第2回将棋電王戦 第4局 電王戦記(筆者:河口俊彦)

 3月1日の深夜、将棋会館でのA級順位戦最終局(将棋界の一番長い日)の取材を終えて、一息入れていると、ニコニコ動画の中継担当者が来て「電王戦の観戦記を書いてくれませんか」と言った。瞬間、「エッ?」と驚き、それから「私はパソコンはおろか、携帯も持っていない年寄りだぜ」担当者は「そういう方に書いてもらいたいのです」と平然としている。そんなものかな、と思い、米長邦雄永世棋聖に、すまないことを言ってしまった話しをすると、「それはいい」とか言われ、うまく乗せられてしまった。で、アナログ老人が思いもかけず恥をさらす事になるのだが、まず、その米長との失敗談からはじめよう。

 一昨年の暮、戸辺誠六段の結婚披露宴があり、招かれて控えの間で宴会が始まるのを待っていると、米長が来て「今度、コンピュータと戦うんだ。その対策は十分に考えてある。」と熱っぽく語った。そこで私は「大天才の真価が見られるね」と言ったまでは良かったが、その後がいけなかった。「だけど、あんたが負けるよ」言ったとたん、しまった!と慌てたが、彼も私の真意を察してか、不愉快な顔もせず、その場はすんだ。

 あの頃の米長は、周囲と戦いつづけて疲れ切っていただろうし、体調も辛くなっている様子が見えた。だから、必勝形にはなるだろうが、どこかで大ポカが出てしまう、と思ったのである。しかし、「負けるよ」はなかった。こんな失敗を長い棋士生活中に数知れぬくらいくり返し、その度に反省しているのだが直らない。困ったものだ。そういう事があり、ボンクラーズ戦は、米長が勝つよう祈っていたが、ポカが出て負けてしまった。ただ、だからといって米長の名声が落ちたわけでなく、そこはほっとした。それと共に、コンピュータもここまで強くなったか、との感慨もあった。

 この半年後、王座戦の渡辺明王座対羽生善治二冠(当時)戦が、横浜で戦われ、私は近くに住んでいるので観戦に行った。五番勝負の第二局だったのだが、そこでの羽生の指し方が異常だった。双方の駒組みが頂点に達したとき、羽生は玉を一路寄ったり、また戻ったりの同一手順をくり返しはじめたのである。

 渡辺はそれを見て、好きなように駒組みを繰り替え、玉を穴熊に囲うなど、これ以上は望めない、という好形に組み上げた。対して羽生陣はその間何も変わっていない。こういう指し方は、これまでに見たことがなかった。そもそも無為な手をつづけるのは、千日手の手順ならいざ知らず、普通の局面ではプロの発想にない指し方なのである。絶好形から渡辺は攻めたが、思ったほど有利な戦いとならず、結局渡辺は敗れた。

 この勝負は大きかった。対渡辺との対戦成績で圧倒されていた羽生が、この第二局をきっかけに盛り返し、王座を奪還し、対戦成績を五分近くまで戻したからである。後で思い当たったのだが、あの羽生の「一人千日手」と言われた指し方は、対米長戦でのボンクラーズの、無意味に飛車を動かした指し方にヒントを得たのではないか。推測にすぎないが、当たっているように思う。

 渡辺の方も、数年前から、将棋ソフトと数多く対戦し、そこから何かのヒントを得ている、との噂を聞いていた。時々人間では思い付かない発想の手を指すことがある、というのである。それらを思い合せて、将棋ソフトが、プロ棋士の有力な研究用ツールになっているのがわかった。ざっとそんなところが私の、コンピュータ将棋についての知識だった。当然ながら、私自身は、将棋ソフトとは指したこともないし、見たこともない。

 さて、依頼を引き受けたものの、特に何もしないうちに第1局が開始された。正直なところ、それすら私は知らないでいた。家人が「テレビのニュースに出てたわよ」と言っても聞き流していた。ところが翌日の朝刊を見てびっくり。各紙に大きく伝えられている。プロが勝ったにもかかわらず、である。ここで、電王戦の意味するものに気が付いたのだった。そして俄仕込みの勉強をはじめた。

