金物のまち・新潟県三条市が人気NO1移住地に! スノーピークなど若者が熱視線の4事例
新潟県三条市が、人気移住地域ランキング「SMOUT移住アワード2021上半期ランキング」(面白法人カヤック発表)でNo.1に輝いた。その評価ポイントは、「市内のエリア特性を見事に生かし、移住関心者の心を掴んだこと」。「移住関心者の心を掴む」として挙げられているのが、三条市に本社を構えるスノーピーク。敷地内にキャンプ場を併設している、アウトドア業界を牽引する企業だ。
そのほかにも、一大金物産地である燕三条地域を成す三条市には、人口比あたり日本一社長が多いと言われるほど多くの企業が存在している。人気の理由を深堀りするため、「スノーピーク」と、話題の金物づくり企業「庖丁工房タダフサ」と「諏訪田製作所」、そして工場と工場、クリエイターをつなぎ文化の継承を担う「三条ものづくり学校」を訪れてみた。
「スノーピーク」アウトドアは趣味かつ仕事!全国から集まる若者が永久保証品質の担い手
国内外でアウトドア関連事業を幅広く展開するスノーピークは、三条市を代表する企業だ。「人生に、野遊びを。」をスローガンとする同社の製品は、多くのキャンパーから支持されている。
本社の地下にあるスノーピークミュージアム。創業からの歴史とこれまでの製品が展示されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
創業は1958年。三条市で山井幸雄(やまい・ゆきお)さんが金物問屋を立ち上げ、趣味の登山用に本格的なギアをつくりだしたのが始まりだ。
幸雄さんが開発した、雪山登山時に靴に装着するアイゼンと、岩にボルトを打ち込むハンマー(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
その後、息子の太(とおる)さんが2代目社長に就任し、オートキャンプ領域を切り開いた(現在会長職)。
キャンプ用品はバックパッカーやクライマー向きのものが中心だった時代。欲しいものを自らつくり現場で試すという信念を父親から受け継ぎ、誰もが気軽にアウトドアを楽しめる上質な用品を、次々と産み出していった。
山井太さん(左)は三条市生まれ。東京の大学で学び、外資系商社を経て2代目社長に就任した。2020年に娘の梨沙さんが3代目となり、2021年4月より代表取締役会長。執行役員でもある妻の多香子さん(右)とは商社で同期入社だったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
暴風雨にさらされてもテントを守る頑丈なペグ。焚火のような強い直火に耐えうる鍋。室内で使用する以上に堅牢さを求められるアウトドア製品づくりは、燕三条の職人の技術が支えている。
「たとえば鍋は、大きさによりコンマミリ単位で板厚を変えねばなりません。どのくらいの厚さがベストなのか職人の経験に頼りながら、試作を繰り返します。同時に使いやすさ、美しさを追求しますから『お前が持ってくる依頼はめんどくさいものばっかりだ』と言われながらも、『こんなの無理ですよね、できないですよね』と職人魂を焚き付ければ焚きつけるほど(笑)、こちらの要求を超えてくるのが燕三条の職人です。『試作品つくるために機械もつくっちゃったよ』なんて、びっくりさせられることもよくありました」(太さん)。
高品質を誇りに、「キャンプ製品に永久保証をつけたのは我々が世界初です」と太さんは胸を張る。そんなスノーピークは2011年に、本社をキャンプ場・店舗・工場・オフィスが一体となった「Headquarters」へと進化させ、三条市街地から山を身近に望む丘稜地帯に移転した。
取材当日は大雪。雪中テント泊を楽しみにするキャンパーが関東から訪れていた(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
「社員もみんなキャンパー、自然の中で過ごすのが大好きなことが入社の条件のひとつです」と語るのは、執行役員の吉野真紀夫(よしの・まきお)さん。自身も釣りとキャンプの愛好家だ。「山も川も海も近いこの場所は、アウトドア体験から製品をつくり試すのにふさわしい、素晴らしい場所です」
