「語られない部分」を活かす技巧が冴えるピンスカーの短篇集
サラ・ピンスカーは昨年、音楽を題材にした長篇『新しい時代への歌』が訳出されている。テロと感染病によって閉塞した社会でライブ演奏の熱狂を求めるひとびとの姿を描き、ネビュラ賞を受賞した作品だった。本書はその彼女の短篇集。2010年代に発表された十三作品が収録されている。
冒頭の「一筋に伸びる二車線のハイウェイ」は、一風変わったサイボーグSF。コンバインの事故で右腕を失った青年アンディは、新しく開発されたロボット義手を装着する。その義手がどういうわけか、自分は道路だと思いこんでいるのだ。義手の衝動と熱望がアンディの気持ちへ、ひたひたと浸透してくる。
「そしてわれらは暗闇の中」は、夢で赤ん坊を授かった母親たちが、その子が実在している強い感覚に促され、世界各地からカリフォルニアへと集まってくる。集団幻覚? いや、この沖の岩の上に確かに子どもたちはいるのだ。どことなくジョン・ウィンダム『呪われた村』を思わせるが、これが侵略かどうかはわからない。異常なできごとを俯瞰的に扱うのではなく、あくまで語り手の視点を通してなりゆきが描かれる。ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアに通じる技巧だが、ピンスカーの筆致はずっと淡彩的だ。
「彼女の低いハム音」も状況全体の説明はなく、ひとりの少女の主観で物語は進む。本物のおばあちゃんが死んだあと、お父さんが新しいおばあちゃんをつくってくれた。見た目は人間だが、電気仕掛けで胸に空洞があるおばあちゃん。ある日、私とお父さんはおばあちゃんを連れて家を出る。兵士の目を誤魔化して港へ。読者はだんだんとディストピア的背景がわかってくるが、世界の全体像は最後までつかめない。
“語られない部分”を巧みに活かしている点では、「イッカク」が傑出している。ボルティモアに住む主人公のリネットは臨時の仕事で、ダリアという女の依頼を引き受ける。ダリアは最近亡くなった母親の遺品であるクルマを故郷のサクラメントまで持っていこうとしており、リネットにその運転をしてほしいというのだ。予定では八日間の行程。とくに難しいこともなさそうだし、途中、名所にも寄れるんじゃないか。しかし、問題のクルマを見て仰天。クジラの格好をしているのだ。運転席には機能がわからないボタンがいっぱいついている。かくして、前代未聞のドライヴがはじまった。ダリアの母親の秘めたる過去が、じわじわと隠し味のように効いてくる。不思議な感覚のロードノヴェルだ。とくにユーモアの配分が絶妙。
(牧眞司)
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。