巨匠の快作『ギャンブラーが多すぎる』がたまらない!

巨匠の快作『ギャンブラーが多すぎる』がたまらない!

 緊張と緩和の繰り返しがたまらない読書の快感を生み出す。

 アメリカ犯罪小説の第一人者として長く君臨し、惜しくも2008年に亡くなったドナルド・E・ウェストレイクは、作品の質と量が共に備わった巨匠の名にふさわしい作家だった。

 作品数は多く、まだ未訳のものもかなり残されている。『ギャンブラーが多すぎる』は1969年の作品である。ウェストレイクの作家業第一期から第二期への端境に書かれた長篇だ。これまで翻訳されてこなかったのが不思議なほどに楽しみの詰まった快作である。

 ニューヨークでタクシー運転手として働くチェット・コンウェイは大のギャンブル好きだ。馬からカードまで何でも賭ける。ちょっと懐が厳しくなっていたところ、タクシーに乗せた客から競馬に関する耳よりな情報を得た。自分の直感を信じてノミ屋のトミー・マッケイに連絡すると、なんとそのパープル・ペキュニアという馬が買って九百三十ドルが手に入ることになったのだ。今ではない。一ドルが三百六十円だった時代の九百三十ドルだから結構な大金である。喜び勇んでトミーのところにやってきたチェットは、「まるで高射砲で胸を撃たれた」ようなノミ屋の変わり果てた姿を発見する。

 報せを聞いたトミーの妻、ルイーズは動転して騒ぎ始め、チェットがやった、と叫び出す。しかし、やってきた警官に不当な扱いを受けることはなかった。ギャングらしき男たちもやってきてチェットは小突き回されるが、特に怪しいところもなく無事に放免される。やれやれ一安心。だが、チェットのタクシーに乗ってきた金髪の美女はちょっとばかり面倒臭かった。トミーの妹・アビゲイル(アビー)と名乗る女は、チェットに拳銃をつきつける。兄殺しの犯人は妻のルイーズのはずだが行方をくらましている。どこへ行ったか教えろ、と言うのだ。

 いい加減にしてくれ。

 チェットの望みはトミーから貰えるはずの九百三十ドルを受け取ることだけだ。なのに、自分とはまったく関係ないはずの殺しに関してあれやこれやうるさく聞かれるだけではなく、対立している二つのギャング組織からあらぬ疑いをかけられる。チェットが事件現場付近にうろうろしているのは、向うの陣営に雇われているからではないかというのだ。いや、そうじゃなくて、九百三十ドルが欲しいだけなの。きゅうひゃくさんじゅうどるがっ。

 いわゆる巻き込まれ型のスリラーである。本作の最も輝かしい場面は中盤に訪れる。どこからか狙撃されて頭部にかすり傷を負ったチェットは、アパートに引きこもって静養しなければならなくなる。そこになぜか事件の関係者たちが次々押しかけてきて、部屋はパーティ会場さながらの賑やかな状態になってしまうのだ。

 チェットは言う。

「おれは自分がネロ・ウルフになったような気分だよ。おれはこのアパートメントから一歩も出る必要がなくて、遅かれ早かれ、このいまいましい騒ぎの関係者全員がおれを訪ねてきてくれる」

 ギャングの一人は言う。

「おまえと話をするたびにな、コンウェイ、事態がややこしくなるぜ」

 ヘンとヘンを集めてもっとヘンにしてしまう『宇宙はタイヘンだ』的な状況で、アパートメントは次から次へと面倒臭いことが起きる友引町状態になってしまうのである。じゃあ、チェットは諸星あたるか。

 本作のもう一つの魅力は、チェットの元に押しかけてきて最初は拳銃をつきつけ、後には謎解きのパートナーとして行動することになるアビーである。直情径行型で、かっとなると手が付けられなくなる。鬼の星から来た少女さながらに。

――「この鼻つまみ野郎、間抜け!」彼女は服を着ていたが、乱れていた。髪はぼさぼさで、化粧はこすれ、服はしわくちゃになり、ひどく歪んでいた。生まれてこのかた、これほど異常なまでに美しい生きものを見たことがない。

 本作の発表は前述したように1969年である。1960年に『やとわれた男』で颯爽と犯罪小説界にデビューを果たしたウェストレイクは、ハメットの衣鉢を継ぐ正統派として注目された。初期の作品は硬質なものばかりで、その中にはリチャード・スターク名義の『悪党パーカー/人狩り』(1962年)も含まれる。だが次第に多彩な作風を手がけるようになり、その中には『弱虫チャーリィ、逃亡中』(1965年)のようなクライム・コメディ色の強いものもある。1966年にはいわゆるネオ・ハードボイルドの先駆的作品『刑事くずれ』をタッカー・コウ名義で発表した。転機となったのは1967年の『我輩はカモである』でアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)を受賞したことだろう。硬派の縛りから完全に解放され、1970年には天才泥棒ドートマンダーものの第一作『ホット・ロック』を放つことになる。本作は、その直前に書かれたものなのだ。この中に描かれたアパートメントの一室でチェットが仲間とカードに興じる場面はドートマンダーもののを思わせるし、無実の疑いをかけられて逃げ回るという状況設定も後に多用されるものである。クライム・コメディの巨匠の片鱗は十分に本作にも現れていると言えるだろう。

 なんといってもユーモアのセンスがたまらない作品である。たとえばこんな会話。

 またもや逃亡しなければならなくなったチェットとアビーが大衆食堂に行く場面である。デニッシュとコーヒーを頼んだチェットにアビーは言う。

「それは太る原因よ、チェット」
「拳銃を持った誰かに追いかけられているときには」おれは言った。「ダイエットはあまり関係がないと思うね」そして、おれのデニッシュをもぐもぐと食べて、なかなかおいしいと思った。
「わかったわ」彼女が言った。「でも、この騒ぎが終わったら、ダイエットするのよ」

 こんな会話、なかなか書けないよね。

(杉江松恋)

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