四七年生まれで、一九九二年、四十四歳でこの世を去った。
将棋がめったやたらと強かった。
この小池重明が、コンピュータと闘ったら、いったいどんな勝負をするのだろうか。
小池が、今のこの状況を見たら何と言うだろうか。
そういう思いが脳内をかけめぐっていたのである。
何故、この電王戦において、二〇年以上も前にこの世を去った小池のことを思い出したのか。
もちろん、キーワードはある。
それは、
「プロ棋士より強い」
であった。
今はもうあまり使われなくなったが、真剣師という言葉があることを知っているだろうか。
真剣でやる将棋――簡単に言ってしまえば、賭け将棋をやる人間たちのことである。
金を賭けて、将棋を指す。
くすぶりなどとも呼ばれた。
街の将棋道場などにたむろしていて、カモを見つけて、金を賭けて将棋を指す。
はじめは上手に負けて、大金の賭かったところで、勝つ。
どこかで金を作ってきては、真剣師どうし、金を賭けた勝負をする。
時には、ひと晩で数百万円が動くような勝負もする。双方の真剣師にのっかる人間が何人も出て金を出すから、そういう金額になることもあるのだ。
この真剣師がたむろするような将棋道場は、自然、普通のお客さんが来なくなるから、店からはいやがられる。
小池重明、この真剣師であった。
「新宿の殺し屋」
「プロ棋士殺し」
などとも呼ばれた。
将棋連盟に所属する棋士がプロならば、この真剣師たちは、一方の闇の世界のプロである。
単なるアマチュアではない。
もちろん、棋力においては、アマチュアより、連盟のプロ棋士の方が、実力は上だ。真剣師であっても、連盟のプロ棋士にはまず勝てない。
しかし、例外があった。
それが、この小池重明であったのである。
この小池重明、生活破綻者であった。
酒が好き。
女が好き。
博打が好き。
大恩ある人の金庫から金を持ち出し、行方をくらましたことも、一度や二度ではない。
恩人の車を使って、女と逃げ出したこともある。
寸借詐欺で、警察のやっかいになったこともある。
酒におぼれ、女から逃げられ、肝臓をやられて、若くして死んだ。
ぼくは小池重明とは一度も会ったことはないのだが、早くから、友人から彼のことは耳にしていて、いつか小説に書いてみたいとスケベ心をおこして、何度となくその友人から、小池の情報を聞いていたのである。
この小池のことを書いたのが、今は亡き団鬼六という作家であった。
団さんは、晩年の小池の面倒を見ていた方である。
逃げた女を殺しに行くので、日本刀をかしてくれ――団さんは、こんなことも、小池から言われている。
小池が、死ぬのをわかって、団鬼六は、小池が生きている間に香典を集め、それを小池に渡しているのだが、そのほとんどを小池はパチンコ代に使ってしまったのではないか。
小池の死ぬ間際、プロ棋士との対局をアレンジしたのも団鬼六である。
ぼくも『風果つる街』という真剣師の話を書いている。小池重明のことも書きたかったのだが、書かなくてよかった。この団さんが書いた『真剣師小池重明』という本のほうが、数百倍おもしろかったからだ。幻冬舎のアウトロー文庫に入っているので、未読の方は、ぜひこれを読まれたい。
同じアウトロー文庫の『真剣師小池重明・疾風三十一番勝負』(団鬼六・宮崎国夫)も合わせて読まれたい。縁あって、こちらの文庫の解説は、ぼくが書かせていただいた。
アマ名人戦に出て、小池は二度優勝している。
酒に酔って対局し、相手が長考すると、その場にごろりと横になって、眠ってしまう。
会場では、こんな小池を、残り時間ぎりぎりまで寝かせておいて、残り時間がわずかになってから起こし、指させたという。
それでも優勝した。
ちなみに、この時の記録係が当時小学生だった現在の羽生三冠である。
小池重明、人に嫌われた。
しかし、嫌われつつも、この生活破綻者の小池は、人から愛された。
そして、将棋が凄まじく強かった。
神がかり的な強さだった。
この小池、当時、棋聖位までとった、A級棋士の森雞二八段と、指し込み三番勝負を行った。
一局目は、ハンデ戦で、二局目は、勝った方により重いハンデをつけてゆく対局方式である。
一局目、森八段の角落ち番――これに小池は勝った。
二局目、森八段の香落ち番――これにも小池は勝った。
三局目は、平手番である。ハンデなし。そして、この勝負にも、小池は勝ってしまうのである。
あってはならないことが起こってしまったのである。
これほど強かった小池だが、プロ棋士になれなかった。
何故か、プロ棋士になるためには、年齢制限があったからである。
プロ棋士になるためには、若くして将励会に入り、当時で言うなら二十四歳までにプロ棋士にならないと、永久にプロ棋士になれないのである。
小池重明は、その年齢制限にひっかかって、プロ棋士になれなかったのだ。
