3作目で大化けしたM・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』に肝を潰す!
目が眩むような読書体験をまた一つ。
M・W・クレイヴン『キュレーターの殺人』(東野さやか訳。ハヤカワ・ミステリ文庫。以下同)を急いでみなさんにお薦めする次第だ。
クレイヴンのこの連作は英国推理作家協会(CWA)の年間最優秀長篇賞に相当するゴールデンダガーを獲得した、2018年の発表作『ストーンサークルの殺人』に始まる。第二作『ブラックサマーの殺人』に続くのが本書である。第三作で化けた連作というのは以前にもあったが、ここまで華々しい例というのは珍しいのではないかと思う。後々人気が出るシリーズというのは第二回からバルタン星人が出ているものなのだ。一・二と油断させておいて三作目で本領発揮というのはずるいやり方である。
『キュレーターの殺人』のあらすじを説明するのはちょっと難しい。後から出てきた新事実が、それ以前の印象を上書きしていくタイプの作品だからである。つまり、起承転結の各部で事件の見え方が全然違っている。それでも冒頭だけを説明しておくと、最初に提示されるのは人間の切断された指が街のあちこちで発見されるという事件である。ちょうどクリスマスの時期に当たっており、プレゼントとして準備されたマグカップの中に突っ込まれるなど、悪質な愉快犯の手口である。しかも各現場には#BSC6という謎めいた文字列が残されていた。なんのつもりだ。ハッシュタグなのか。話題が広がることを狙った劇場型犯罪だが、死人が出ていることは明らかだ。切断された指の中には生体反応がない、つまり死者から切り取られたものがあったのである。最低三人の指が切られているという想定で捜査は進められていく。
明かしてもいいあらすじはこのくらいではないかと思う。題名に書かれているキュレーターの意味まではいいか。博物館で働く学芸員資格のことだが、最近では別の意味で使われることのほうが多くなってきた。本作のキュレーターもそっちから来ている。本文を引用しすると「影響力を広範囲におよぼす」という仕事のやり方から「キュレーター」と自称する職業的犯罪者がこの事件には関わっているというのである。これだけだとなんだかわからない、インフルエンサーみたいな人間か、と思うかもしれないがネタばらしになるのでもう書けない。
引用した箇所は小説の中盤くらいにある。捜査陣は右往左往した後に、このキュレーターという犯罪者へとたどり着くのだ。しかしまだ折り返し点、ここからさらに事件は様相を変えていくことになる。ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライム・シリーズを思わせる探偵対怪人の構図がどのように変化するのかは実際に小説を読んで確かめていただきたい。誰も予想ができない場所が終着点になる、ということだけは書いておく。
こういう風に読者に先を読ませない物語運びは第一作からのものだった。章の切り換えを短かくして、テンポよく話を進めていくのがクレイヴンの戦術で、ページターニングの技巧に長けているのである。スリラーとしておもしろいというだけでエンターテインメントとしては十分だったのだが、今回はそれに読者を徹頭徹尾びっくりさせるという執念のようなものが加わった。そこまでの展開にも驚かされたのだが、最後に明かされた真相を読んで私は心底肝を潰したのである。何年かに一度というレベルだし、単なるサプライズエンディングではなくて、理詰めでそこまでちゃんと話を持っていっている。つまり論理の必然として到来する驚きの結末なのだ。これまでの作品にはなかったもので、読み終わった後に引きずるものも大きい。化けたぞ、と言いたくなる気持ちをお察しいただきたい。
本作の舞台は英国カンブリア州に設定されている。主人公は国家犯罪対策庁の重大犯罪分析課に属するワシントン・ポー部長刑事である。『ストーンサークルの殺人』はこのポーが停職中に、彼を知る者が関与しているとしか思えない重大事件が起きたことから始まる。事件捜査と主人公のもつれた人生が同等の比重で描かれていく物語というのは警察小説でも好んで描かれる題材で、イアン・ランキンあたりを源流としているここしばらくの流行でもある。さらに、主人公がいなければ事件は起こらなかったのではないか、というぐらい骨絡みの構造が描かれることもある。この代表格がノルウェー作家のジョー・ネスボで、自身が疫病神だとしか思えない事件を彼の創造した主人公であるハリー・ホーレ刑事は扱わされてきたのである。そうした濃い先輩たちに比べるとワシントン・ポーはまだまだじゃないか、と思っていたのだが、本作でかなり認識も改まった。というよりもこの作品を経てワシントン・ポーのキャラクターは見事に確立されたのである。作者はこのあとポーをどうするんだ、という興味も強烈に湧いてきた。
クレイヴン未体験の読者に告ぐ。前二作はもう放置でかまわない。とりあえず『キュレーターの殺人』は手に取るべし。その順番でかまわない。読めばクレイヴンが気になって仕方なくなるはずだから。今が読むべきその時だ。
(杉江松恋)
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