「これを眺めながら仕事だなんて、最高でしょ?」と雪景色にはしゃぐ吉野さん。晴れたときには広大なキャンプ場とその奥の山並みが本社屋から一望できる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
アウトドア愛好者の憧れの会社となったスノーピークには、全国から入社希望者が殺到する。「今や社員のほとんどは新潟県以外の出身。私も東京出身です」(吉野さん)
「社員たちのアイデアは、地元の工場の職人さんたちに、それこそ打たれ研磨されて世界に誇れる商品になっていきます。新人のうちは不勉強を嘆かれつつもモノづくりへの熱い気持ちは同じ。心に火をつけて最高のギアをつくっていくのです」(吉野さん)
キャンパーであることを優とするスノーピークの採用基準と、常にキャンパーでいられるフィールド、そして、そのフィールド体験をカタチにできる燕三条のモノづくり。そんな吸引力が、若者をスノーピークに惹き寄せているようだ。
社員が自由に使える打ち合わせスペースはまるでキャンプサイト。「これからは衣食住働遊の全領域で、自然と触れ合える生活を提供していきます」(山井太さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
「庖丁工房タダフサ」世界のバイヤーが認める鍛冶仕事は子どもたちの憧れ
庖丁工房タダフサは、世界中のバイヤーが注目する話題の企業だ。創業は1948年。現在は3代目となる曽根忠幸(そね・ただゆき)さんが経営を担う。
タダフサの主力製品はその名の通り包丁だ。手作業でつくられる鋼の包丁は極上の切れ味。例えば家庭用の万能三徳包丁は9000円(税別・取材当時)と高額だが、生産が間に合わないほどの人気を誇っている。
工場併設のショップ。鋼製包丁はオールステンレスに比べると手入れが必要だが、その重力だけで固い人参が切れる体験をすると、買わずにはいられない。研ぎ直しサービスもあるので安心(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
会社ロゴには、鋼材をつかむ、つかみ箸をデザインした。以前は鍛冶職人が最初に修行としてつくるならわしがあったそう(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
「祖父の寅三郎(とらさぶろう)が大工道具の曲尺づくりを始めたのが創業のきっかけです。腕利きが認められるようになって、農具や漁業用具などさまざまな刃物を手掛けました。家庭用の包丁も問屋から注文が入るようになり、その後父・忠一郎(ちゅういちろう)に工場を引き継ぎました。職人が全工程を手作業で行うのは、創業当時と同じです」と曽根さん。
曽根忠幸さん。東京の大学卒業後3年間の会社勤めを経験し、鍛冶職人に。2012年代表取締役に就任。会長職に就いた忠一郎さんは伝統工芸士に認定されている(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
職人の数も少しずつ増え、やがて時代のニーズとともにホームセンターからの注文も入るようになった。「ホームセンターは納期が厳しかったです。長時間労働を強いられ利益も薄いのですが、売上が大きいので断れませんでした」(曽根さん)。
2011年に中川政七商店の中川政七さんに工場経営を相談したことが転機となった。
当時の市長が三条市の活性策として「モノづくり」に道を求め、中川さんにコンサルティングを依頼。多くの金物工場の中からまず1社、タダフサが先鞭をつけるべく選抜されたのだ。
中川さんと打ち合わせを重ねて気がついたのは「自分たちで何をつくるべきか考えてこなかった」ということだった。ユーザーや問屋、ホームセンターのオーダーに応え続けた結果、当時は900種もの商品数があり、その材料や資材などの在庫を抱えていたのだそう。
検討の結果、ユーザーが選びやすい「基本の3本」包丁と、料理の腕が上がったときの「次の1本」に主力商品を整理。利益に見合わない大量発注は請け負わない決断をした。
「特殊な刃物は受注製造制にして、出来上がりまで少し待ってもらうことにしました。ウチの包丁はちゃんと研げば数十年使えますからね、買い替えも数十年に一度です」と曽根さん。
左から「基本の3本」パン切り、万能三徳、万能ペティ、「次の1本」牛刀、出刃、小出刃、刺身(写真提供/庖丁工房タダフサ)