プロ棋士に勝てる実力がある。将棋以外の才能は何もない。その人間が、ルールのためプロ棋士になれないのだ。
小池のこの哀しみ、いかばかりであったか。
しかし、この小池のあまりの強さに、一時、例外として、小池にプロ棋士になるチャンスを与えようではないかという気運が盛りあがったことがあった。
しかし、結局、小池はプロ棋士になれなかった。
この小池のあまりの生活破綻ぶりからして、それもしかたのない結論であったろう。
そして、小池は、血を吐き、女にも逃げられ、病院で死んでゆくのである。
小池は、あえて言えばプロより強いアマチュアであった。何もかも、あらゆる意味で、コンピュータとは対極にあるような男であった。
ああ――
そして今、コンピュータもまた、プロに勝つようになってきた。
今、この小池が生きていたら。
彼こそが、コンピュータと人間との勝負に一番ふさわしい将棋指しだったのではないか。そんなことを、ぼくは、夢想してしまうのである。
小池重明、凄い男だった。
3
決着した後、対局室に入った。
将棋というゲームの凄いところは、敗着が自ら自分の負けを認め、投了をするところである。そして、その後、観想戦をやらねばならないことだ。敗者が、どうして自分が負けたか、ミスがどこにあったかを、そこで自分に言いきかせねばならない時間が、対局後にあることである。
ぼくは、三浦八段に訊ねた。
「この対局で、今になって思いかえした時、あの時、こう指しておけばよかったというような局面はあったのですか」
ミスをした一手はあったのかという意味の問いである。
「観想戦をしてみなければ、わかりませんのが、なかったと思います」
そういう答が返ってきた。
その後の、合同記者会見でも、同様のことを、三浦八段は語っている。
これは、なんだか凄いことではないか。
人間側に、ミスの一手を指したという感覚がないのに、コンピュータが勝ってしまったということだからだ。
これは、常に最善手を指しながら、負けてしまうということが、あるということではないか。
もしかしたら、先手側か後手側が、必ず勝つという”最終定跡”のようなものが、どこかにあるのではないかという幻想が、ここに垣間見えたのではないかという気がした。
仮に、その”最終定跡”が発見されたら、将棋というゲームが終わってしまうのではないか。
しかし―
今回、五局が終わってみて、見えてきたことがある。
コンピュータ対人間と言っても、結局それは、人間対人間の戦いということなのだな、ということだ。
人間の側だけではない。コンピュータのソフトを開発する人間たちの中にもドラマや様々な想いがあり、そういう人間たちの思いが、今、我々の心を揺さぶっているのだろうということだ。
普通、将棋の解説者が、涙ぐむなどということはあり得ない。
それがおこったのだ。
四局目の塚田九段は、必敗のかたちを持将棋に持ち込んで、ついに引き分けにしてしまった。神聖な将棋の棋譜を汚したと言われかねない手であったが、これが感動をよんだ。
プロ棋士として、自分がどういう手を指しているのか、誰よりわかっているのが、本人の塚田九段である。記者会見の最中、塚田九段は、何度も涙をぬぐっている。
そういう涙や、人間のドラマが、この五局の戦いにはぎっしりと詰まっていた。
そもそも、車と人間が走る競争をして、人間が負けたらからといって、くやしがる人間はいない。車の方が速いのがあたりまえだからだ。
重機と人間が、重いものを持ちあげる競争をして、人間が負けたからといって、人間は傷つかない。
しかし、コンピュータと人間が対戦し、人間が負けたとなると、そうはいかない。人間はくやしいし、人間は傷つくし、なんとか人間に勝って欲しいと思う。コンピュータのソフトを作っているのも同じ人間であるとわかっていても、人間はつい人間を応援してしまうのだ。
それは何故か。
それは、おそらく、これが人間の脳に関わる事だからだ。
人間を人間たらしめているのは、速く走ることでもなく、力が強いことでもなく、脳が持つ考える力がすぐれているからである。
人間を人間たらしめている脳──それに、コンピュータが勝ってしまう。ここがなんとも悩ましい問題なのである。
もしかすると、このことの先には、我々人間が持っている感情──泣いたり、笑ったり、誰かを愛したりすることまでコンピュータがやってしまう日が来るのではないか。たとえば、小説などもすらすら書いてしまうようなソフトもできてくるのではないか。
そんなことまで考えさせられてしまう、一ヶ月間であった。
それにしても──
将棋はおもしろい。
もう、十年以上も駒を握っていないのだが、また将棋を指したくなってきてしまった。
それは、ぼくだけではないのではないかと思う。
◇関連サイト
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