 まずは第2局を観戦に行ったのだが、将棋会館の四階の大広間に入ってびっくり。報道陣があふれ、タイトル戦以上の賑いではないか。この一戦はご承知のように佐藤四段が敗れた。終わって自室に引き上げて行く佐藤君を見たが、うなだれ、肩は落ち、足を引きずっていた。負けて、これほど落胆した棋士は見たことがない。先崎君が、「いい将棋だったよ」と声をかけたが、耳に入らぬ様子だった。「あんなに辛いものかね」先崎君に聞くと「そりゃあそうですよ、何を言うんですか。」ときつい口調でたしなめられた。

 そこで、将棋ソフトにくわしい棋士の何人かに色々と教えてもらったが、聞いていて何か違和感をおぼえた。それは、主にコンピュータの弱点を見つけ、そこを突こうと研究していることで、なぜ正々堂々、自分の長所を出そうとしないのだろう、と思った。どうやらコンピュータに恐怖感を持っているらしく、それが意外だった。

 余談が長くなった。ここからが、第4局の観戦記である。

 対局が開始されて、戦いがはじまるまでは、観戦記者の仕事はない。そこで、本局のコンピュータ将棋ソフト側立会人の、小谷善行さんと、第2局の立会人の瀧澤武信先生にごく初歩的な事を教えてもらった。プロ棋士に駒の動かし方を教わっているようなもので心苦しく恥かしかった。

 教えられてわかったのは、将棋ソフトは日進月歩、めざましい進歩をとげていること。その上達ぶりをよく知っている棋士諸君が恐れている気持がよくわかった。開始から一時間もすると戦形が決まり、本格的な「相矢倉」となった。お手本通りで、新定跡の誕生すら期待されて、このときだけは心躍った。

 第1図の前後が序盤の見所であろうか。控室では早くもあちこちに継ぎ盤がつくられているが、私が座っている所の継ぎ盤は、立会人の神谷広志七段、先崎学八段、それに瀧澤先生がいて、これは最高の検討陣。才知あふれる会話が飛び交う。

 第1図を見て、神谷君が「昔、修がよく指していた形だ。これは入玉だな」私が「ここでそんなことまでわかるの?」「そうなるしかないじゃないですか」神谷君が言った修とは、中村修九段の事で、そう言えば、中村・塚田・神谷は共に同期生だ。昭和55年に四段デビューしたグループで、他に、高橋道雄、南芳一、島朗がいる。事情通のファンならご存知だろうが、このグループは、中原誠、米長邦雄、谷川浩司などから次々にタイトルを奪い、「花の55年組」と言われて一時代を画した。

 話を盤上に戻して、第1図でプロの常識は▲5七銀と上る、遊び駒の活用で、いずれ▲1四歩とやるのだが、それは先手の権利で、頃合いを見て突くのが戦い上手と言うもの。そういう味を知られたら、もう将棋ソフトには勝てなくなる。ただ、Puella αは▲8三銀の打ち込みを狙いに▲1四歩△同銀▲同香△同香と仕掛けたのだろう。

 第2図は第1図から30手近く進んだ局面だが、神谷君の予想通りの進行となっている。こういう局面では特有の手筋があり、後日、野月君(浩貴七段)が教えてくれたのだが、△1三桂が好手で、▲4一金には△1一飛と逃げられるし、▲4一金でなく▲5五歩には、△2五桂▲5四歩△5二歩と受ける一歩を手に入れることができる。実戦は△1五と、だったので▲4一金と飛車を殺されたのが痛かった。その上▲3一金を△同金と取ったのもわるく、この二手で形勢は大きく傾いた。

 第2図から30数手進んだのが第3図。これは完全な入玉形である。こうなると後手玉を詰ますことは不可能だ。なら後手必勝かと言えばその逆で、プロ同士の対局なら先手勝勢である。その理由は、先手玉も入玉してしまえばよいわけで、すると駒数による判定法によって先手勝ちとなる。
相方入玉した場合の判定法を記せば――。
(1) 大駒(飛角)4枚+小駒4枚
(2) 大駒3枚+小駒9枚
(3) 大駒2枚+小駒14枚
(4) 大駒1枚+小駒19枚
(5) 大駒なし 小駒24枚
(いずれも玉は枚数に入れない)
これを簡単に言えば、大駒5点、小駒1点とし、双方が24点以上になれば引き分け(持将棋)となる。この規定を第3図にあてはめて見ると、明らかに後手の駒数が足りない。