曽根さんは、工場見学者を受け入れて作業と技術を見てもらうことにもこだわっている。
「品質はむしろ海外から評価されていて、2021年の売り上げのうち3割以上が海外関連を占めています。こういった事実は、職人の励みにもなりますね」(曽根さん)
タダフサの包丁ができるまでは大まかに21行程。材料の切断、鋼材の鍛造、焼入、研磨、歪み取りといった工程を職人が1丁1丁作業していく。その様子を見学してもらうことで製品の確かさが伝わり、「この値段ならむしろ安い」と購入してくれる。「モノづくりの背景を知ってもらうことで、価値がより高まります」(曽根さん)
工場見学には、海外のバイヤーも多かった。新型コロナ拡大状況などによる見学可否はHPで確認を(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
また、タダフサの“工房心得”には「三条の子どもたちの憧れとなるべき仕事にすること」が刻まれている。「自分も父の仕事をしている姿を見るのが大好きでした」と曽根さん。「鍛冶職人のカッコ良さを見てもらい、技巧の素晴らしさに触れてもらうことで三条が産地として継続するはずです」(曽根さん)
三条市の小学生は社会科見学で工場に訪れる。「息子が『鍛冶屋になる!』と言ってくれているのがものすごく嬉しい」(曽根さん)(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
曽根さんは、燕三条の工場を一斉にオープンする「燕三条 工場(こうば)の祭典」を2013年初代委員長として開催した、立役者でもある。2020年はオンライン開催となったが、2019年には4日間で5万人の来場者があり、職人仕事に熱い視線が集まった。
「商品を絞り、高品質を伝えることで売り上げは倍以上、利益率も上がりました。憧れの職業となるよう働く環境も整えています。うちは週休二日制、勤務時間は8時間。残業も多少ありますが、残業代は当然支払います。月に1回、会社負担でマッサージも受けられるようにして、仕事の疲れも癒してもらっています」(曽根さん)
実際、タダフサには職人に憧れる若者の入社希望が増えている。2011年の社員数は12人だったが、2022年1月時点で33人。憧れの現場には、女性の職人も4名、オーストラリアから移住してきた若者も働いている。
「職人希望者が増えて嬉しいのですが、鋼を扱う作業は冬は寒いし夏は暑い。過酷な環境で作業に没頭して技巧を磨いていけるかどうかには、向き不向きがあります。ただ、三条の鍛冶職人は世界一。しっかりと家族を養うことができる収入も得られますし、手に職をつけることにより一生涯の仕事ともなります」(曽根さん)
世界基準の技術を持つ。プライベートも大切にできる収入を得る。若者がプライド高く励む鍛冶の現場が、庖丁工房タダフサにあった。
「諏訪田製作所」はオープンファクトリーの先駆者。進化を続ける創業95年企業
「工場の祭典」は職人の後継者不足と製品の低価格化を解決する一策として、燕三条エリアの工場が一斉に工場見学を開放し、一般見学者が地図を片手に思い思いの工場を巡る一大イベント。画期的な取り組みで、全国的にも話題を集めている。
開催の先駆けとなったのが、2011年に「オープンファクトリー」として工場を刷新し、見学者を迎え入れた諏訪田製作所だ。
諏訪田製作所は材料の仕入れから製造、修理まで一貫して自社で行っている。主力商品はニッパー型のつめ切り。「創業96年を迎えます。以前から地元の愛用者が、修理などの相談でフラッと工場に来ることが多かったそうですよ」と、諏訪田製作所の水沼樹(みずぬま・たつき)さん。
来場者の受け付け体制を整えたほうがお互いに良い、ということと、3代目代表取締役・小林知行(こばやし・ともゆき)さんが「生産工程を見せることで商品価値を上げたい、そして職人にプライドを持ってもらいたい」と決断したことが工場を公開する「オープンファクトリー」のきっかけだった。
のどかな田園地帯に建つ諏訪田製作所。2019年に新築された工場はひときわ異彩を放つ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
