激動の未来史《オーシャンクロニクル》の新しい短篇集

激動の未来史《オーシャンクロニクル》の新しい短篇集

 海面上昇が引きおこした人類の変容を扱う未来史《オーシャンクロニクル》の最新短篇集。収録の四作品すべてが書き下ろしという贅沢な一冊だ。

《オーシャンクロニクル》では、生物学をはじめとする科学や技術面での斬新なアイデアがいくつも投入されるいっぽう、国際状況・政治形態・社会構造におけるダイナミックな状況変化とそれに付随する登場人物の葛藤が描かれる。とくに日本SF大賞を受賞した長篇『華竜の宮』、およびその続篇『深紅の碑文』は、すれっからしのSF読者でさえ圧倒せずにはおかない。環境と生命にかかわる壮大なヴィジョンという点で、フランク・ハーバート《デューン》に肩を並べるシリーズと言えよう。

 もっとも、本書に収められた作品は、いちばん長い「カレイドスコープ・キッス」でも百六十ページ、ほか三篇は二十~三十ページのボリュームであり、世界設定に関する叙述は最小限で(巻末に「用語集」があるので読者が迷うことはない)、ストーリーも焦点を絞って語られる。

 巻頭に収められた「迷舟(まよいぶね)」は、〈朋〉を持たない海上民の青年ムラサキの物語。《オーシャンクロニクル》の時代は陸地の多くが水没しており、海上民は大型海洋生物〈魚舟(うおぶね)〉に頼って生活をしている。〈魚舟〉は遺伝子操作でつくりだされた存在で、人間の胎から出産される。双子として誕生したうちの、片方が人間で、もう片方が〈魚舟〉なのだ。いったんは海に放流された〈魚舟〉が鯨ほどの大きさまで成長し、自分の産まれた海上民のコロニー(船団と呼ばれる)へと戻ってくる。そして、自分の双子である人間のパートナー、つまり〈朋〉となって、人間に居住空間を提供するのだ(〈魚舟〉の背中にある空洞が部屋になる)。しかし、なんらかの事情で〈魚舟〉が戻ってこないことがあり、その場合、かたわれの人間は〈朋〉を持てず、船団のなかで特別な社会的存在として生きることになる。差別されるわけではないが、宙ぶらりんの境涯だ。

 ムラサキは言う。「〈朋〉を持たない者は、心に小さな穴がたくさんあいているんだ」。

 穴を埋めたい気持ちもあり、そのままでいいという気持ちもある。その定まらない感情、不安とも無聊とも言える心の動きが、静かに表現されている。きっかけとなるのは、ムラサキの船団へ迷いこんできた、本来は別の船団へ戻るべき孤独な〈魚舟〉――それを〈迷舟〉と呼ぶ――だ。ムラサキと〈迷舟〉との奇妙な交流がはじまる。

 つづく「獣たちの海」は、〈魚舟〉の視点で綴られる。この物語の主人公である〈魚舟〉(産まれた船団においては〈魚舟〉の一般名詞がクロだったため、作中ではクロと呼ばれる)は、小魚くらいの身体で放流され、しだいに大きく成長していく。その過程が、海棲生物ならではの身体感覚によって、みずみずしく描写される。先述したとおり〈魚舟〉は月日を経て、自分の産まれた船団へ戻っていく。それは本能的な行動だが、〈魚舟〉自身にとっては内奥から湧きあがるどうしようもない欲求である。探しても見つからないのに探すのをやめられない焦燥。

〈魚舟〉はポストヒューマン/トランスヒューマンのアイデアであり、わたしたちの倫理や価値観で計れない存在である。しかし、にもかかわらず、「迷舟」や「獣たちの海」では、わたしたちが現存在として抱える情動がまざまざと示される。

 それは、この短篇集の三番目に収録されている「老人と人魚」も同様だ。主人公の老人は、最愛の妻を失っている。世界は急速に色を失ってしまった。その彼が浜辺に迷いこんできたルーシィを、ヨットで外海へ連れ戻しにいく。ルーシィとは、近い将来に訪れるとされる〈大異変〉に備え、人類を深海環境に適応するように変貌させた生物である。つまり、〈魚舟〉とはまた違う経緯による、ポストヒューマン/トランスヒューマンだ。人間とは通常の意思疎通はできない。しかし、主人公の老人とルーシィのあいだに、不思議なつながりが芽生えはじめる。

 最後の作品「カレイドスコープ・キッス」は、海上民だが幼いころに家族とともに海上都市へと移住したため、〈朋〉を持つ機会を永遠に失った娘、銘(メイ)が主人公。彼女はそのかわりに、AIのレオーを手に入れた。海上民と陸上民のあいだには社会的・経済的な格差や軋轢があり、海上都市に暮らす者はそのあいだで難しいポジションにある。銘は両者を仲介するリンカーという役職に就き、レオーの助けを借りて難しい交渉を進めていく。

 銘とレオーのつながりに加え、この物語ではもうひとつのつながりが描かれる。銘とナテワナ、立場の異なるふたりの女性の関係だ。ナテワナは海上民の若き長(オサ)であり、自分の船団を率いている。タフな交渉相手として登場するのだが、銘は徐々にナテワナに惹かれていく。また、ナテワナも銘に対して、なにか思うところがあるようだ(どうやら銘の失われた過去にかかわるらしい)。彼女たちのあいだに生まれるのは、宿命的な〈朋〉とはまた別の、一対一の結びつきである。

 以上、四篇。『華竜の宮』『深紅の碑文』を既読の読者には、《オーシャンクロニクル》を構成する新しいピースとして興味深く楽しめるだろう。いっぽう、未読の読者にとっては、このシリーズの入口として好適な一冊だ。

(牧眞司)

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