不妊治療に悩む夫婦の物語〜ロベルト・ヴェラーヘン『アントワネット』
結婚3年目、私は産婦人科で子供ができにくい体質であると診断された。妊娠を望むのであれば不妊治療をした方がいいと勧められ、(当時は会社勤めだったので)それならば少し仕事の方を調整しないと…と考えていたところ、思いがけず子どもを授かることができた。だから、子どもがほしいと思う人の気持ちも、なかなか授からなくてつらいという人の気持ちも、どちらも共感できると思っていた。けれど本書を読んで、自分が甘かったということに気づかされた。最終的に子どもに恵まれた私は、そうでないご夫婦とは決して同じ立場ではないのだと。
本書の主人公は42歳のオランダ人男性。物語の冒頭で、彼は水泳道具を持った少女や少年の姿に思いを巡らせている。彼らがいるのは、芝生や休憩所のあるどこかの施設らしい。主人公は少年少女を見ながら、自分に子どもがいたらどんな感じだったかということを繰り返し考えており、彼自身には娘や息子はいないらしいことが読み取れる。そのうち少年少女たちは、迎えに来た父親らしき男性の車に乗って去ってしまった。
主人公はまだそこにいて、アントワネットを待っている。アントワネットとは誰か。まだわからない。彼がいるのはサーマルバスという、ローマ時代の温泉浴場風のウェルネスセンターであることはわかる。サーマルバスは午後10時まで営業しており、彼はマッサージと夕食が付いた〈フルサービス〉のコースを利用することにする。温かい湯につかりながら、食事をとりながら、マッサージを受けながら、主人公は記憶の海を泳ぐ。
彼とアントワネットが知り合ったのは約7年前、サーマルバスのあるハンガリーのブダペストの街。ふたりともオランダ人で、ブダペストには仕事で滞在していた。主人公は法律家で当時はオランダ外務省の業務に携わっており、アントワネットはコーヒー豆関連の会社勤務でこの地域に新しく支社を立ち上げようとしていた。街の中心街にあるデパートでのふたりの初めての出会いは、しゃれた映画の一場面のようである。知り合って間もなくから、主人公はアントワネットとの結婚を考えていて、彼女もプロポーズを受け入れた。
ずっと続くと思われたふたりの愛情に、いつしか翳りが見え始める。きっかけはやはり、結婚して1年が過ぎても妊娠の兆候はみられなかったことだろう。ふたり揃って専門の医師の診察を受けたものの、夫婦のどちらにも異常は見当たらないという。段階を踏んで治療を続けるが、毎月失望する結果に。身内や友人、隣人たちが次々と子どもに恵まれたことも、ふたりの神経をすり減らす要因となった。
ふたりで子どもを育てたい。お互いを思い合い、同じ望みを抱いていたにもかかわらず、彼らの気持ちはすれ違っていく。努力してなんとかできる性質の綻びであれば、修正も可能だっただろう。しかし、どこをどのようにすれば事態が改善できるのか対策の立てようがない。出口の見えないつらさがどれだけ人を蝕むかを突きつけられる思いがした。そして、お互いに対して正直であろうとすることと相手を傷つけることは、時に同義になり得るのだと思い知らされた。
著者のロベルト・ヴェラーヘンは、日本ではあまりなじみのないオランダ文学界の中堅作家のひとり。本国では重要な地位を占める作家とされているとのこと。訳者あとがきにて、ヴェラーヘン氏による日本の読者へのメッセージその他が紹介されている。それによれば、本書に書かれているのは著者とパートナーの経験に基づくものでもあるという。物語は終始、主人公の視点で描かれており、彼は自問自答し続けている。それは著者自身の心情の表れでもあったのかもしれない。
一方で、アントワネットの視点で同じできごとを描写したら、まったく異なる物語になるかもしれないと思う。さまざまな面で男女の違いというものはできる限り解消される方向に向かっていると思うけれど、妊娠・出産に関しては女性にしかできないことだし、体への負担についても男性には計り知れない部分があるだろうから。いずれにせよ、主人公とアントワネットが最終的に選んだのが、彼らの真の幸せにつながる道であったことを願う。
(松井ゆかり)
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。