現代韓国作家によるハイレベルのSF短篇集
韓国の現代作家チャン・ガンミョンのSF短篇集。作者はさまざまな傾向を書くが(すでに邦訳が数冊ある)、幼少のころからのSFファンだという。本書には、ジャンルSFとして完成された作品と、主流文学テイストの寓話的な作品の両方が収録されている。どちらも面白い。全十篇。
冒頭に置かれた「日本の読者のみなさんへ」で、チャン・ガンミョンはこう記している。
『極めて私的な超能力』を書いているときには、私は「技術は予想外の方法で人間に深い影響を及ぼす」という話をしたかったのです。「アラスカのアイヒマン」もそうですし、最初の短篇「定時に服用してください」、最後の短篇「データの時代の愛(サラン)」も、すべてそんな話です。
技術が人間に及ぼすもの。それこそヴェルヌやウエルズのころからのSFが扱ってきた主題だが、本書に収められた作品はその描きかたに特徴がある。意識や感情の問題を、哲学の水準と日常の地平にまたがるかたちで前景化するのだ。テッド・チャンや伴名練を思わせるところもある。しかし、両者にくらべるとチャン・ガンミョンは語りの手法が実直であり、順番を踏んでプロットを展開していく。
もうひとつの注目点は、とくに長めの作品に顕著なのだが、政治・歴史・社会に対する深い理解と現代的な問題意識だ。その点において小川哲に近いものを感じる。
たとえば、「アラスカのアイヒマン」は、第二次大戦後にアラスカにユダヤ人自治区がつくられた、もうひとつの歴史の物語だ。南米に身を隠していたナチスの虐殺責任者アイヒマンが捉えられ、アラスカへ引き立てられてきてから八年後、他人の感情を移植する〈体験機械〉が発明された。さまざまな議論が渦巻くなか、アイヒマンをこの〈体験機械〉にかけることが決定される。ホロコースト生存者のなかからひとりを選び、その人物がいま感じているままをアイヒマンに体験させるのだ。
この物語は、現実のアイヒマン裁判をめぐるドキュメントで哲学者ハンナ・アーレントが言った〈悪は凡庸である〉を踏まえて書かれている。つまり、アイヒマンは生来の悪魔的人格ではなく、むしろ凡庸であるがゆえにナチスのシステムのなかで虐殺をおこなったというのだ。ただし、このアーレントの見解へは多くの批判も集まった。「アラスカのアイヒマン」は、その批判をもしっかりと織りこんでいる。
〈体験機械〉計画にかかわる科学者のひとりは、この機械は懲罰ではなく、他者との共感あるいは理解にかかわるものだと主張する。また、アイヒマン本人はこの機械の被験者になる交換条件として、自分の感情を相手のユダヤ人に移植するように要求する。
はたして〈体験機械〉は人類にとって恩恵だろうか? むしろ開けてはならない扉を開ける鍵なのかもしれない。物語は複雑な起伏を描きながら、思わぬ方向へと進んでいく。
「あなたは灼熱の星に」は、金星探査をめぐる宇宙SF。すでに宇宙開発は民間事業となっており、予算を工面するためにリアリティーショーとしてセッティングされている。つまり、金星研究員の私生活の物語的な演出だ。スポンサー企業の代理人は番組会議でこう言い放つ。「全地球が泣いた! ってなるようにお願いします」。そして、このリアリティーショーには、視聴者の知らないおぞましい秘密があった。
「アスタチン」は、絶対君主が自分の複製たちを競いあわせ、後継者(自分の意識を移植してアップデートするのだが)を決めるバトル・サバイバル。木星・土星圏の各衛星が舞台となり、道具立てもわざとチープなスペースオペラ調にしているが、根底にあるのはアイデンティティの本質をめぐる問いである。
「センサス・コムニス」は、脳波を利用した世論調査の顛末を描く、ディストピア的色彩の強いサタイア。「データの時代の愛(サラン)」は、カップルの関係持続性を予測するアルゴリズムが普及した近未来の、シニカルな(しかし後味は良い)ラブロマンス。
(牧眞司)
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