終末のインナースペース
これは好企画。1960年代に英米で巻きおこったニューウェーヴSF運動に呼応して、日本SFに独自の境地を拓いた山野浩一の短篇集で、これまで雑誌に発表されたまま埋もれていた作品や未発表作品などを集めている。ちなみに山野の短篇代表作は、『山野浩一傑作選Ⅰ 鳥はいまどこを飛ぶか』『同Ⅱ 殺人者の空』(創元SF文庫)の二冊にまとめられている。現在は電子書籍版が入手可能だ。
さて、この新しい短篇集、「発掘小説」といってもけっして落ち穂拾いではない。たとえば、巻頭に収められた二篇、「死滅世代」と「都市は滅亡せず」は、山野がめざしたSFのありかたを体現し、きわめて重要な作品である。
「死滅世代」は、全世界で動乱と犯罪が激化し、ひとびとは死に対して無感動になってしまった。主人公は目の前で恋人が惨殺されても憤怒も悲哀もなく、たんたんと国連士官学校へ進み、卒業後は訓練を経て、宇宙飛行士として火星基地へ赴く。そこで学術グループの首長である博士から、地球が死滅へ向かっている原因についての、ある仮説を聞かされる。
「都市は滅亡せず」は、ねずみや油虫などが急増し、植物が旺盛に蔓延るようになって大都市はその機能を失ってから十年ほど経った時代。海辺の村で育った青年である主人公は、無鉄砲な衝動のまま、友人のNとともに廃墟となった都市へ入りこむ。自然に蹂躙された環境のなかで過ごすうち、Nは変わってしまう。
伝統的なSFが扱う破滅とは違い、そこには世界を救おうとする奮闘も、サバイバルの躍動や人間ドラマもない。その点ではJ・G・バラードの『沈んだ世界』や『結晶世界』と共通する。しかし、バラードが始原や永遠性への憧憬を秘めていたのに対し、山野はずっと虚無的である。作風として近いのはトマス・M・ディッシュだろうか。
この二作の印象が圧倒的だが、この短篇集にはほかに、メビウスの輪のような論理の奇想小説、冗談のような言語遊戯シュルレアリスム、ヌーボーロマンを思わせる洗練された小品……山野浩一のさまざまな側面を示す作品が収められている。どれも面白い。
巻末には、これらの作品を根気よく掘りだした編者、岡和田晃さんの刺激的な解説つき。
(牧眞司)
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