正面ドアを入ると、つめ切りの端材を使ったアートが迎えてくれる(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
インテリアにこだわったカフェレストランとショップも併設されていて、工場というより美術館を訪れたような感覚に陥る(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
黒と赤で統一された工場スペースでは、職人たちの様子を間近に見ることができる。オープン前は「見学者を受け入れるなんてとんでもない。集中できない」と反対の声があったそうだが、一流の職人こそ作業に没頭している。そんな心配は無用だった。
直接ユーザーから製品の良さを聞く機会が増え、精緻な技巧を誉められることで、職人たる誇りが醸成されることにも繋がった。
見学コースと作業場所は仕切られていて安全性も保たれている。集塵機がある工場は冷気が吸い込まれてしまうためエアコンをつけないことも一般的だそうだが、諏訪田製作所では倍の数のエアコンを設置して働きやすい環境を維持(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
職人の家族もオープンファクトリーに訪れる。そのカッコいい姿に子どもたちは憧れて、また職人になることを目指す(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
見学コースを抜けると、職人技に感動した逸品が並ぶショップに繋がる。1万円のつめ切りも、もはや高いとは感じない。自宅用に、大事な人へのプレゼント用にと、お買い物が進む。その後はスイーツが自慢のカフェレストランで休憩し、SNSで情報共有したくなる。そんな仕掛けも巧妙だ。
「刃と刃の境目がわからない」ことで高品質がわかる諏訪田製作所のつめ切り(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
水沼さんは、第1回「工場の祭典」に参加して諏訪田製作所を見学し、入社を決めたうちのひとり。出身は山口県、東京の大学に進み中小企業経営を学んでいて、燕三条エリアには製造から販売まで一貫して行う工場・企業が多いことに魅力を感じていたのだそう。
「モノづくりって、人類が原始からやっていることですよね。石包丁とか土器とか。残念ながら自分は器用ではないので現場仕事には向いていないのですが、モノをつくる過程でデザインも必要だし、広報や営業も大切です。大企業とは違って職人にも経営者にも近い中小企業の工場で、いろいろなことを学びたいと考えていました」(水沼さん)
「三条に来たのは、諏訪田製作所があったから。妻は花屋を経営しています。彼女も大阪からの移住者で、燕三条で出会いました」と水沼さん(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
実は、水沼さんは代表取締役 小林さんの大学スキー部の後輩。「工場の祭典」の前にスキー部のOB会で出会っていた。小林さんはその時にロン毛で登場。「多くの先輩がいらっしゃる中で社長にはとても見えず、ナニモノ?と強く印象に残りました(笑)」(水沼さん)。
その後ゼミ仲間と「工場の祭典」に行くことになり、小林さんに再会。経営者としての手腕と諏訪田製作所のモノづくりに惚れ込んで入社を決めた。
取材の最後に小林さん(右)にお会いできた。この日は金髪。左は取材に同行したSUUMO編集長(写真撮影/池上香夜子)
諏訪田製作所の社員は約60人。熟練の職人も多いが、会社の成長にともない若者の入社が増えて、今は全体の半数が20代と30代。男女比はほぼ半々なのだそう。
その若い世代にも、モノづくりを極めたくて入社してきた人が多い。「他の工場と距離が近いのも燕三条エリアの特徴だと思います。自社製品以外に、お互いの得意技術を活かしたモノづくりができる近さは魅力的です。世界に誇れる技術がたくさんあり、販路も世界中。競争意識はありますよ。まさに切磋琢磨できる、理想のモノづくり環境です」(水沼さん)。
完璧な使い心地のつめ切り、芸術作品のようなその商品でさえ、時代に合わせてモデルチェンジを繰り返す諏訪田製作所。地域を超えて日本の工場を先導する諏訪田製作所には、未来を切り拓いていく若者の姿があった。
