先行きの読めないミステリー〜アリス・フィーニー『彼は彼女の顔が見えない』
まるで吹雪の中を彷徨っているような読み心地だ。
アリス・フィーニー『彼は彼女の顔が見えない』(創元推理文庫)を手に取り、あっという間に読み終えた。読み終えないわけにはいかない。とてもじゃないけど途中で手を止めることはできない。厳寒の屋外でじっと立ち尽くしていたら、あっという間に凍えてしまう。とにかく進まなくては、どこかに行かなくては、とそういう憔悴に似た感情に襲われる小説なのである。
フィーニーの本邦初紹介は昨年翻訳された『彼と彼女の衝撃の瞬間』(創元推理文庫)だった。お読みの方も多いと思うが、主要登場人物が少なくて、そもそも巻頭に紹介表がないことや、複数の視点が切り替わっていく叙述形式など、前作と共通する要素は多い。情報を制限して読者の視界を狭くしておき、不安を駆り立てるのがこの作者のやり方なのだ。なので、読み進めていくと頻繁に意外な展開にぶつかる。その先行きの読めなさが本作の特徴なので、あらすじを紹介しすぎると読者の興を削いでしまうことになる。なので、なるべく視界を拡げないようにして作品の魅力について書くようにしたい。
主たる視点人物は二人である。アダムとアメリアの夫妻だ。二人はスコットランドのハイランド地方にやってきた。重篤な倦怠期とでもいうべきか、夫婦仲が冷え切っていて、カウンセラーの勧めを入れて気分転換の旅行をすることになったのだ。行先は山奥の、チャペルを改造したというコテージだが、まだ宿に到着していないというのに車中で二人は揉めだしてしまう。アダムは脚本家なのだがいささか仕事中毒気味で、この旅行にもパソコンを入れた鞄を持ってきている。それがアメリアは気に入らない。彼女からしてみれば、アダムは仕事を口実に他のことから逃げ回っているようなものだからだ。二人はなんとか目的地に到着するが、建物に足を踏み入れる直前から雰囲気は険悪だ。なんとかドアが開き、中に入って、どん。ここで最初にびっくりするようなことが起きる。
書けるのはここまでかな。最初の驚きも明かさないほうがいいだろう。何が起きるのかって。休暇旅行に来た人がいちばん見たくないようなものを目の当たりにしてしまうというか。そのあともさらに旅行を楽しむどころではない事態が次々に起こる。
序盤だけだと、旧い建物が侵入者に禍いを為すゴシック・ホラーの展開に見える。それがどのように変化するかはお楽しみ。何しろ常に視野狭窄の状態に置かれるので、全体の構図は見えないままなのである。いったいどういう小説なんだろう、作者はこの二人を使って何をしたいんだろう、と首を傾げながら前半はページを繰り続けることになる。そうか、そういうことか、と納得してもそれで安心してはいけない。あなたが出したその結論は絶対に間違っているからだ。『彼は彼女の顔が見えない』というのはそういう小説なのである。全体像がわかるのは、十分の九ぐらいまで読み進めたあたり。つまりほぼおしまいになるまで何がなんだかわからない状態が続くことになる。
最初に吹雪の喩えを書いたが、ホワイトアウトの中に入ると、隣に立っている人影すら見えなくなるという。それと同じだ。アダムとアメリア、二つの視点で叙述が行われるのに、両者は互いの姿さえしばしば見失ってしまうのである。二人でいるけど一人でいるのと同じだ。自分以外のことはまったく信用できない、完璧な孤独の中に登場人物と、そして読者は取り残されるのである。
書いていい情報をもう少し出しておこう。実はチャペルの周囲には、アダムとアメリアを監視する人間がいる。第三の視点人物である。この三つの視点によって現在の物語は進んでいき、間に過去の出来事についての叙述が、結婚記念日に妻から夫へと贈られた手紙の形で綴られていく。一年ごとに手紙は書かれるので、夫婦の間がどのように変化していったかが読者にはわかる仕組みなのである。これ以外に書いていいのは、アダムの特徴か。彼は相貌失認、つまり人間の顔がわからないのである。アメリアが隣にいても、実は彼女がどういう表情をしているのかはわからない。本作はミステリーだから、この設定はもちろん重要な意味を持つ。
『彼は彼女の顔が見えない』というのはアダムの特徴からつけられた邦題で、原題はRock Paper Scissors、つまり「石、紙、鋏」である。ジャンケンのグー、チョキ、パーだ。実はこれ、アダムが初めて書いたオリジナル作品の題名から来ている。独自の物語を作ることは彼にとっての宿願だ。これが作品の主題にもなっていて、今あるこの現実を生きる上で、人はなんらかの物語を必要とする。出来事をひとつながりのものとして認識するには、それらを解釈しなければならないのだ。そうした物語とは、常に誰かのものである。自然の所与として存在する物語はありえず、自分自身で創り出したと思っていても、実は誰かに与えられたものである。この現実を解釈できるのはどの物語だろうか、という問いが本作の根底にはある。
本作の読者は全員が、ページを繰りながらその選択をすることになるのである。読んでいる最中は、無限の物語が生成されていく。だからだろうか。結末が近づいてくると、読み終えたくない、最後を知りたくないという気持ちも湧きあがるのだ。さっきまではあんなに、早く読み終えてしまいたいと思っていたのに。二つの感情の板挟みになって悶える最後の数十ページがなんと心地よかったことか。不安な状態で取り残されるということがこんなに心地よい小説も珍しい。読むと孤独になれる。一人になれる。どんなに大勢の人に囲まれていても、世界には自分しかいないという感覚を味わえる小説だ。
(杉江松恋)
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