 ただ、問題なのは、先手玉が入玉したらの話で、8八の位置にいたままならいずれ詰まされてしまう。瀧澤先生は「コンピュータに入玉の知識はないと思いますね、矢倉囲いは好形という認識があるから動こうとしないのです」塚田九段も事前の研究で、将棋ソフトに入玉の知識がないのは知っていた。それに気付き、中盤から入玉作戦に切り替えたのだろう。

 というわけで、興味ははたしてPuella αが▲7七玉と指すか、の一点にかかった。それにしても、見ていてうんざりする場面である。疲れが出て、エレベーター前の老人席で一服つけながら、あれでもし後手が勝ったとしても、本当に勝ったと言えるのだろうか、と思った。

 しばらくして、控室に戻ると、騒然としている。Puella αが、▲7七玉と上ったのである。それが第4図。この後▲9五銀~▲8六玉と一目散に入玉し、ここで勝負はついた。人間同士なら後手投了である。しかし塚田君が投げないものだから、指すたびに惨めになって行く。神谷は「ああひどい」と引っくり返った。私が「対局室に行って、対局を止めたらどう」と神谷君に言った。起き上った神谷君は「256手まで指す、という規定があります」と言ったが、顔は辛そうだ。さらに私が「立会人が止めた例もあるよ」と言うと、先崎君も、彼らしくない穏やかな口調で、ストップを促した。神谷君はうつむき「規定は規定です」と動かない。私も仕方ないのだろうな。いくらなんでも塚田君に、投げなさいとは言えない。そして局後に塚田君が悔し涙を流したのを見て、考えが変った。

 あの将棋を指しつづけるのは、大した根性である。周囲、いや動画を見ているファンの眼を意識しながら指しつづけるのは、投げるより、よほど辛かったに違いない。将棋史上に残る名勝負には、投げるに投げられず、指しつづけて、本局のようになった例がいくつもある。それらを憶い出した。

 第4図からの指し手には特にふれない。Puella αの伊藤英紀さんに終ってからすこし話を伺ったが、チラッと「入玉が決ったとき、終ってもらいたかったです」と苦笑しながらもらした。話によると、入玉のデータが入ってないことに気が付き、直前に憶えさせたのだそうだ。だから入玉するまではよかったが、その後の駒の処理法をPuella αは知っておらず、わけがわからないまま指すことになった。それが伊藤さんには我が子が恥をさらしているように思えたのだろう。

 控室では、神谷君と瀧澤先生が書類を見ながら話し合い、引き分けにすると決定し、神谷君は対局室に入った。その間私は小谷さんの熱弁を聞いていた。「私達の立場からすると、プロに名手妙手をたくさん指してもらい、全敗したいのです。負ければそれが貴重なデータになるからです」そうか、コンピュータ将棋ソフトは、負けて強くなる。人間は負ければ弱くなる。それじゃ立場が逆転するのは時間の問題だ。それを知って、なぜかすっきりした。

 最後に一言書いておきたい。

 本局のような将棋も、将棋にはこういった場面も生じるのだ、との例として相応の価値はあろう。しかしニコニコ動画などによって、プロ将棋をファンに見てもらい、楽しんでいただくために、二度とこういう将棋は見たくない。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]将棋電王戦 第1局 阿部光瑠四段 vs 習甦 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv118753162?po=newsgetnews&ref=news
・[ニコニコ生放送]将棋電王戦 第2局 佐藤慎一四段 vs ponanza – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv118754300?po=newsgetnews&ref=news
・[ニコニコ生放送]将棋電王戦 第3局 船江恒平五段 vs ツツカナ – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv118755562?po=newsgetnews&ref=news
・[ニコニコ生放送]将棋電王戦 第4局 塚田泰明九段 vs Puella α – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv118757229?po=newsgetnews&ref=news
・[ニコニコ生放送]将棋電王戦 第5局 三浦弘行八段 vs GPS将棋 – 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv118757933?po=newsgetnews&ref=news
・第2回将棋 電王戦 HUMAN VS COMPUTER – 公式サイト
http://ex.nicovideo.jp/denousen2013/

  1. HOME
  2. 生活・趣味
  3. 第2回将棋電王戦 第4局 電王戦記(筆者:河口俊彦)
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

記事ランキング