工場と工場、そしてクリエイターを繋ぐ「三条ものづくり学校」。職人技の継承と新たな繋がりを産み育てる
燕三条エリアの特筆すべきところは、各企業が優れた商品を生み出しているだけではなく、企業間の連携も図れている点だ。そのなかで、工場と工場、そしてクリエイターをつなぎ、文化の継承を担う役割を果たしているのが、閉校した小学校をリノベーションした「三条ものづくり学校」。東京都世田谷区のIID世田谷ものづくり学校を運営する株式会社ものづくり学校が三条市から委託を受けて2015年4月に開校した。
「燕三条エリアのモノづくりの技術やアイデアを育み、地域に貢献することが設立の目的です」と三条ものづくり学校の斎藤広幸(さいとう・ひろゆき)さん。「教室だったところを小規模のクリエイターなど事業者にオフィスとして貸し出すほか、一時的に利用可能なレンタルスペースもあります」(斎藤さん)
小学校当時そのままの外観(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
オフィス入居の応募条件は「ものづくりに関わる事業を行う法人もしくは個人事業主であること」。30室はほぼ満室状態だ(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
「三条市の工場は規模が小さいところがほとんど。組合も専門分野ごとにバラバラで、連携が乏しいという弱点がありました。職人の技術と伝統を絶やさぬよう光を当て、時代にあった商品開発に繋がる役目を果たしたい。そのため、最初はデザイナーやクリエイターに入居を促すことから始めました」(斎藤さん)
斎藤さんは開校以来200社を超える工場に出向いている。「工場、職人の技術や経営ノウハウについてインタビューして、他の工場で参考にしてもらえるようHPなどで紹介しています。直接相談を受けることも増えていて、それが新しい商品に結びつくこともあります」(斎藤さん)
例としてあげてくれたのが、「鉛筆切出(えんぴつきりだし)」。創業から60年、鍛造技術を親子二人で守り、大工道具である切出し小刀を専門につくっている増田切出工場と、ものづくり学校にオフィスを構えるカワコッチという任意団体のデザイナーが共同開発し、ステーショナリーに仕上げた。
従来の切出小刀に窪みを加えることで鉛筆が削りやすくなった。荷物の開梱など生活のちょっとした場面で幅広く使える。IDSデザインコンペ2019準大賞を受賞(写真提供/三条ものづくり学校)
三条ものづくり学校ではワークショップや交流会などがたびたび開催され、入居者同士のコミュニケーションも活発だ。「全て把握することはできませんが、大小のアイディアが飛び交っているようです」(斎藤さん)。
工場に眠っていた廃材や廃盤となった製品、クリエイターが廃材からつくった作品などを事業者自身が販売する「工場蚤の市」。2019年4月は2日間の開催で約2万人が訪れた。マニアックな部品が並ぶが、「地域の工場や技術が可視化できて、一般の人も出展者もいろんな発見があったと思います」(斎藤さん)
2019年「工場蚤の市」。職人による体験教室も大人気だった。2020年・2021年は「Factory Piece Market」と題し規模を縮小して開催(写真提供/三条ものづくり学校)
斎藤さん。自身も三条ものづくり学校での活動を事務局内に引き継ぎ中(写真撮影/RIZMO-PHOTO小林和幸)
日本の多くの地方工業都市では、若者の流出が課題となることが多い。その流出を止めるには魅力的な働く場所・企業と、その環境の整備が有効なのではないだろうか。
三条市を訪れてみると、世界で戦えるモノづくりを基盤に、働きたくなるよう職場を洗練して勤務環境を整えた企業と、地元産業の職人に光を当てて繋ぐ自治体の取り組みが見えてきた。
今回訪問した企業の共通項は「高単価」「世界水準」。成し遂げていたのが、2代目・3代目だったことも共通点だった。創業者とは違う経験を通して、自社の発展と、地域・国・産業の発展とを地続きで見渡す視野の広さに感銘を受けた。
●取材協力
・スノーピーク
・庖丁工房タダフサ
・諏訪田製作所
・三条ものづくり学校
●関連リンク
・燕三条 工場の祭典
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